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獣吼の咎者:~第一幕~潜む牙 Chapter.5

 夜のとばりが下り、世界は見慣れた闇と染まった。
 天空の黄色い単眼が、よくマッチする悪夢的情景だ。
 クイーンズ西南に位置する名所〈フラッシング・メドウズ・コロナ・パーク〉──。
 ニューヨークシティ全体で、三番目に大きな規模を誇る巨大公園だ。国道〈グランド・セントラル・パークウェイ〉をまたいで存在しているのだから、その広大さは推して知るべし。此処だけでも数区画分程度の広さは優にある。
 公園内中核に鎮座する半壊形状の地球儀は〈ユニスフィア〉と呼ばれるシンボリックオブジェ。約三十六メートルもの円周が、殊更ことさらに特異な存在感を示した。まるで天空の黒月こくげつついだ。
 その他、旧暦時代には『全米オープンテニス大会』の会場として名高かった〈USTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニス・センター〉も、此所の敷地内に存在する。
 旧暦一九三九年と一九六四年の二回に渡って『万国博覧会』の会場に選ばれた偉業にも在った──闇暦あんれきでは何の威光もさないが。
 ともあれ、軽く別空間と機能するほどに広い。
 北方向と東西方向に枝分かれ分岐した〈グランド・セントラル・パークウェイ〉を、敷地内で縦断に挟んだ西方向には〈クイーンズ動物園〉が設けられている……いや「いた・・」と言うべきか。
 闇暦あんれき現在では、とっくに廃止されていた。
 当然である。
 そんな娯楽を人間に残してくれる〈怪物〉などいるはずもない。
 してや、ニューヨークを支配するのは〈獣人〉の群勢だ。
 獣を見世物と飼育する施設が面白いはずもない。
 領地支配が及ぶやいなや、真っ先に解体されたのは当然の流れである。
 そして、その跡地には新たな建築物が陣取っていた。
 無機質なコンクリートで形成された無愛想な灰壁。飾り気も洒落っ気も皆無な機能感だけが外面をいろどりながらも、目算一〇メートルはあるであろう高さは威風にそびえる。
 この構築が周囲延々と続いていた。
 動物園敷地の中核と据えられているのだから、とにかく規模は駄々広い。ちょっとした城塞に見えない事もない。
 クイーンズ新区役所──つまりは〈牙爪獣群ユニヴァルグ〉幹部たる〈クイーンズ区長〉が根城と構える拠点である。
 無論、区長だけではない。
 彼女配下の〈獣人〉が雑多に勤務している。
 早い話が〝巣窟〟だ。
 例え、呼び名を虚栄に飾ろうとも、本質は摩り替えられない。
 その区長室は、最上階一画に設けられている。
「ふぅ……意外と処理があるわね」
 デスクに積まれた書類を疎ましさに一瞥いちべつし、クイーンズ区長〝アナンダ〟は眼精疲労をねぎらった。
 黒い長髪が似合う美女で、やや凹凸おうとつに乏しい顔立ちからはアジア系の匂いが漂う。一見にはしとやかつインテリジェンスな印象にあった。到底、野卑な〈獣人〉とは想像も出来ない。
 区長室の内装は、彼女の背後に大きなまど硝子ガラスが有るだけで閉塞的だ。身分相応の値を張るインテリアで飾り立てているものの、ぜいを誇示する低俗な派手さにはない。
「近隣諸国の牽制と動向注視・区民たる〈獣人〉の定期的食料確保政策・旧暦建築物の増強と淘汰・対デッド防壁の拡張計画──これら総て見積りして政策方針を定めねばならないなんて……まったく、旧暦の政人でもあるまいし」
 とは言え、こなさねばなるまい。
 マンハッタンからの市長指示は絶対だ。
 同時に、盟主命令でもあるのだから。
「ホント、管理職は大変ね? いつの時代も」
 唐突として向けられる空々しい同情!
 自分以外には居ないはずの部屋に……だ!
「だ……誰っ?」
 得体知れない焦燥に正体を探り追う!
 だが、必死になるまでもなく居場所を見定めた。
 雲間から射す青暗い月明かりが、それ・・を浮き上がらせる。
 正面の接客用ソファだ。
 深く背凭せもたれながらに腰掛けていたのは、フォーマルスーツ姿の若い女性。
 特に気構える様子も無く、余裕をはらんだリラックスをかましている。卓上にあるウィスキーを勝手にたしなみつつ……。
「ハァーイ★」
 発見されるのを待っていたとばかりに、彼女は顔脇でウイスキーグラスを揺らした。かちわり氷をカランと鳴り奏でる。
「アニスの情報ドンピシャ。聞き出してなかったら、旧区役所へ向かっていたところだったわ。うん、今更ながら〝聞き込み〟って大事 ♪  」
 意味不明な自己納得をさかな一口ひとくちふくむと、不審者は左壁一面に据えられた棚を眺めた。
 そこにはウイスキーボトルがズラリと陳列されている。
「にしても、ずいぶん良い酒を揃えてるわね? ザッと五〇本程度? コレクター? ま、管理職はストレスも多い……か」
 ひとり納得にグラスを飲み干す。
 まったくもって不敵な態度であった。
 そこには自信めいた余裕しか浮かんでいない。
 だから、アナンダは軽く慄然を覚えるのだ!
 いつからいた?
 何処から来た?
 何故、そんなにも不敵で構えていられる?
 目的は何だ?
 そして、何者・・だ?
