星を採る少年
今夜も、少年のひと仕事がはじまります。
月長石の河原を、三日月を模した小船を少し頼りない腕で押しながら、天乃河(あまのかわ)へと進みます。
少年の仕事は、宙の星を採ることです。
少年はいつどこで生まれたのか、親は誰なのか、
一体何故この仕事をしているのか誰も知りませんでした。
少年自身も、それは知るところではありませんでした。
ただ気づいたら此処にいて、子羊が生まれてからすぐに自然に立ち上がるように、自分というものと、自分が何をすべきかという役目も、理解していました。
毎晩月の出る頃になると、小舟の上から網で天乃河に浮いてくる死んで軽くなった星々を掬い、全ての主である月に献上しに行くのが、少年の仕事です。
少年の他にも、違う役割をこなす人々がいます、天の白鷺の雪のように、清純な麗白の羽で雲布を織る者、他の天体を飲み込もうとする大食らいの狼に目を光らせる者、
天の運行がきちんと行われているか記録をとる者、
これらの人々は宙人(そらびと)と呼ばれ、少年と同様に自分の役目以外の何もかもが、はっきりとわかりませんでしたが、同時に自分には。この役目を延々と果たす義務が、魂に刻まれていることを理解していました。
この宙人の中には、我らはこの銀河の事柄が正しく行われるよう、月の主人が作った道具のようなものだ、だから自身がどこから来たのか、何故この仕事を課せられたのか、
疑問に思うことはあっても、苦痛には感じないのだ、と言う者がありましたが、結局のところそれが本当なのか誰にもわかりません。
ちゃぷちゃぷと音を立てて、小舟が天乃河の水の上を浮かんでいきます。まだ死んだ星は見つかりません。
天鵞絨鳥(びろうどちょう)の群れが可笑しな鳴き声で、天乃河の小島に生えている木から木へと、飛び移っています。
小舟は漕がなくても前へ進んでいきます、死んだ星々を今か今かと心待ちにする月の主人の引力で、引っ張られているのです。
少しばかり曲がりくねったところへ出ると、ようやく少年は、水面にぷかぷか浮いている星の欠片を見つけました。小舟を傾かせながら、網で片っ端から掬っていきます。
星の欠片は、水から引き揚げられた途端に輝きが薄まり、蒼色の口の狭い瓶に入れられるとコロン、と金平糖のような軽い砂糖菓子が、硝子面にぶつかった音を出しました。
少年はそれを確認すると、瓶を下へと置いてまた周りを見渡し始めました。銀色の鱗を持った魚が気まぐれに水面から飛び出して、体中に空気の泡をつけて遊んでいます。
どうやらこのあたりには、もう拾うべき星がないことを確認すると、少年は自然と動き出した小舟の揺れに身を任せながら、ぼんやりと先に見える光を見つめました。
行く先に見えた光は、蟲が出していた眩惑光(げんわくこう)でした。蟲たち(地上の虫に例えると少し青みがかった大きい螢によく似ています)は繁殖期特有の興奮した動きで、小島の木々の間を、思い思いの相手を見つけるために飛び交っていきます。
運良く番を見つけた雄は、口から糸を吐き出して雌をベールのようにくるみ始めて、すっかりその姿が見えなくなるまで大事に大事に包み込み、あとは繭から母体を養分として這い出てきた幼虫を確認すると、もう悔いがないように自らも、小島の苔むした地面へぱらりと落ちていきました。
天上の蟲は、地上の虫と比べると、交わって子が生まれるのが恐ろしく早いのです。この小島の周りは、蟲がたてる風のようなざわざわとした羽音と、もう幼虫が抜け出して住処でもない、樹の幹と葉に不釣合いな白い斑模様を残す繭だらけでした。
少年が、ただ呆然と蟲たちの様子を小舟から眺めていると、小島の木々の中に、蟲たちが残した繭をせっせと肘の籠へ放り込む少女の姿を見つけました。
少女は腰のあたりまで伸びる髪を太く編み込み、背丈は少年より少し大きいくらいでした。
少年がしばらく見つめていると不意に少女がこちらを見つめ返し、眉がどっさり入った籠を揺らしながら、小舟が止まっている(小島には縄を引っ掛ける杭もなく、小舟も自然と止まっているのでこの言い方が正しいのです)岸まで歩いてきました。
「あら、今日もそんな時間なのね。毎日毎日ご苦労さま。」
少女は、屈託のない笑みで少年に言いました。少年は少し気恥ずかしそうに少女から目線を外しましたが、
少女は、少年が無口な事を知っているので、気を悪くしませんでした。
「最近姿借りの布の注文が多くてね、ちょうど蟲達のお見合い時期だからてんてこ舞いよ」
少年と同じく宙人である少女には、光で人を惑わす蟲達の吐く繭を、一本一本生糸にして、被ると見たものが望ましい者の姿になる姿借りの布を織ることが役目です。
