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真夏の九州うつわ旅・1日目(その4)~海を望む殿山窯へ~

8月8日~12日の日程で九州北部をめぐった「九州うつわ旅」の記録をしています。

前回は、あこがれの隆太窯(唐津焼窯元)を訪れたことを。


台風6号が九州へ近づいてくる中、1日目はあまり影響なく過ごしています。
隆太窯のあとは、また すてきな窯元を訪ねました。

今日はその記録です。




8月8日 晴れたり曇ったり

福岡空港から唐津へ到着し、豆腐会席ランチと、隆太窯を満喫した。
晴れたり曇ったりの天候だけれど、午前中よりも晴れの時間が長くなっているよう。台風が最も接近するのは、翌日夜半の予想。
今日は大丈夫そうねということで、次なる窯元を訪ねた。

殿山窯」だ。


同じ肥前のやきものでも、有田などでは「分業」でうつわを製作されているけれど、唐津では一人の作家さんが、土の採取からはじまり素地作り、成形、絵付け、釉かけ、窯焼きなど、全ての工程を一貫して行うことが多い。そのぶん、その作家の個性(人間性といって良いのかな)がよくあらわれるのが特徴だといわれたりもする。

この殿山窯の矢野直人やの なおとさんも、土づくりから焼成まで、すべてお1人でされているそう。お父様から引き継いだこの窯で生み出される作品は多彩で、ご活躍の作家さんだ。

1人で作られるということは、ほぼお1人で窯を営まれるということ。だから拝見したいなら予約が必要となる。どなたもいらっしゃらなければアウトでしょう。

私はどうしても伺いたくて、事前に何度かお電話を差し上げていたのだけれど、あいにく長期ご不在だったご様子。ご対応くださったお母様より、お詫びとともに「台風のこともありますから、いらっしゃる時は直前でもいいのでお電話をください。」とのお言葉を頂いていた。とてもあたたかなお母様だった。

それで、ほんとうに台風でどうなるかわからなかったから、この日、直前にお電話を差し上げた。けれど、どなたもお出にならなかった…。ご不在のようだ。
となれば、展示室も何も拝見できないことになる…。
でも、「それでもとにかく行っちゃおう!」というのが 親友チャルと私。ダメ元で行けばいいよね、時間はあるし、お天気も良いし。

ということで、地図でいうと上の方、海の近くの殿山窯へGo!


朝鮮出兵の際に伊達政宗が築いた陣城跡近くを通る。


と、ここでちょっとうつわのおはなしを。

* * *

1580年代からつくられはじめたという古唐津には、「砂岩説」というものがあります。
陶器は土から、磁器は石からできるもので、唐津焼は陶器だから普通に考えれば “土” なのですけれど、初期の古唐津は、”砂岩” を原料にしたという説です。磁器のものを焼いていた、といえばよいのでしょうか。
有田で磁器の原料となる陶石が日本で初めて発見されたのは1610年代のこと。
それよりも前に、陶石の代わりに唐津周辺で採取できる砂岩が使われていたのだと。すでに朝鮮半島には磁器の高度な製造技術がありましたから、朝鮮からやって来た陶工がその技術をもって 磁器のように焼き締まったうつわを焼いていたというのです。
この「砂岩説」は、 ”新しい常識” という方もいるくらい、陶芸家の間で浸透しているともいわれています。
唐津焼のおはなしの補足でした。)

* * *

殿山窯の矢野さまは、古唐津の研究にご熱心で、唐津焼の原点を追求されていると聞く。「砂岩説」を唱える陶芸家のお1人であり、砂岩をつかって桃山古唐津を意識した作品を創作されているのだとか。
まだお若いけれど、2012年には30代でただひとり、「唐津焼12人」にも選ばれていらっしゃる。