「な……何なの! 貴女あなたは!」
「〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉──知らない?」
「じゃ……じゃあ、貴女あなたが!」
「そ★」
 おちゃめなウィンクで簡潔に肯定。
「無差別殺戮者……我等〈怪物〉の天敵・夜神冴子!」
「……嬉しくない讚美ね」
 一転して不服な憮然面ぶぜんづら
 よもや〈人喰い怪物モンスター〉から揶揄蔑称されるとは思ってもいなかった。
「ど……何処から?」
「下がダメなら、上からってね」
「屋上から? この高さで、どうやって?」
「企業秘密です」と、温顔にっこり。
 実際のところ、それこそ〈戌守いぬもりさま〉頼りだ。
 職業柄、運動神経には常人越えした自信がある。
 塀や壁を伝って内部潜入する事自体は造作も無い。
 事実、幾度となく暗殺もこなしてきた。
 が、こうした拠点で一番厄介なのは〝発見される事〟である。
 これだけは細心の注意を払って回避せねばならない。
 例え雑兵ザコ一人ひとり足りとも……だ。
 仮に発見されようものなら、あれよあれよと銃弾交える大混戦へと発展する事は必至だ。
 隠密行動どころではない。
 だから、この大事は〈戌守いぬもりさま〉に御願いして、屋上まで一気に飛ばせて・・・・もらった。
 さすがに長時間飛行は無理だが、瞬間的な跳躍飛行程度なら可能だ。冴子自身に視認は出来ないが、さながら〝浮遊オーラをまとった感覚〟か。少なくとも〈戌守いぬもりさま〉が身体を包み込んだ感覚だけは感じる・・・
 種を明かせば、例の『ヘリコプター墜落バンジー』で無事だったのもこの手・・・るものであった。でもなければ、あれだけの大惨事から無傷で生き延びられようはずもない。
 して酔えもしなかったグラスをコトリと卓上へ置くと、冴子は静かなる戦意を帯びた抑揚で交渉を切り出した。
 交渉?
 いな、違う──これは命令・・だ!
「あなたが、現クイーンズ区長〝アナンダ〟でしょ?」
「だ……だったら、何!」
「だったら、洗いざらい喋ってもらうわ──組織の実態──盟主の正体──そして〈獣〉と思わしき容疑者────」
「〈獣〉?」
「……教会、孤児、八人」
「何の事!」
「あ、知らないんだ? だったら、いいわ。あなたは情報供述してくれるだけで。白羽の矢は、こちらで立てるから」
 ふところから銀の銃口じゅうこうを抜き構え、冷淡が宣告する!
「ぶっちゃけ、誰でもいいし」
 そう、誰でもいいのだ。
 適当な石を投げ込んで、大きな波紋を立てられれば……。
 行動・・さえ起こせば、少なくとも停滞していた状況に進展の流れは働き掛ける。
 それが〝アタリ〟か〝ハズレ〟かは別としても……。
 だから、誰でもいい・・・・・
 仮に〝アタリ〟なら、一石二鳥だ。
「クッ!」
 絶体絶命を観念したか、女性区長ターゲットは戦闘意思を固めた!
 変身!
「くふぅ……フッ……フッ……ぁぁぁああっ!」
 苦悶にのたうちながら肢体が痙攣を踊る!
 波打ちにひずむ肉!
 はだけていく裸身!
 そして、変質に包んでいく表皮!
「……エロいんだかグロいんだか分かりゃしないわね」
 うんざりとこぼしながらも、起立に身構えて律儀に待つ事とした。
 別に撃ってもいいが、さすがに卑怯者みたいで気は引ける。さすがは『武士道』の国民性だ──と、軽く自虐。
 何よりも正体を見極めたい安い好奇心もあった。
 はたしてメキメキと変貌をげた姿は、醜怪しゅうかい極まりない異形!
 全身をびっしりとおおめる緑鱗!
 目鼻の凹凸おうとつが退化した平面顔は剥き出しに鋭歯を噛み締め、大きく見開かれた目は人間のそれ・・とは異なり顔半分をギョロリと占めている。感情乗らぬ瞳はわずかな共感をも排除し、ただひたすらに生理的嫌悪感を刺激した。
蜥蜴人間リザードマン? いや〈蛇女〉か……あるいは〈爬虫人間レプタイル〉と呼ぶべきかしらね?」
 冴子が、そう皮肉をくくるのも当然だろう。
 その醜怪しゅうかいな容貌は〝蛇〟と呼ぶには異質過ぎる。
 とりあえず下半身の蛇体だけが〝蛇〟としての体裁を主張しているが……。
「ハズレ……か」
 捜しているのは〝狼〟だ。
 爬虫類ではない。
「シュロロロロ……」
 長い黒髪を振り乱して、爬虫類ヅラが威嚇を向ける。
 チロチロと小飼動物のように踊る割れ舌。
 なまじい、頭髪のような人間的要素が残るだけに、グロテスクさには拍車が掛かった。
「って言うか、話せるんでしょうね? 会話が成立しないんじゃ無駄足だけど?」
 いささか不安になる。
夜神ヨガミ冴子サエコ……」
「あ、喋れた。うん、それならオーケー ♪   オーケー ♪  」
 一般人なら悲鳴を上げて逃げ出すであろうおぞましさでありながらも、冴子はまったく動じていなかった。
 慣れたものである。
 あるいは、場数に慣らされた。
ムベキ暗殺者アンサツシャ──幾多イクタモノ〈怪物カイブツ〉ガ、貴女アナタニヨッテホウムラレテキタ」
「嫁入り前の娘を〈怪物〉みたいに言わないでくれる?」
 両手構えの銀銃をチャキリと引き締める。
 いつ発砲しても良いように。
「ケレド、イツモトオナジトオモワナイコトネ。此処ココハ〈牙爪獣群ユニヴァルグ〉ノ領地リョウチ……他国タコクノヨウナ矮小勢力ワイショウセイリョクトハチガウ。貴女アナタゴトキ、巨竜キョリュウ足掻アガ蟷螂トウロウオノギナイ」
饒舌じょうぜつな爬虫類ね? かしこぎて〝レッドスネーク〟もビックリだわ」
「……ナニ?」
「知らない? 旧暦のお笑い芸人さん★」
 低俗な挑発をウィンクで締める。
「シャアアアァァァーーーーッ!」
 露骨な侮蔑と捕らえたか、蛇女の方から口火くちびを切った!