丁寧にまじないをかけて織られた、よく目を凝らさないと見失ってしまうような透明に近い布は、地上の人々の夢に潜る悪戯好きな精霊達の手に渡ります。
人がよく、自分の夢の中に好きな人が出てきただの、亡くなったはずの愛しい人が、夢の世界で会いに来てくれたと言うのは、この精霊たちの仕業です。
「夢から上がってきた精霊の土産話を聞くのは、楽しいからいいんだけどね」
少女は、腰に両手をかけて満足そうに呟きました。
少年が、どう返したらよいか考えあぐねて、少し決まりが悪そうにしていると、少女は思い出したように自分のワンピースのポケットにごそごそと手を突っ込み、右手に琥珀色の綺麗な棒つきの飴を取って、少年にそれを差し出しました。
「ごめんなさい、久しぶりにお話できて嬉しいけれど、そろそろ仕事に戻らなくちゃ」
そう言い終わらないうちに、少女はくるっと向きを変えて今度は木から離れたところにある骨組みのりっぱな機織り機のところへ走って行きました。
その近くには、繭から生糸にしたものを、丸めた糸玉や、長い板に巻き付けられた糸が、大きい籠の中にお行儀の良い犬のように入って、少女を待っているようでした。
少年が、お礼を言いあぐねているうちにもうどんどん離れていってしまったので、少年は会話の返事を無理して考えなくていいいことに安心しましたが、同時に少し名残惜しい感じもしました。
少年は、仕方なく包み紙から飴を取り出し、口の中に放り込みました。また周りに星がないかきょろきょろ見渡し、小舟が、光を確認できた方にゆっくり進み出すと、少女が仕事をしているであろう方向へ、振り向きました。
少女は、もう少年のことなど忘れてしまったように、ただひたすらカタコトと、規律正しい動きで機を織っています。小島の周りには、蟲のざわめく忙しない羽音と、天乃河を小舟が進む静かな音、それに加えて少女が布を織る耳に心地よい音が、響くだけでした。
少女と別れてからしばらく少年は、川を進んで少しずつ増えてくる死んだ星をかき集め、小舟の上をあっちにいったりこっちにいったりして、たまに小舟の淵ギリギリまで星に届きそうで届かない網を伸ばそうとして、川の飛沫を手先や顔に食らったりしていました。
あくせく動いているうちに手も痺れ、飴を舐めている舌と顎も疲れてきたため、少年はだいぶキリのいいところで小舟に座り込んで、掬いとった星たちを次々に小気味良い音を立てて、瓶へと入れ始めました。
その時にふと、もう一回飴の綺麗な琥珀色を眺めてみようと、口から棒つきの美しい飴を取り出しました。少年は棒を掴んで、光に透かすようにまじまじと見つめました。とろりと水気を帯びた飴は、改めてみるとより一層美しい気がしました。どこかの国の、空気の澄んだ山々の祝福するように美しい夕日を切り取って、水晶のドームで包んでしまったと言えば、誰も彼もが信じてしまうようなありさまでした。
そのようにしばらく眺めていると、少年は飴の中心、棒の軸より少し手前に、なにか黒い、美しい夕焼けの風景にはおおよそ似つかわしくない、靄のようなものが入り込んでいることに気づきました。少年がよくよく目を凝らして見ると、まるで黒い羽虫が、琥珀に閉じ込められているようにみえて、さっきの小島を飛び交っていたものを思い出してぞっとしましたが、少年の驚いた心に反応したように、いきなり不自然に、黒い靄は消えてなくなってしまいました。
少年がはあっけに取られましたが、すぐに飴をくれた本人が術とまじないが得意であること、悪戯好きな精霊の話を喜々として聞くくらいには、本人もまた悪戯好きであること思い出して、怒るよりはむしろクスッと笑ってしまうような気持ちになりました。
飴をすっかり舐めきってから、少年は自分が集めた瓶の中の星を眺めました。月の主人に差し上げるには、もう少しで足りそうな量です。少年は何回もした慣れた動きで、周りを確認し、前方に星の群れた輝きを見つけると、小舟も承知したように、そちらの方へ動き出しました。
燦々と輝く光の方へ着くと、星の光とは別に、その近くの島が、全く異る様相の輝きをしていました。言うなれば星の光は、柔らかく包み込むような優しい光ですが、その島の光は硬いような、激しく威張って自分ひとりが光っていれば良いと語っているような、異質に煌めいていました。島は川もあり、山もあり地上の自然の情景をおおよそ集めたような、しかしどこか作り物のような、違和感が拭えませんでした。
