「間ニアック」なお話し
よく聞くコトバで気になるのが
「隙間時間」
私だけかもしれないけど…
隙「間」時「間」
って、間の間なんだろうけど
変なコトバだなぁと想っていたのです
そもそも隙間って
空間的な意味と、時間的な意味もあるわけだし
間というコトバそのものも、隙間的なものを表現しているし
「隙がある間」を隙間というとして
「隙の無い間」というコトバはありませんよね?
敢えていうなら「窮屈」?
それなら隙間って良いコトバで…正に隙間は「好き間」ですね!
…と、コトバ遊びで始まりましたが
間というものには、多少の幅を感じます
そしてその分岐点を「境」と定義すると…
意識と無意識の境・間
呼吸(吸気呼気)の境・間
静動(緩急)の境・間
感情と思考の境・間
自分と世界の境・間
という風に…色々な境や間があって、点の様な境も動いているので、やはり幅のある間と同義だと考えられますよね
時間と空間において
前と後の境は「今・ここ」
陰陽はもちろんだけれど
人も地球も銀河も
実は「層」で出来ていて
その層を○○次元とか○○界などと表します
そしてミクロにもマクロにもこれは無限(無限小♾️無限大)に広がるもの
仏教(法華経)では
「宇宙は無始無終」
宇宙には、始まりも無ければ終わりもないと説いたり
「宇宙は無量無辺」
宇宙は無限大に広く、計り知れない…と説いたりします
無始無終は時間的世界観
無量無辺は空間的世界観
この空間的世界と時間的世界にも「間」があり、そこを繋ぐのが、視覚で捉えられないエネルギーだと想うのです
意識や思考、感情
電気や磁気、重力
そして音
音も周波数で言われる様に、見えないけれど物理的存在であり、心理にも影響するもの
こうした見えないエネルギーが時間と空間の境・間に存在していて、それが世界を動かしているのかもしれません
ダンスは「そこ」に存在するものです
ダンスを日本語で舞踊と言いますよね?
舞う…は時空(外世界)のエネルギーに動かされ
踊る…は自ら(内世界)のエネルギーに動かされ
それが一つになってこそ
「舞踊」は完成すると、私は定義しています
舞う…は
例えば草木が風に靡いたり揺らぐ様に動くこと
踊る…は
動物が求愛行動で動くなど、ココロが躍ること
舞う(受動)と踊る(能動)で
舞い踊る
人によって色々考え方があって良くて、これらは私の考えるダンス観…
舞踊=ダンスは
「今・ここ」に見えないエネルギーを涌現させるアートだと想うから
そのエネルギーの純度や強弱で、顕れるダンスは変わるんですよね
さて…
ダンスは時間(音楽)と空間(重力)を、カラダ(とココロ)で遊ぶアート
時間にも…
物理的な時間と
心理的な時間が
あります
地球が1回自転するのが、地球の1日で、太陽の周りを公転するのが地球の1年
そして人間にとっての1日は、猫にとっての2日に相当するとか…
これらは物理的空間的な動きを、時間という尺度で表していますが
楽しい時間があっという間に過ぎたり
我慢の時間がやたらと長く感じたり…
これらは心理的な時間
時間の尺度は物理で測り
時間の重さは心理で表す
と言えるでしょう
ここで書きたいのがリズムについて…
例えばバイオリズム(BIORHYTHM)
バイオリズムとはカラダ・感情・知性の周期を言うコトバです
何故バイオ・リズムなのか?
人は感情だけを見ても、規則的に笑ったり怒ったり泣いたりしません
不規則な畝りがあるからリズムというわけで、規則的なら「バイオ・テンポ」でも良いわけだし…
リズムには重さや軽さ、粘りや跳ねるなど…畝りがあるもので、だから弾けるリズムなどと表現するわけです
しかし日本ではリズムについて、規則的テンポと混同していることが多い気がしていて
リズム感がある無しを、規則性に合わせられるか?を基準に考えられたりするんですよね?