 地滑りに怒濤どとうと化す蛇体!
 下半身は止めどない圧に上半身を押し出す!
 剥き出す毒牙!
 迫り来る鋭爪!
 発砲!
 同時に冴子は後方跳躍に間合いを開く!
 刹那、対応を取ったのは彼女だけではない!
 アナンダもまた、直角に上体の軌道を逸らして回避した!
 再び距離を置いた反目が火花を散らす!
無意味ムイミコトヲ……銃弾ジュウダンナドナン意味イミサナイワ。我等ワレラ獣人ジュウジン〉ニハ!」
「あら、そう? コレ、銀弾・・よ?」
「ナラバ、相手アイテワルカッタワネ……ワタシハ〈狼男ウルフマン〉ジャナイ!」
「ふぅん? 試してみる?」
無知過ムチスギルッ!」
 しだれ襲い来る!
 が、臆する事もなく〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉は構えるのだ!
どっち・・・が!」
 火を噴く銃口じゅうこう
 銀光の弾丸が右肩をつらぬいた!
「ガァァァアアアアアーーーーッ?」
 激痛が蛇怪へと刻まれる!
 さらに左腕への射撃!
 たまらぬ苦悶にぬめる緑は暴れ狂った!
 八つ当たりにも似た錯乱が、高価なインテリアを容赦無く破壊していく!
「ついでに、オマケ」
 下半身の腿部を狙い撃つ!
 四発だ!
 何処が〝腿〟なのかは知らないが。
「ィギヒィィィイイーーーーッ!」
 あまりの拷問に、もはや直立さえも維持出来なかった!
 転げのたうつ物体は、確かに〝蛇〟そのものに映る。
 さながら〝断末魔にくねる蛇〟だ。
 気色悪い。
「あなた、喰らった事無いでしょう? だから〝銀弾は〈人狼〉の弱点〟と思い込んでいた。それこそ〝先入観〟ね。生憎あいにく〈銀弾〉は、総ての〈獣人〉に有効打なの……何故か解る?」
「ガアァァ……ッ!」
 無様な苦悶が暴れる。
 興味は無い。
 処刑の銃口じゅうこうは、微塵の感慨すらもいだかぬまま講釈を続けた。
「古来より〈銀〉は、ギリシア神話にける月の女神〈アルテミス〉の属性金属。そして〈アルテミス〉のもうひとつの顔は〈狩猟の女神〉──あらゆる動物に絶対的な支配力しはいりょくを持つのよ。だから〈獣人〉は〈満月〉から狂気ルナティックを感受して、高揚に変身する。逆を言えば〈アルテミス〉の神性にはあらがえない。ま、要は〈吸血鬼ヴァンパイア〉に対する〈十字架〉みたいなものよね」
「グゥゥ……夜神ヨガミ冴子サエコッ!」
 処刑人を睨み据える蛇怪。
 激痛は強靭な敵意で抑え込む。
 なるほど、我が身をもって思い知った──何故、たかだか〝人間の女〟ごときが闇暦あんれき支配層たる〈怪物〉達から危険視されるのかを。
 闇暦あんれきには稀有けうな〈神のちから〉──いな、もはや現世魔界には存在せぬと言ってもいい──それを、この女は有している。
 そして、それを〈牙〉として行使できる。
 おのれの〈牙〉として〈怪物〉へと向けている。
 仇敵たる〈神〉の喪失に歓喜の胡座あぐらを掻いていた〈怪物〉にしてみれば、これは看過出来ない危険分子だ!
 殊更ことさら牙爪獣群ユニヴァルグ〉にしてみれば!
 だから、蛇女アナンダは強く確信するのだ!
 仕止めねばならない・・・・・・・・・
「シャアーーーーッ!」
 奇声を吐いて、再び躍りそびえる蛇体!
 昇龍よろしくの立ち上ぼりではあるが、その姿は禍々まがまがしくも低俗だ。
「爬虫類はタフね」
 上から睨む邪視へと、動じぬ銃口じゅうこうを返す。
 緑鱗りょくりん巨槍きょそうが突進して来た!
 火を噴く!
 一発!
 眼前で交差した鱗腕りんわんを犠牲と防ぐ!
 肉をつらぬくも勢いは死なぬ!
 動揺が命取りになると知ればこそ、アナンダは〝痛み〟を殺せた!
 続けて二発目──「ッ?」──引き金の空鳴き!
 弾丸たま切れだ!
「チィ!」
 即座に横跳びで距離を置く冴子!
 間一髪、先程まで居た場所が爆噴に破壊されていた。
 緑の大樹による体当りまがいの特攻!