少年は目の前の光二つをそれぞれ綺麗だとは思いましたが、なぜこんなにも光り方に違いがあるのだろう、と不思議にも思いました。しかし、その疑問に答えてくれるような宙人の番人は、この小島にはおりませんでしたし、もっと言うとこの小島には何人たりとも、降り立つことが禁じられている決まりが、あるのでした。
ただ宙人の中には、このぎらぎら煩い島は、月の主人の道楽か、また主人が妻である陽(よう)夫人にねだられて作り上げた、地上の石というがらくたをかき集めて作った庭園で、二人で作った宝物を、独り占めしていたいのだと噂を撒き散らす者もおりました。
実を言うとこの島は、月の主人が作り上げたことは本当ですが、囃したてられている噂とは真逆の事実があるのでした。
まだ地上に何もなく、人々が天乃河の星しか輝くものを知らないのを不憫に思い、地上の中にも美しいものを作ろうと主人が鉱樹というものを植え、銅樹の幹や枝は銅に、同じく銀樹からは銀を、金樹は金になり、石の華を咲かせて玉の実となり、年輪は綺麗な瑪瑙縞(めのうじま)になったのです。それを陽夫人が自分の身体の一部を分けた地球の中心から、すぐに壊れたりせず、美しさが永遠のものとなるように、熱と時間をかけて生まれるようにしたのです。言うなればここは二人の親神の、実験のための温室のようなものでした。
他にも水晶培養池、という糸の先端に小さな種水晶をつけて池に足らせておくと、池の養分がくっついて大きな水晶や色付き水晶に変わる池、生まれる前に死んでしまった竜の卵の化石の睡り(ねむり)場所、地上の大噴火と人々が存在を信じなくなったせいで、住処を追われた古代の生き物たちの魂を慰める場所などがありました。
実験の結果を確かなものにするためと、安心して休んでいたい生き物たちのために、島には降り立つことが禁じられ、いつも静かな風が吹いていました。
少年は、すっかり星たちを掬い取ってしまうと、もう一度今夜採れた星の量を確認して、これならば月の主人に満足してもらえると、ひとりごちました。
小舟は、飼い主の近くに来た犬のように、安心した緩やかな動きで、どんどん進んでいきます。ふと少年は川底に目をやり、その一点が今まで見たことがない光り方をしているのに気付きました。これはどうしたことでしょう。
もう月の主人の岸辺はすぐそこで、この川辺には光る魚もそれ以外のどんな生き物も、月の主人の冷え切った光で凍りついてしまうので、棲んでいません。少年は一点を睨みつけるようにして見つめ、手に持った網を固く握り締めました。少年がずっと見つめていると、驚いたことに光の点は大きくなって水底から水面に、何かが一直線に近づいてくるようでした。
光の点は、釦(ぼたん)のような大きさから、瓶の蓋、丸テーブル、荷馬車の車輪、のように丸い形のままこちらに向かってどんどんおおきくなり、いよいよその光の主の姿が水面に近づいてきたと思うと、勢いよく音と水しぶきを立てて眩く大きい光が、飛び出してきました。それと同時に、あたりは熱電球を触った時のように熱が蔓延り、真っ白な光が、あたりを包み込みました。
少年は、一瞬強すぎる光に目がくらみましたが、負けじと光の正体を見返しました。光はドレスを着た大きな女性の形をしていました。女性は面白そうに小舟の周りをゆっくりと回ると、今度は興味深そうに少年を見つめ返しました。少年はやっとここで、この光を放つ女性が、噂に聞く月の主人の妻、陽夫人であると気がつきました。
「星掬いの宙人ですね」
陽夫人の、ふっくらとした唇がゆっくり動き、聞く人の心に染み渡るような、暖かな声で言葉が聞こえました。
少年が呆気に取られていると、別に返事を求めていないのか、陽夫人は少女が初めて、金糸雀に触れるような手つきで、少年の小舟をすっぽりと、手で水面から掬い取ってしまいました。
「ね、私(わたくし)どうしても分からないことがあるの、貴方の仕事は、さっき言ったとおり、死んだ星の子たちを掬い取ってあの人に差し上げることでしょう?」
あの人というのは、紛れもなく月の主人のことでしょう。
「でも知っているのはそこまでなの、あの人は、死んだ星の子達を集めて、一体何をしようとしているの?」
陽夫人は、悪戯っぽく首をかしげて聞きました。
少年は、いよいよ返答に困ってしまいました。
ご存知のように、少年もなぜ自分が、この仕事をさせられているのか、この仕事の意味はなんなのか、集めた星々はその後どうなるのか、分かりません。それになんとなく月の主人にも聞くのを憚られるようで知り得ませんでした。
