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うつわのおはなし ~奥ゆきゆたかな 唐津焼~


九州北部のやきものを こよなく愛する私は、このnoteでも、有田焼のほか、三川内焼、小鹿田焼などに触れてきました。
けれどこれまで、唐津焼については一度も語っていなかったように思います。
唐津焼といえば、有田焼などの母体にもなった、九州で最も歴史深いやきものです。
今回は、その たいせつな唐津焼について綴ってみたいと思います。
奥深くゆたかな表情を持ち、知れば知るほど、みればみるほどその魅力のとりこになるようなうつわ、唐津焼。とても味わい深いやきものです。

うつわ好き素人が綴るエッセイです。
お時間とご興味がありましたら、どうぞおつきあいください。


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唐津焼の歴史

唐津焼のはじまり

日本のやきものは縄文土器からはじまり、長い長い歴史を紡いでいるわけですけれど、中世までの九州は、陶磁器生産の不毛地帯だったといわれています。
九州のやきものは、桃山時代になってから、唐津焼にはじまりました。
来歴には諸説あるようですが、近年の研究によると、唐津焼は1580年代後半に岸岳城城主 波多氏の領地で焼かれたのがはじまりとされています。現在の佐賀県唐津市です。

「唐津」の名は、「唐」に開かれた「津」つまり港があることに由来するといわれます。
中世以前から日本で焼かれていたやきものとは異なり、はじめから朝鮮陶磁の技術や文化を礎に誕生したのが唐津焼です。
唐津焼がはじまった1580年代といえば、秀吉の朝鮮出兵より前のこと。九州各地では、朝鮮出兵を境に本格的なやきものの生産がはじまりましたけれど、唐津ではそれよりも前から独自に朝鮮半島と交流をしていたということでしょう。

秀吉の朝鮮出兵(文禄の役:1592〜93年、慶長の役:1597〜98年)により、多くの優秀な朝鮮人陶工が九州の地に移り住むこととなりました。九州のやきものは、彼ら彼女らから もたらされた技術をもって、一気に花開きました。


肥前国ひぜんのくにの唐津焼

秀吉の朝鮮出兵前にはじまり、そして出兵後に本格的に始動した唐津焼。
当初は、肥前(現在の佐賀県と、壱岐・対馬を除く長崎県)の広い範囲で焼かれました。具体的には、現在の唐津市のほか、有田や伊万里、武雄地区でも焼かれていたとのこと。有田では1616年に日本初の磁器が誕生しますけれど、それよりも前にその有田の地で陶器の「唐津焼」が焼かれていたことになります。
実際、窯跡の調査により、1610年代には有田の同じ窯で陶器と磁器が一緒に焼かれていたことがあきらかになっているそうです。陶器と磁器の併焼はしばらく続いたそうで、有田は1630年代後半になってから磁器専業の窯里に変わったのだとか。
冒頭でおはなししましたとおり、唐津焼は、有田焼などの母体なのです。有田の窯は、当初、陶器の唐津焼を焼いていたのですから。

そして誕生以来、朝鮮半島の技術を取り入れたことで生産量を増していった唐津焼は、唐津港から積み出され、京都・大阪をはじめとする西日本に広がりました。東日本の「せともの」(瀬戸焼)に対し、西日本では「からつもの / からつもん」がやきものの代名詞となるほどに、一世を風靡したのです。
茶陶についても、抹茶茶碗の好みの順位、あるいは格付けとして「一楽いちらく二萩にはぎ三唐津さんからつ」といわれたことは有名ですね。


「古唐津」の衰退と復活

桃山時代から江戸初期に肥前で焼かれた陶器を総称して「古唐津」と呼びます。有田や伊万里などで焼かれていたのも古唐津です。
古唐津には、大別して日用品としての雑器と、茶人好みの茶陶とがあります。日用雑器が先発だとか。

先述のとおり、一世を風靡した古唐津ですが、17世紀のうちに状況が変わってしまいました。
1610年代後半になると、近隣の有田などでは磁器がさかんに焼かれるようになりました。それに伴い、陶器の唐津焼は精彩を失ってしまいます。磁器には太刀打ちできなかったのでしょう。肥前国は、陶器から磁器の産地へと姿を変えたのです。

肥前での存在感を小さくしていった唐津焼ですが、一方で茶陶については、茶の湯の文化の隆盛とともに、古唐津とは姿を変えて発展します。高麗茶碗のうつしなど、茶道具としての需要に応える形に変化し、唐津焼は茶陶をつくる御用窯として存続。幕府への献上品なども多数つくられました。藩の御用窯・「御茶碗窯」で焼かれた茶器は「献上唐津」と呼ばれます。
ただ、これは古唐津とは姿を変えて発展したものですので、茶陶の名声の高まりのかげで、古唐津は忘れられたやきものになってゆきました。古唐津の技法や作風は、ここで一度失われてしまったのです。