だからスポーツ系リズムトレーニングは(それそのものは批判や否定しませんが)、一定のテンポに合わせる練習体系が多く感じます
カウントを1.2.3.4のアタマか、せいぜい1&2&3&4の裏打ちくらいで…
点と点の当てどころばかり
むしろ大事なのは点と点の「間」なんですよね
だからスポーツリズムというより、「スポーツテンポ」と言う方が正解な気が…
(あくまで個人の意見です)
日本のダンスレッスンなども、テーマパークジャズとかチアダンスなど(あとフィットネス系も)、点の当てどころに動き(ポーズの決めなど)をはめるから…リズミカルな様で一本調子なものが多かったり
かといってコンテンポラリーやモダンなどには、点の当てどころがぼやけて「間延び」したダンスもあったり
点と点の「間」は時間的・空間的な通り道
間(通り道)を畝ることが質量のあるリズムだから…間(通り道)こそが、大切だと想うんです
間違いは正に「間」違いということ
間(通り道)の畝り方、跳ね方、弾み方をノリとかグルーヴというのだとも想うのです
ダンスだけでなく…パントマイムや歌、それから武術などにおいても、動きの通り道を丁寧に辿ることが上達に必要不可欠です
止まる動きやスローな動き
ミディアムからクイック…
それらのギアをコントロールする為にも、極力ゆっくり動く練習が大切なのに
トレーニング系の動画や
ダンスレッスン動画なども
通常モードの一定のテンポで動くものが多いけど
速度に緩急がないから、練習した動きの精度が上がらず…
ただ動きに「慣れた」だけのことを「上達した」と勘違いして
違う環境(違うタイプの振付家の動きなど)では、適応出来なかったりするのです
本当の意味で基礎があれば、同じジャズダンスなら、違うスタジオで違うタイプの振付でも適応出来るはず
それが基礎というもので
基礎は根であり幹だから
内功(内的エネルギーで動く)を重視する武術には、パントマイムの様に静止し続けたり(站椿・立禅)、スローモーションで動く練功があります
そういう稽古をするから動きの速さだけでなく、反応の捷さも磨けるわけで
逆説的な様で、これは中身の通り道=間を大事にしているということ
立つだけの站椿(立禅)の稽古を長年しても、「まだわからない」と探求し続けて…簡単には教えない人が多いのも納得出来るし
外側の動きがシンプルな分、内功(内動・内勁)がそれだけ高度だということ
その内功(内動・内勁)をベースにして動くから、武術の型なども簡単そうな動きに濃密な中身が見えるのです
それを理解せず…
站椿(立禅)や空手の型を、表面的な「姿勢作り」と称して指導するトレーナーさん達の動画などを観ると…
とても残念な気持ちになるのです
決して批判でなく、もし良さを理解して指導したいなら、まずはちゃんと自分が学んで本質を知るべき
表面だけを劣化コピーして、指導なんて指導対象に失礼だし
習う側が「簡単に!」「最速で!」効果を出したいのは良いとして
指導者が自らを熟成させないまま…ネタとして情報の表面を"仕入れる"感覚ゆえ、胡散臭い資格ビジネスが流行るのだと想うのです
熟成させないと、どんな分野でも本物にはなれません!
最近は昔ほどスローライフというコトバも聞かなくなりました
むしろ時短・タイパの時代
生き急ぎたくない私は、じっくりゆっくり日々を生きています
だから細胞が劣化しにくいと想うんですよね
生き急ぐ人=息急ぐ人は
人生の終わりまで最速で進んているのかも
間や通り道、リズムについて考察してみましたが…
これは深いテーマなので、続編を書くかもしれません!
超マニアック(間ニアック)ですが、また是非ご覧いただけたら幸いです
超長文にお付き合いいただき、ありがとうございました!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?