そんなこんなのお話を直接伺いたかったけれど、それは次回のおたのしみかな。

うねうねと入りくんだ山道をのぼった先に殿山窯はあった。


窯があった!テンションが上がる。


やっぱりお留守かな…と思いながら歩を進めると、薪を運ぶ作業をされている男性が3人ほどいらした。いずれも矢野さまではない。
「こんにちは。あの、矢野さまはご不在でしょうか…?」
「あー、あいにく不在なんです。でもちょっと待ってください。展示室をご覧いただけるかな。あ、鍵が開いていますからどうぞ。」と流れる汗をふきふき おしゃってくださったのは、石井義久さま。この殿山窯で先代の時から修業をされていた方で、現在は独立して作陶されていらっしゃるとのこと。私も何かの情報でお姿を目にしたことがあった。

恵まれている。このように突撃で来てしまって、ほんとうなら何も拝見できなくたって仕方がないのに。


お言葉に甘えて展示室にお邪魔する。



ああ、うつくしい。ここは名護屋港を望む高台にあるのだ。

海を見渡す大きな窓辺に並べられた、いかにも古唐津の風情漂ううつわたち。
「展示会を控えているので、作品はそちらに運んでしまって。今は作品が少なくて申し訳ないです。」とおっしゃるけれど、この場所を、そして少しでもうつわを拝見できたよろこびは、とてつもなく大きい。

調度品も質の良い民藝品が配置されていて、ため息がもれる。
石井様がご丁寧にいろいろと教えてくださったのだけれど、この調度品はおもに先代のセンスで集められたものだそう。素敵な空間。


信楽焼の骨董品。おそらくお米などを貯蔵していたと思われる壺。


教えていただいたことのなかで、何よりも興味深いおはなしは、眼下に望む海のこと。入り組んだ湾になっており、船が停泊しているのが見える。
ここ名護屋といえば、豊臣秀吉の朝鮮出兵の地であり、すぐ近くには出兵拠点として秀吉が築城した名護屋城の跡もある。
「ここは湾になってますから、こんなふうに台風が近づいても、強い風が吹いてきても、停泊している船にあまり影響がないんです。だから、朝鮮に出兵するための船は、みんなここに停められていたといわれています。」と。



窓のすぐ外は船が停泊する青い海。その昔、朝鮮に出兵する船がここから出航し、そしてたくさんの陶工を乗せて ここに帰ってきたのだ。
その陶工たちがつくりあげた九州やきものの原点・古唐津。それを追求したうつわたちが今、その海を背景に佇んでいる。ロマンだ!
いにしえの景色をおもい、今 目の前にある光景を眺めると、とても感慨深い。
朝鮮出兵自体は失敗だったにしても、うつわの発展という視座にたてば、この名護屋からの出兵は日本の文化に大きな革命をもたらしたものだと思う。



…と、作家さんご本人がいらっしゃらないところで、はるか遠くまで想いをめぐらせちゃった…。
しばらくこの光景をぼーっと眺めていたいけれど、石井様が作業の手をとめてご対応くださっている。あまり長居はいけませんよと自分に言い聞かせ、その場をあとにした。



それにしても。
この前に伺った隆太窯でも、こちらの殿山窯でも、たまたまそこにいらした方に大変ご親切にして頂いた。
唐津のうつわを愛し、何らかの形でそこに身を置く方々は、きっとみなさん、そういうお方なのだ。土から うつわへとその手で自然を紡ぐように、目の前に人がいれば そのお心であたたかな言葉を紡ぎ 手を差しのべてくださる。

すてきな経験を重ねました。ありがとうございます。




1日目:8月8日(火) 晴れたり曇ったり
福岡空港→唐津。「山内薬局」→「川島豆腐店」→「隆太窯」→「殿山窯」で海とうつわを眺めて感慨にふける。


ちなみに帰り道に、着信履歴をご覧になった矢野さまのお母様よりご丁寧なお電話を頂きました。やっぱりとても お心が細やかであたたかな方でした。


次回はすてきな寄り道をして、なんと福岡に戻ります。



最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。





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