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ダンス表現に想うこと

色気には種類があります。

品があるセクシーさは、自然と滲み出るもの。
品の無い、単なるエロさとは全く違います。

ダンスにおいて…
そこがわからないと、露出して媚びた感じで踊れば色気が出る…と勘違いすることになりますよね。

シェアした動画の彼女のダンスは、かなりチェックしてるけど…大好きなのです。

○露出度が高くてもいやらしくない
○生き物としての滑らかさ
○鍛えられたカラダに音楽性
○無駄に攻めた感じが無い自然な引力
○佇まいが凛として品がある
○余計な承認欲求を感じさせない
○野生動物の様な存在感
etc

観ていて目が(ココロも)勝手に吸い込まれる様な…そんなダンスを、日本人でまだ観たことがないから。

いつか観てみたいものです。

彼女はベリーダンサーでも、トライバルフュージョンという…いわゆる、ベリーダンスのコンテンポラリーの人。
(Instagramのフォロワー数も凄いので、有名ダンサーなのですね)

伝統的なベリーダンスには、何人も知人の先生がいるけど…

個人的には、トライバルフュージョンの方が好きですね(知人の皆さん…ごめんなさい!)

ひとつはサウンドが耳心地良いこと。

ゴリゴリの伝統音楽は、瞑想的過ぎて馴染めないんですよね(聴いてて眠気を誘うから)

それとカラダの動きについて…

伝統派ベリーダンサーさんも上手い人は、見事な動きをするし、体験してみるとかなり難しくて…本当に凄いことしてるんです。

ただ(文化的にお腹が出てる人達が多いから…)、お腹を揺らして踊るのが、観ていて苦手なんです(文化の否定ではなく、個人的な嗜好)。

キレや緩急、ダイナミックさとメリハリ…がある動きの方が私の好み。それは音楽性とも繋がっているんですよね。

ハッキリ言えるのは、質感の素晴らしいダンスやダンサーは…ジャンルではなくて、あくまで個人。

個人がどう踊りに(表現に)向き合っているか?なのだと思います。

過剰アピールの媚びた表現に共通する、力づくな無理矢理感は苦手。

もっと言うと…背伸びした不自然さが引くというか…
(個人の否定・批判に受け取られたくないので、写真載せません)。

例えば…
競技ダンス(社交ダンスの競技=ダンススポーツ)も、外国人に成り切ろうとしてるのか、嘘っぽく見えちゃうんですよね(彼らなりの頑張りと想うけど、欧米人にはなれないから)

日本人らしい色気は…
出すものでなく、滲み出るもの。

そしてナチュラルで自然な方が、良さが出ると思うのです。

アメリカ先住民は、私達と同じモンゴロイド。

⬆️の動画の女性は、正に自然に溶けていて…本来の意味のスピリットを感じます。
似非スピの様な嘘臭さゼロ。

女性には巫女体質があるので、アジア人女性は「秘めた」色気を醸し出すのが合うのかもしれません。

三河万歳(まんざい)という祝芸。邪気祓いをするシャーマン(祈祷師)である。お笑いの漫才とは違うもの。

ここで稲吉家のルーツについて書いておきます。

稲吉の祖先は三河万歳(みかわまんざい)という、「予祝」の歌や舞をする旅の芸能一座でした。

歌や踊りなどの芸能で祈祷する、所謂シャーマン的な存在だったのでしょう。
(傀儡舞の一族との説もありますが、定かではありません)

土地や家の邪気祓いをするわけです。

「笑う門には福来る」というように、楽しい場に邪気は入り込めないということ。

歌や踊りのエネルギー…
人の生命が歓喜するパワー…
これらは、邪気が入り込めない「場」を創るもの。

私の祖先は陰気を陽氣に転換する、仕事をしていたのですね。

私は先祖還りして、歓喜の「場」創りをしているわけで…導かれたとしか言えません。

だから、今の芸能や舞台芸術に、少し違和感を感じているのです。

夢と希望を歌い上げながら、舞台裏は陰々滅々とした空気に満ちた芸能団体が、連日ニュースになっていたり。

私とは相容れない、真逆の価値観。

ダンス愛より自己愛が勝る人達とは、私は見ている世界が違うから。

自己愛で踊る人達は、自分を見せたいだけ…

だから表面的にカッコつけることを、踊りと勘違いしてるのです(それも否定しないけど)。

キッズダンスで、海外のコンテストに出てるグループの子供達等も。

何故かいかついメイクと衣装で、カッコつけていますよね?(指導者がそうさせている)

ナチュラルじゃないその嘘臭さが、私には生理的に無理なのです(それが時代性かもしれないけど…)

自己表現は、自我表現とは違います!

