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軌跡を辿って見える意思

3月の夢の手帳を見返すと、いつのまにかその中の6つか7つくらいが叶っていた。

主には仕事や住む場所に関する夢だった。
◯◯へ行く。
△△さんに会いに行って一緒に□□をやる。
◎◎さんとの◇◇の仕事が決まる。

二ヶ月前に書いてから、思いがけず見返したことで、気づく。
ああ、今起きていることはすべて私自身が手繰り寄せた結果なんだなと。


どうしても一緒に仕事をしたい人がいて、寝ても覚めても投稿を追いかけて応援してきた。
どうしてもその世界を一緒にみたいと願い続けて、自分自身がそのルートを開拓する先頭にたってその人の描く世界を形にしたいと思った。
どうしてもやりたいことがあって、そのために大好きな仕事からもう一度身一つに戻ってみた。

まっさらな舞台、誰も知らない土地、うまくいくのかわからない新しい仕事。
まだ、なんの色もついていない。

生まれ育った場所での記憶、よくしてくれた仲間への感謝。
これから一歩を踏み出そうとする場所は、その足場さえもわからない。


数日間、体のなかをいろんな感情が上下左右に暴れ回るのを感じながら、ふとめくったページには、2ヶ月前の自分の思いと夢が詳細に記されていた。


前に進んでいいのか、それは自分に実現可能なのか足がすくでんしまったとき、過去の自分が夢を描いた奇跡をなぞってみる。その夢を文字にしてから、1日1日を積み上げてきた自分。今日起こっていることは、決して偶然には起こっていない。


過去の自分の思いと行動の積み上げで現実は今目の前に姿をみせている。

だから、けっしてすくんではならない。その場所から身をひいてはならない。背伸びをして、頑張って、やっと越えられるかどうかの高さだったとしても、そのステージは必ず自分の挑戦してきたことの延長戦上で起こっている。


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