しかし、例え知っていたとしても、何故か陽夫人には教えないほうがいいようなことは分かりました。陽夫人は完全に、少年が逃げ出せないようにと、水面から小舟を大きい手で遮っています。
そこまでして知りたい問の答えですから、夫人好みではない返答の場合、何をされるか分かったものではありません。
ですがここでずっと黙っていても事態はよくなりません、少年は頭の中で、必死に答えとどうすべきかを考えましたが、何もいいものは浮かびません。それに普段、月の主人の頭上で輝くような冷たい光を浴びているため、陽夫人のような全てを包み込み暖かく、足元から登る光に体がどうしたらいいか分からず、このままずっと陽夫人の光を浴びていていいものか、不安が大きくなっていきます。少年の不安をよそに、陽夫人は、早く答えを知りたいと、子供のように目を輝かせています。
しばらく、そうやって少年と陽夫人が見つめ合っていると、岸辺の方から重たい扉が軋む音と、それと同じくらい重々しい足音が聞こえてきました。陽夫人が、少年の小舟をそっと水に戻し、少年は、今度は音の主を確かめるように後ろを振り向きました。見ると岸辺にある重厚な石造りの扉が開き、中から金のサンダルを履いた月の主人が出てきてこちらにむかって歩いてくるのでした。
月の主人は、白の法衣と金のサンダルを身に付け、立派な彫像のような白いふさふさした髭を揺らしながら、岸辺の砂浜まで来ると、深いため息を一つ漏らしました。
「我が妻よ、その宙人に聞いてもその子は心得ていない、それに宙人の仕事については、私に一切を任せる約束だったではないか」
月の主人は伴侶に怪しまれていたことに、がっかりしたような口ぶりで話し始め、それを察したように陽夫人はこれ以上散策しないほうがいいと見切りをつけたようで、
「分かりましたわ、貴方のしたいようにさせていたもの、これからもそれで良いのよね」
と言うと、くるりと向きを変えて、ざぶざぶと川底に入っていきます。首のあたりまですっぽり埋まってしまうと、少年の顔を見つめて、
「それではね、小さな宙人」
とそれだけを言って、とうとう顔まで水に浸かって、今度はゆっくり川底に沈んでいきました。
陽夫人の明るい光が、完全に見えなくなると、月の主人はもう一度、大きなため息を吐き出して、言いました。
「あれは、とにかく甘すぎるところがある。お前の仕事の本当の意味を知れば、嘆き悲しむかも知らない、いや手がつけられないほど怒りだして、この天乃河の水を全て渇き上げさせてしまうかも知れぬ」
少年は驚いたように、月の主人を見返しました。
「お前もそろそろ知っていたほうが良いかもな」
そう言い切らないうちに、月の主人の大きくて皮の厚い手が、少年を撫でで労うように、頭の上にぽんと優しく乗りました。そして反対の手で、小舟の瓶を掴むとそれを逆さにして、一つずつ丁寧に星を、少年を撫でていた方の手のひらの上に取り出し、
「実はな、私は死んだ星達を、喰らっておるのよ」
と言い出しました。
たちまち、手の平の星の山が溶けたように消えてなくなり、稲妻の轟く光に、轟音が遅れるようにして、星の微かな光の靄も、綺麗さっぱり消え去りました。月の主人は続けます。
「私の光から生まれた星屑達は、地上の人の子らの願いを聞き入れて輝きを増し、命の灯火が燃え尽きるその一瞬に、一つだけ願いを叶えてくれる。死んだ殻を私が喰らってその輝きから、また星が生まれる。夫人が聞けば、人の子にも星の子にも、酷いことだというかも知れない」
「だが人々の願いが無数に叶えば、星を尊いと思うこともなく、人々の心の純度も濁るだろう。人の思い信じる心を糧にしなければ、私たちもまた存在できぬ、それがずっと繰り返されてきた、この宇宙の原理だ。」
そう言い終えた月の主人の横顔は、寂しいような悲しいような、だけれど少年が知っている限りの言葉では、言い表せない表情をしていました。しばらくそうして、ぼうっと立っていた月の主人が、何回目かのため息を吐いて、岸辺の扉の方へ歩きだしたのを確認すると、少年も三日月の小舟に乗り込みました。月長石の河原に戻るため、今度は来た道順を逆に辿っていきます。幾度も繰り返し、また明日からも始まるであろう勤めの始まりの場所に帰って、次の夜の闇が沈んでくるまで、ただひっそりと休みながら待つのです。
少年はただ黙って目をつむり、見たこともない、恐らく自分が消えるまで、知り得ることがないであろう、地上の人々に思いを馳せました。
今夜の少年のひと仕事は終わり、また遠くで、魚が飛び出す音が聞こえました。
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