見出し画像

紅筆伝 1-4

←前へ  次へ→

第一章 一話へ


   四
 
 
 その書店は、少し変わっていた。
 タチバナの経営する「筆の森」と、いう店は、神保町の奥まった場所にひっそりと佇んでいる。
 小じんまりとした外観、青い屋根には「筆の森」と印字されていた。店はガラス張りなので、中は見えるが薄暗い。扉には、丸いステンドグラスがはめこまれている。その下にかかっている札には、「開店」の二文字。
 「本当にここですか?」錦は、真子を背負ったまま、その店を見下ろすと、いぶかしそうに聞いた。真子は、にっこりと笑って、錦の背中から飛び降りる。
 「なっ」声にならない叫びを、二匹同時に上げた。ここは、まだ地上十メートルの高さである。
 八枯れは、舌打ちをして、猫の体から抜け出すと、大きな腕二本で、真子の体を抱え、ゆっくりと地上へ降りた。それと同時に怒号を上げた。
 「馬鹿なのか!お前は、赤也と違ってただの人間の子供なんだぞ」
 「馬鹿なのは、お前ですよ、鬼。赤也も、真子も人間です」
 呆れた声を出して、ゆっくりと降りてきた錦は、下賤なものを見るような目で、八枯れを見下ろした。のちに、にこにこと笑っている真子を見て、ため息をついた。
 「真子、ダメですよ。無茶をしては」
 「だって、みかんちゃんに早く会いたくて」
 そう言って八枯れの腕の中で、にこにこと笑い続ける真子に、錦は仕方がない、と微笑を浮かべていた。しかし、それが気に食わないのか、八枯れは、真子を地上に下ろすと、ふん、と鼻を鳴らした。
 「貴様の無鉄砲さは、赤也や登紀子どころじゃないな。さすが、タイマの血筋と言うべきか。まったく、喜べん」
 ぶつぶつと、文句をつぶやきながら、脱ぎ捨てた猫の亡骸の中に戻っていった。真子は、猫に戻った八枯れを抱き上げて、店の扉の前で、目をこらして、下がっている木札を読み上げた。
 「しまり、みせ?」
 「閉店だ。この店は開いていない」小学生なら、漢字ぐらい読めるだろう。と、八枯れは呆れて、ため息をついた。
 「でも、中には、いるんでしょ?」
 そんなものわしが知るか。八枯れは心底げんなりした声を上げたが、錦の尾で頬を叩かれ、弾みで地上に落下した。
 「貴様、さっきから、黙っておれば、図に乗りおって」
 「ふん。良いから、お前はさっさと真子の安全を守りなさい。私は一度屋敷に戻って、今後の対応を赤也に聞いてきます」
 「馬鹿め。赤也が居なければ何もできんくせに」
 「それはお前も同じですよ」
 二匹はしばらく睨みあい、今にもぶつかりあいそうになっていた。その時、「みかんちゃん!」真子の明るい声と同時に、店の扉が開いた。
 「君たちは、何をやってるんだ」そこには、タチバナの呆れた目が、八枯れ達を見つめていた。


      五へ続く


サポートいただいた、お金はクリエイター費用として、使用させていただきます。 いつも、ありがとうございます。