自分と向き合って、己の深い世界を開く(拓く)のが本当の自己表現。

恥ずかしさを力づくで取り繕い、表面的にカッコつけるのは、「こう見られたい」という欲の自我表現。

自我表現の世界は、エゴがぶつかるから邪気が溜まるのです。

「舞台には魔物が棲んでいる」と昔から言われるのも…

エゴのエネルギーが生霊になった様なものだから。

猫のミュージカルで有名なあの劇団も、あざみ野に移転する前の昔の稽古場には、出るという噂があったそうですね(都市伝説ですけど…笑)

歓喜に満ちた自己表現なら、舞台は澄んだ世界になるので、そうした魔物とは無縁の世界。

場の次元は、人の意識やエネルギーで変容します。

踊りという太古からの文化は、アニミズム(自然信仰)と共にあり…

やがてARTやエンターテイメント・市民カルチャーに変化しましたが…
ダンスの本質は普遍ですね。

縄文人もアフリカ人も踊ってきました。

海洋民族は海の神々に祈り、山の民は山の神々に祈り、そして踊りました。

私は歴史学者じゃないけれど…人類の歴史と同じくらいダンス(と音楽)の歴史はあると思っています。

言語以前のノンバーバルコミニュケーションから発展したのが、ダンスだから。

少なくとも歴史の文献以前から続く歴史を考えると、現代の○○ダンスが人類最古というのはあり得ません。

人類がアフリカから誕生したとしても…

アフリカには54の国があり、南アフリカのキンバリーだけでも12近い部族が存在し、その部族ごとのダンスがありますから。

争いで消滅した部族の存在も含めると、どの部族が古いとは定義出来ないのです。

ましてやグレートジャーニーで、人類が世界に分布した歴史を考えると、現存するダンスで何が最も古いかは、誰にも決められません。

近代史に目を向けると…

ballet(バレエ)という舞踊劇の名称のルーツは、ball(ボール)と語源が繋がる様で…
おそらく弾むという意味でしょう。

古代イタリア語やラテン語で
ballare(バラーレ=踊る)
⬇️
ballo(バッロ=踊り)
から派生したので、最初にball(ボール)の文字があるから信ぴょう性が高いと思います。

スタイルは現代のバレエに進化しても、そもそもが弾む感じなら、踊る=躍る(躍動)なら、人々は歓喜して踊り…

やがて手を取り合い、そして輪になって踊ったのでしょうね?

自然と踊り
誰かと踊り
円輪で踊る
エネルギーは循環し高まるのです。

それを自然に還すことが、祭り(祀り)であり、祈りだったはず。

これは世界共通🌏🌍🌎と言えるでしょう。

何故なら…
地球は廻るから。
銀河も廻るから。

つまり踊りは自然そのもの。
スーパーナチュラルな、スピリットの表出なのです。

そう考えると…
承認欲求が見え隠れする、自己陶酔の「似非スピ瞑想系ダンス」は、正に自我表現。

偽物の奉納舞は「冥界のダンス」と言えるでしょう。
(実際、低予算発表会ビジネスだろうし)

本物のスピリットとは次元が違いますね。

9年前に私は「地球と踊れ!」というイベントを過去に2回シリーズ開催しました。

様々な国のダンスやカルチャーをストーリーで繋げた、踊る祭典です。

ああいうコンセプトで、またダンスイベントやりたいですね!

2014年の「地球と踊れ!」
ウクライナのベリーダンサーLanaさん、ガーナのテテさん(パーカッション)やコンテンポラリー、パントマイム、バトントワリングなど、多彩なゲストと行った公演です。

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