 ゾッとする破壊力ではあった。
「そっか……下半身に四発ブチ込んでいたわね。まさに無駄弾・・・を消費していたわ」
 少しばかり軽率さを悔いる。
 もっとも、復活するとは思っていなかった……そのため駄目押し・・・・だったのだから。
「普通は、銀弾八発もあれば勝敗ケリがつくけどね」
 巨大な蛇体が残骸をき乱して体勢を立て直す。
 ユラリと獲物へ振り向く異影は、立場逆転の好機を噛み締めていた。
(装填の時間を……みすみす待ってはくれないでしょうね)
 チラリと横目に盗み見るのは、少しばかり離れた位置に在る事務用デスク。アナンダ区長殿の愛席だ。威厳ゆえか、思ったよりも大きくガッチリした造りではある。
(数秒ののうには使えるか……気休め程度だけど)
 だが、はてさて、どのように実践するか?
 緊迫張り詰める対峙には、わずかな状況変化も起爆剤となるだろう。
 動けば襲い来る。
 が、動かなくても、いずれは襲い来る。
 反目の牽制にれた。
(あー……蛙の気分が分かるわ)
 自虐の軽口かるぐちを巡らせると、冴子は決断を下す!
 物陰目掛けた跳躍!
 やはり! 間髪入れずに大蛇が石火と迫った!
戌守いぬもりさま!」
 叫び呼ぶ守護!
 尽力及ばぬ時は、素直にすがれば善い。
 真っ直ぐに向いた〈信仰〉には応えてくれる。
 それが〈神〉と〝人間ひと〟の付き合い方だ。
 不可視の爪が舞う!
 卑しい鱗体りんたいを斬り刻む!
「ガアァァァーーーーッ?」
 突如として襲い狂う鎌鼬現象に、蛇怪は翻弄ほんろうされるがまま立ち尽くす!
ナニ? コレ・・ハ! ダレルトイウノ!」
 鋭利な渦中へと囚われた蛇身が赤霧を散らしまくった!
 不快に鼻腔を突く血臭の拡散!
 次々と四方八方から、見えぬ牙爪がそうが切り刻む!
 が、さすがに〈幹部ランク〉は伊達ではない。
 遅々ながらも傷口きずぐちは治癒効力を見せていた。
 切り刻む!
 治癒!
 噛み裂く!
 回復!
 キリがない!
 並の〈獣人〉ならば、すべも無くほふられていた。
 しかしながら、やはり〈幹部ランク〉は〝特別な存在〟と呼べるだろう。
 有象無象の〈獣人〉が結集した〈牙爪獣群ユニヴァルグ〉にいて、有無を言わさず君臨出来るのも納得だ。
 だから、しもの〈犬神〉も思うのだ──口惜くちおしいが、やはり〈霊体〉では物質的介入には限界がある!
 ならば、トドメは〈夜神冴子〉でなければならない!
 神秘なる銀銃ルナコートでなければ!
 身を隠した冴子は、即座に空薬莢からやっきょうを処理した!
 グリップ底部から引き抜いた装填用弾層マガジンと入れ換えに、懐中から取り出した新たな装填用弾層マガジンをセットする!
 数秒の時間勝負!
「御待たせ!」
 掛ける言葉は〈犬神〉か〈敵〉か。
 銃を構えた上半身が、卓の陰から姿を現した!
 定める照準!
 直後、背後の窓硝子まどガラスが噴き弾けた!
「ぅぐっ! な……何?」
 背に浴びせられる風圧に、射撃の構えが無駄に帰す!
 つぶてと吹き乱れる硝子ガラス吹雪ふぶきあらがいながらも、冴子は予期せぬ状況へと対応意識を切り換えていた。
(まさか護衛が駆け付けた?)
 一瞬、焦燥を覚える!
 さすがに多勢の〈獣人〉を相手取るのは避けたい!
 だからこその暗殺潜入だったのが、これでは水泡ではないか!
 やはり──冴子の危惧通りに、黒い影が突入して来た!
 月の逆光で潰されたシルエットは、それでも逆立つ体毛を刻んでいる!
 着地の余韻に上げた顔には、爛々とした赤い目が攻撃性を灯す!
(クッ! どっちを?)
 刹那の迷いが生じる!
 前門の蛇か!
 後門の新手か!
 即座に愛銃を構える!
 思考よりも本能が示したのは、新たなる介入者!
 が──「え?」──当の獣影じゅうえいは〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉には目もくれず、渾身の瞬発力で横を素通りした!
「オオオォォォーーーーッ!」
 繰り出す拳が打ち抜くのは、このクイーンズの区長!
「ガハッ?」
 予期せぬ奇襲に横っ面を殴り抜かれ、アナンダは吹っ飛ばされる!
 後方の壁に叩き付けられる蛇体!
 ガラガラとクレーター痕から剥がれるかのように、床へと崩れ落ちた!
「な……何?」
 まったく想定していなかった予想外イレギュラーな展開には、さすがの〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉も困惑を隠せない。
 コイツ・・・は……はたして〈敵〉か〈味方〉か?