そして献上品を焼いた御茶碗窯も、明治維新後には藩の庇護を失って、残念なことに唐津焼は衰退の一途をたどりました。

こうしてかつての輝きを失った唐津焼ですが、17世紀に失われた古唐津を見事復活させたのが、十二代 中里太郎右衛門(のちの中里無庵)です。十二代は明治生まれ。長い間忘れ去られていた古唐津の研究を重ね、昭和に入ってから桃山時代の唐津焼の再現に成功。そして人間国宝に認定されました。
唐津焼を現代に甦らせた十二代は昭和60年に亡くなりましたが、古唐津の技法は再び息を吹き返し、作り手の数も増加しました。今では現代的な感覚を取り入れた作品も生み出され、現在、唐津近辺の広い範囲に多数の窯元が点在しています。

ちなみに、肥前の窯業圏が陶器から磁器にシフトしたとき、肥前の陶器としては、壺、かめ、鉢の大型道具などを焼く民窯が存続したのだとか。唐津のまちを歩くと、時折大きな壺などを見かけるのは、その名残なのかもしれません。


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唐津焼の技法

おはなししましたとおり、唐津焼ははじめから朝鮮陶磁の技術を導入してはじまりました。
それまでの日本にはなかった「蹴轆轤けろくろ」や「登り窯」を導入したのも唐津ですし、日本ではじめてやきものに筆で絵を描いたのも唐津焼だといわれています。また、日本で施釉陶(釉薬を施した陶器)といえば、瀬戸しかなかったのですけれど、唐津でははじめから釉薬をかけた陶器を焼きました。
それらのことは、当時の日本にとって革新的であり、斬新だったことでしょう。


ここで唐津焼の技法について、いくつかおはなしします。

❑ 鉄絵を施したものを「絵唐津」といいます。唐津の代表的な技法といえるのではないでしょうか。
草木や花、鳥などをモチーフにしたものが多く見受けられます。

絵唐津[櫨ノ谷窯]


❑ 白濁した藁灰釉わらばいゆうを用いたものを「まだら唐津」といいます。唐津で最も古い技法といわれます。
素地に含まれている鉄分などが器の表面に溶け出して、藁灰釉の表面が斑状になるから“斑唐津”。

斑唐津[櫨ノ谷窯]
左:三島唐津 / 右:斑唐津
[隆太窯]


❑ 白濁した藁灰釉わらばいゆうと、黒い鉄釉を掛けわけたものを「朝鮮唐津」といいます。

朝鮮唐津[一番館にて(作礼窯)]
朝鮮唐津[殿山窯]



❑ 白土で化粧を施したものを「三島唐津」といいます。朝鮮の李朝三島・・の技法を受け継いだものだから三島唐津。
半乾きの素地にハンコのような刻印を押して白化粧をするもののほか、全体に白土をかけた粉引、刷毛の跡をそのまま残した刷毛目、白化粧に線を彫った彫三島などがあります。

三島唐津[隆太窯]
三島唐津[時空窯]


❑ 線の模様を彫って描くものを「ほり唐津」といいます。
ちょっと志野焼に似ていると思います。写真がありませんのでリンクをお借りします。(文化遺産オンライン

❑ 鯨の断面のように、全体が白くて縁の鉄釉が黒い「皮鯨」。こちらもリンクを。(文化遺産オンライン


技法はまだこのほかにもあるようです。
一口に唐津焼といっても、表情は多彩。加えて唐津の土も、採取場所により個性豊かだといわれます。
さまざまな性格をもち、多様な表現をするのが唐津焼といえるのでしょう。


ところで、施釉せゆうした陶器には、「貫入かんにゅう」といって、釉薬に細かなヒビが入ります。
このヒビは、焼きあがった陶器を窯から出して冷ます過程で、素地と釉薬の伸縮度の違いによって生まれるのだそう。
唐津焼は、この貫入をたのしむものといわれます。おもに酒器や茶器をさしているのでしょう、うつわを使っているうちにお酒やお茶が徐々にしみこみ、うつわが“育つ”のだといわれます。
長く使用しているうちにその人独自の風合いが生まれ、同じ作家が同じように焼いても、2つと同じものはできない、唯一無二のうつわに育つのだとか。
そんなふうに育ったら、うつわがなお愛おしくなることでしょう。唐津焼はそのようなたのしみも与えてくれるのですね。


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私は先日、約2年ぶりに九州うつわ旅を楽しみ、唐津の窯元もいくつか訪ねることができました。今日、写真を添えた窯元です。

唐津の窯元の多くは、山の中にぽつんぽつんと点在しています。
土があり、水があり、薪となる木々があり、登り窯で焼くための斜面があり。自然から生まれるやきものをつくるのにふさわしい場所に佇んでいます。
自然の息吹を感じるその場所で、使いこまれた蹴轆轤けろくろも拝見しました。山から採取した薪を、汗をふきふき運ばれる場面にも遭遇しました。
それぞれが、その土地の自然と向き合いながら、丁寧に日々のうつわづくりを営まれている様子がうかがえます。


これからゆっくりと、のんびりと、旅の記録をこのnoteに残したいと思っています。この唐津焼のおはなしも、そこで補足をするつもりです。
実は旅行するにあたっては、すったもんだもありました。それもおいおい...。


今回も長くなりました。

最後までお読みくださいまして、ありがとうございました!


ヘッダー画像:隆太窯





投稿しておきながら おかしなことなのですが、現在、事情によりnote訪問が滞りがちです…。みなさまの記事を拝読したり、頂いたコメントにお返しをしたりするのにお時間を頂いてしまうかもしれません。ごめんなさい。



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