 やがて射し込む月明かりが空気を鎮め、対象の容貌を克明にさらし出す。
 少女であった。
 大きな房に束ねた揉み上げが特徴的な〈獣人少女〉だ。
 さりとも、これまで見てきた〈獣人〉と異なるのは、その体毛が部位的に分けられている点か。
 胴体・前腕部・脛部・手足……要所には獣特有の濃毛が覆い生えている。だが、上腕や太腿といった箇所には、瑞々しい褐色肌が健康的な色花にのぞいていた。
 頭部にしても毛量が野性味任せに荒れ伸びてはいるものの、可愛らしい少女顔は素の状態を極力維持してき出されている。獣性を帯びながらも〝獣面けものヅラ〟ではない。
 そうした構成要素のせいで、あたかも〈獣毛の部分鎧〉のようにさえ映った。
 しかしながら、冴子は注視に見定めるのだ。
 大きく立った獣耳と、鋭角ながらもフサフサと実った尻尾──間違いない!
「……〝狼〟!」
 達成感にも似た高揚が〈|怪物抹殺者《モンスタースレイヤ「待ちなさい!」
「しつこい!」
 逃げ走るラリィガに、追い駆ける冴子!
 大公園〈フラッシング・メドウズ・コロナ・パーク〉全体が、追走劇の舞台であった。常闇環境への順応にくすんだ緑が遠慮無く繁り、植林とはいえ森林地帯と呼んでも申し分ない。
 時折、ラリィガは整備の行き届いた舗装道も活用した。確固とした地面は蹴り易く、少しは疾走への底上げが期待できたからだ。
 が、やはり諦めぬ冴子のしつこさに、すぐさまこうと植樹の森へ戻る羽目となる。
 もっとも好転は無い。
 くも引き離すも無い。
 現状維持の堂々巡りだ。
「こンの~……元・陸上部エースをナメんな!」
「まったく……何なんだ! アイツ・・・は?」
 区長暗殺は失敗に終わった。
 冴子の敵意対象が〝謎の獣人少女〟へと推移したせいで〝三すくみ〟のような抗戦図式が綺麗に出来上がったためである。
 その混戦の隙を突いて、クイーンズ区長は緊急警報を鳴らした。たちまち護衛の獣群が右往左往の迎撃体制だ。
 湯水のような物量に対して、孤軍とあらがう敵対関係二人──多勢に無勢もいいところである。
 その結果、襲撃者二名は大窓から飛び逃げた。
 そのまま不毛な追走劇を展開する羽目となり、現状へと至る。
 ラリィガにしてみれば大誤算であった。
 此処は一時撤退するしかない。
 そして、冴子にしてみれば……どうでもいい些事だ。
 目の前のコイツ・・・を捕獲出来れば!
 爬虫類は、後々にれば済む話である。
「待てっての!」
「しつこいっての!」
 ひたすらに困惑するラリィガ。
 コイツ・・・なのだ?
 何故、自分が追われる?
 何故、そこまで自分を付け狙う?
 そして、何よりも……どうしてコイツは、こんなにも早い・・
 あの奇妙な服装で?
 はっきり言って、ラリィガは早い。
 広大な大自然に生きてきた彼女は、そんじょそこらの奴等とは比較にならないほどに運動能力が卓越していた。無論、戦闘能力も。
 して、そうした得意を活かせる軽装だ。
 にも関わらず何故、あんな女が自分と互角に張れる? 都会の洗礼に、野性も無くしたような女が?
『よぉ、ラリィガ?』
 並走する〝見えない獣〟が声を掛ける。
「シュンカマニトゥ? 何?」
『どうして応戦しねぇ? オマエなら楽勝だろうよ? オマエがやる気なら、オレはちからを貸すぜ?』
「……人間・・だからね」
『はぁ?』
「アタシの相手は〈牙爪獣群ユニヴァルグ〉だ。人間・・じゃない」
『……それだけか?』
「それだけだ」
 確かに闇暦あんれきの定義でくくれば、自分は〈怪物〉に部類するだろう。
 だが、そこまで・・・・堕ちる気は無い。
 中身が〝人間〟である事こそが〝魂の誇り〟だ。
 ラリィガは、さらに短距離加速で差を稼ぐ。
 その背中になかば呆れたいきを吐きつつも、コヨーテは誇らしさに後へと続いた。
 これが〈ラリィガ〉なのだから。

「クソッ! 撃ってやろうかしら?」
 いきどおりを吐く冴子ではあったが、それをせない事は重々承知している。
 確かに脚でも射抜けば一気に捕らえられるが、あの素早さでは避けられる可能性は高い。何よりも射撃体勢に立ち構えている間に、あれよあれよと走り去るだろう。それほどの俊足だ。
 と、奇策を思い付いた。
「あ、そっか。狙わなきゃいいワケね」
 走りながら撃てば、照準を定めるタイムロスは無い。
 無作為な射撃ならば問題は無いはずだ。
「そんじゃ、も~らい★」
 片手持ちの銀銃ルナコートを撃つ!
 撃つ! 撃つ! 乱射だ!
「ヘタクソ! 当たるか!」
 肩越しの一瞥いちべつに、ラリィガが捨て台詞を吐いた直後!
「うわっ?」
 行く手をさえぎるかのように、突如として頭上から多数の大枝が落下してきた!
 緑の瀑布ばくふだ!
 跳び越えようにも、目と鼻の先では間に合わない!
 驚き様の急ブレーキ!
 そのままつんのめって、嵩張かさばる葉のマットレスへと無様に沈んだ!
「ぷはっ!」
 埋もれる枝葉の水面みなもから顔を出す息継ぎ。
 その瞬間、冴子はダイブするかのごとく飛び掛かった!
「捕まえた!」
 そのまま押さえ込むと、馬乗りにマウントを取る!
 こういうチャンスはスピード勝負だ!
「クソッ! 放せよ!」
「往生際が悪いわよ! 観念なさい!」
 女体の重石おもしに抗う仰向けを、両肩掴みに地面へと押し付けた!
「え? あなた……ネイティブ?」
インディアン・・・・・・だ! アメリカン・・・・・インディアン・・・・・・って呼べ!」
 憤慨ふんがいふくまれる不快感。
 好かぬ誤認である。
 打つ手無しとおちいったラリィガは、やむなしとばかりに叫んだ!
「シュンカマニトゥ!」
 殺しはしない……が、こうなったからには背中を切り裂かれる程度は覚悟してもらう!
 大気を舞う不可視!
 その気配・・を、冴子は瞬時にして感知した!
「え? コレ・・って?」
 身に覚えのある気配・・
 ゆえに、次にが生じるのかを戦慄に察知した!
 襲い迫る気配・・にゾッとする!
 だから、彼女も叫ぶのだ!
戌守いぬもりさま!」
 刹那!
 気配・・気配・・が弾いた!
 存在せぬ存在・・・・・・が幾度と無く弾き合う!
 互いに巫属対象を護らんと!
 虚空に拮抗する闘いは、使役する両者も鋭敏に感じ取っていた。
「まさか〈精霊マニトゥ〉? それも〈シュンカマニトゥ・タンカ〉じゃないか!」
 ラリィガが驚嘆するのも無理はない。
 スー族にとって〝狼の精霊〟は〈シュンカマニトゥ・タンカ/偉大なる精霊の犬〉と呼ばれる存在であり、彼女が使役する〈シュンカマニトゥ〉──すなわち〈コヨーテ〉よりも上位存在と定義されているのだから。
 そんな高位獣精を、スー族どころか〈インディアン〉ですらない変な女・・・が従えている……しんがたい。
「な……何者だ? オマエ? 何で、オマエも〈獣精トーテム〉を!」
「……〈妖怪〉だっつーの」

 円周約三十六メートルもの巨球は、間近で見るに威圧感を誘発した。半壊している地球というモチーフは、闇暦あんれきいて洒落にならない。はたして設計者は、この現実・・・・顕現けんげんを予見していたであろうか?
 ともあれ夜神冴子とラリィガは、公園中央に位置するシンボリックオブジェ〈ユニスフィア〉の台座へと腰掛け、互いの素性を明かし合う流れとなった。
 そもそもラリィガに敵意は無かったが、冴子にしてもどうやら的外れな印象を受けたからだ。
 何よりも、彼女ラリィガの異能プロセスは自分に近しい。
 ともすれば、目当ての〈獣〉とは思えなかった。
 何故なら、この娘の獣化は〈使役〉のたぐいであり〈体質〉ではない。
 という事は〝理性〟を欠くという事はかんがにくかったからである。
「で? ラリィガ……だっけ? あなた〈ネイティブ〉よね?」
「だ~か~ら~! 〈アメリカン・インディアン〉って呼べってば! さっきも言ったろ!」
「……同じじゃん」
「同じじゃないよ! その〈ネイティブアメリカン〉ってのは、白人ワシチュー達が利己的に定着させようとした呼称だっての!」
 そもそも〈インディアン〉は誤認定着した呼称である。
 発端となったのはの探検家〝コロンブス〟で、彼が北アメリカをインドと勘違いした事に由来する。
 とは言えども当人達は、この呼称に愛着と民族的誇りを持っていた。
 対して、冴子が言った〈ネイティブアメリカン〉は、比較的後年──旧暦後期ではあるが──に、白人達が誤認払拭のために新定義した呼称である。
 確かに〈インド人〉ではないのだから〈インディアン〉と呼ぶのはいささか混乱を招く。
 だから〈原生米国人ネイティブアメリカン〉という新呼称を提唱した──という思慮的主張を鵜呑みにするのは早計やもしれぬ。
 その裏には『史実しじつ隠蔽いんぺい』という思惑が敷かれていたとも言われているのだから。
 つまり〈インディアン〉という呼称を死語化する事で、その〝存在〟への認識すらも史実の彼方へと忘却させ、不名誉な植民戦争での不正を社会認識から埋没化させるためだ。
 さらに言えば、そもそも〈アメリカ〉という国名自体が植民以降に付いた名だ。自分達の民族史を起点とした場合に矛盾している。
 だから、当の〈アメリカン・インディアン〉達は〝民族の誇り〟と〝歴史の真実〟をもって拒否するのであった。
「ま、どっちでもいいけど」
「良くない!」
 関心薄く投げ遣りな冴子へ、ラリィガはムキになって抗議を向ける。
「ところで、ラリィガ?」
「何だよ!」
「……教会、孤児、八人」
「は? 何だよ? それ?」
 抜き打ち的な鎌掛けに確信をいだき〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉は落胆の肩をすくめた。
「やっぱり……また〝ハズレ〟か」
「誰が〝ハズレ〟だーーっ!」
 反射的に憤慨ふんがいを吠える〈インディアン〉の少女。
 言葉の意味は解らぬが、とりあえず自分が軽視された……とだけは思えた。

 計らずも吹き抜けとなった大窓から、夜闇の息吹く涼風が鋤いた。
 何とか愛用の椅子へと腰掛けたクイーンズ市長は、疼く傷痕に苦悶を洩らす。
「くぅ!」
 脂汗ながらに眉根が曇った。
 人間形態へと戻ったのは、治癒能力を高めるためである。
 意外に思われるかもしれないが、この場合は正しい選択であった。
 並大抵の攻撃ならば獣人形態の方が治りが早い。だいたいは、ものの一時間いちじかん程度で完治だ。傷の具合によっては数分数秒の場合もある。
 先の戦闘で〈犬神〉の爪痕に対して高速治癒を発揮したのも、そうした強靭な生命力の立証と言える。
 この超常的生命力タフネスこそが〈獣人〉が誇る最大の特性だ。
 しかしながら、件の銀弾によるきずあとは、格段に治癒速度が遅かった。いや、そもそも回復の兆しすら見せていなかったのやもしれぬ。
「容赦無く撃ち込んでくれたわね……処刑人マーダーが!」
 右肩……右腕……左腕……両腿の四発…………きずあとを見るに、戦慄と忌避が等しく胸中に涌く。
 夜神冴子は言っていた──「古来より〈銀〉は、月の女神〈アルテミス〉の属性金属。そして〈アルテミス〉は、あらゆる動物に絶対的な支配力しはいりょくを持つ。その神性に〈獣人〉はあらがえない」と。
 成程、だとすれば回復せぬも道理だ。
 夜神冴子の言う通り、あの銀銃は〈神聖〉を帯びているという証拠だ。
 ならば、どうするか?
 ひとまず〝人間形態〟へと戻り、その支配神聖から除外されれば良い。
 しかし、それでも、この傷痕の治癒には、まだまだ掛かるであろう。
 根本的に〈獣人〉と〝人間〟では治癒能力に雲泥の差がある。
 そして、もうひとつの難点は……痛覚の過敏性も大きく異なるという事だ。蝕む激痛は〈獣化形態〉の比ではない。
「まったく……この体質・・・・になってから、ろくな目に遭わないわ」
 淡く伏せた眼差まなざしは、心底辟易へきえきとした憂慮ゆうりょを宿していた。
 遠き時間の果てに、元凶たる怨恨を噛み殺す。
 最初に殺めた犠牲者をうとみ恨んだ。
 民俗学者であった父親を……。

「なるほどね……事情は分かった」
 謎のインディアン少女から経緯を聞き、冴子はとりあえず納得に至る。
 少なくとも〝敵〟ではない。
 かといって〝味方〟でもない。
 単に〝ターゲット〟ではないと判明しただけだ。
 平たく言えば〝部外者〟だ。
 どうでもいい……邪魔にさえならなければ。
「アンタは、その〈獣〉っていうのを追ってるのか?」
「まぁね」
 ラリィガの質問に、関心薄く答える冴子。
 意識逃しにれば、半壊した地球が視界を威圧した。
 謀らずも彼方上空の黒月こくげつと共演し、あたかも現世を要約した構図になる。
 黄色く淀む単眼と目が合うと、何故だか笑えた。
「それが〝依頼〟だから?」
「まぁね」
 覇気無く流す返事。
「ビジネス?」
「まぁね」
 右から左。
「……本当は〝子供達を守るため〟じゃないのか?」
「まぁね」
 何かたずねているようだが、特に興味は無い。
「そっか。じゃあ今日からオマエ、アタシの〝友達〟な」
「まぁ……んんっ?」
 聞き捨てならない親しさに、われへと返った!
「ちょちょちょ……ちょっとォ? いきなり何を言い出した!」
「だって、オマエ〝いいヤツ〟じゃん?」
「はぁ?」
「うん、オマエは〝いいヤツ〟だ。だから、アタシは〝友達〟になる!」
「バカ言わないで! あなた、だと思ってるの?」
「冴子だろ?」
「じゃなくて!」
 苦虫顔に詰め寄れば、相手の表情は他意をはらんでいない。
 その事実を感じ取ると、冴子は深いいきに沈んだ。
 ややあって凄むは、一転して攻撃的な低い抑揚。
「後悔するわよ? 私は〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉……共にろうとすれば、修羅地獄の運命を歩む事に──」
「何だ? それ? 都会で流行はやってる冗談ジョークか?」
「──ぅおい!」
 ちょっとだけ自尊心プライドが傷付いた……別に誇らしい異名でもないが。
 当のインディアン娘はキョトンとしている。
(……考えてみたら、当然か)
 聞けば、ラリィガは荒野で自由じゆう気儘きままに生きてきた。
 つまりは〝個人〟である。
 弱小勢力ですらない。
 如何いかに冴子の二つ名が馳せようとも、それは覇権巡りに躍起となる組織的勢力に限った話だ。
 情報網どころか世界情勢に興味すら持たないはぐれ者が、対立均衡に介入する暗殺者を知るはずもない。
 早い話が……この娘は〝田舎者〟だ。
「まったく」こめかみを押さえる。「ともかく! 私は御免こうむるから!」
「何でさ? 目的は一緒だろ?」
「一緒じゃない! 私の標的ターゲットは〈獣〉よ! 別に〈牙爪獣群ユニヴァルグ〉そのものと事を構えるつもりは無い! 個人で〈勢力〉とりあえるか!」
「でも、襲ったじゃん? 区長?」
「それは〝揺さぶり〟よ! あの〈獣〉が〈牙爪獣群ユニヴァルグ〉と関わりがあるかどうかを見極めるための!」
「同じだよ。結果として喧嘩売ってる。これから追われるよ」
「そん時は、そん時! 仮に襲われても『降りかかる火の粉』程度なら、どうとでも出来る!」
「自信あるんだ?」
「でなきゃ〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉なんて、やってられないわよ!」
 とはうそぶきながらも、実のところ冴子が渋っていた理由は、それ・・だ。
 結果はどうあれ、喧嘩を売った以上は固執的に目を付けられる。
 誇示した通りに〈刺客〉程度なら返り討ちにする自信はある……が、勢力そのものから敵視に構えられるのは厄介だ。気が休まらない。
 その反面、今更ひとつやふたつ〈敵〉が増えても〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉としては変わらない。
 それでも、余計なリスクを負う事は極力けたい。
 その葛藤に悩んでいた。
 決意に後押しをしたのは、か弱くも未熟な涙──。
 安い報酬だ。
 だから、悔いは無い。
「で、どうだった?」
 軽い好奇心が追求してくる。
 冴子は「うっ」と、言葉に詰まり、気まずく視線を逃がした。
「……無かった」
「あはははは! 無駄足だったんだ?」
「ううううっさいわね! さっき言ったけど、目的は揺さぶり・・・・! 別段〝アタリ〟も〝ハズレ〟も関係無い! 仮に〝アタリ〟ならば儲けた・・・だけの話よ!」
 負け惜しみではない。
 実際には冴子自身も、こうした展開・・・・・・は予想していた。
 とは言え、他者から指摘されると、どうにもばつ・・が悪い。自分が間抜けにも思えてしまう。
 そんな冴子の憤慨ふんがいを余所に、ラリィガは真面目な面持ちで示唆しさする。
「でも、ある・・かもしれない」
「はぁ?」
 腰掛けていたオブジェ台座から「よっ!」と跳ね下りると、スー族の娘は星光が喘ぐ重い墨空を仰視した。
 その横顔は、薫風のような爽やかさを帯びている。
「ニューヨークは此処・・だけじゃない。他の行政区ボロウだって在る」
「他の行政区ボロウ所属の〈獣人〉が、わざわざクイーンズまで来て凶行? 無くは無いけど……」
「まぁ、個人……つまり〝はぐれ〟の可能性もあるけどさ? だけど〈組織〉を徹底的に洗ったワケでもない。組織内の何処かに潜んでる可能性もある」
「可能性は低い……限りなくね」
「何で言える?」
「メリットが少ない。わざわざ境界区を越えるだけのメリットがね。だったら、自分が属する区内でれば済む話」
「でも、そうした奇行の可能性もゼロじゃない」
「ゼロなんて無いわよ。如何いかなる事象でもね」
「なら、洗い潰す価値はあるだろ? 可能性がゼロじゃないなら」
「そ……それは……」
 極めて真っ直ぐな正論を前に〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉は抗弁を失った。
 インディアン娘が示す理屈は〝合理的に真理を導き出す〟という行程にいて欠いてはならない原則だ。
 永らく失念していた教示が心底から呼び起こされる──「足を棒にして探れよ」と。
 ともすれば、身を投じる価値はある。骨は折れるが……。
 そして〝夜神冴子〟持ち前の演繹えんえき能力が呼び起こされた。
「そこまでして目先の利己を追う──保身的な計算や理性が欠落している? ともすれば、より〝野性〟に帰属している……つまりは、並の〈獣人〉よりも〈獣〉としての性質が強い……仮に一過的だとしても」
「……へぇ?」
 黙々と熟考へ溺れる冴子を、ラリィガは興味津々に観察した。
 思考の大海原を漕ぐ現状いまの彼女には、どうやら周囲の状況など見えてはいない。周りが見えなくなるまでに没頭していた。
 それも瞬時にして……だ。
 切り換えが早い。
 ちょっと面白いヤツだな──そう思った。
「……目的は?」
 冴子の呟きが自問自答か意見を求めているのかは判らぬが、ラリィガは軽く助け船を出した。
「シンプル。喰う事。捕食本能。それ自体」
「格好の〝餌場〟を見付けた……ってトコか」
 醒めた皮肉に嫌悪を噛み締める冴子。
 肩に震えた幼い苦しみ──それが彼女に怒りの炎をくすぶらせる。
 静かに──。
 強く────。
「どちらにせよ組織の意向とは無縁な個人的嗜好……。でなきゃ、単独暗躍なんてしない。仮に組織の意向なら、部隊でも送り込んで根刮ねこそぎ狩ればいい話」
「そこは間違いないね。今回の殺戮事件と〈牙爪獣群ユニヴァルグ〉の支配統治は別件だよ」ラリィガの気負わぬ抑揚が説論を続けた。「まぁ〝はぐれ〟だろうと〝組織内潜伏者〟だろうと、どちらにせよ現状での糸口いとぐちは〈牙爪獣群ユニヴァルグ〉しかない。可能性があるなら、徹底的に洗わなきゃダメだろ?」
 淡い微笑びしょうを夜風に乗せるインディアン娘。
 思いの外に思慮深い一面を見せ付けられ、冴子は素直な感嘆を自虐にふくんだ。
「……あなた〝刑事〟?」
「向いてる?」
 苦笑が交わる。
 と、風のざわめきが予感をいだ。
 それに示唆しさされたかのごとく、二人の表情が引き締まる。
「ま、いろいろと煮詰めたいところはあるけどさ。とりあえず──」
「そうね、とりあえず──」
「「──まずは〈牙爪獣群コイツら〉を倒してから!」」
 背中合わせに臨戦意識を身構える!
 その意思に同調するかのごとく、二匹の霊獣も威嚇に牙を剥いて唸る!
 冴子達を取り囲むように現れたのは、有象無象の〈獣人〉達!
 狼──虎──ライオン──熊──豹────雑多な〈獣人〉が、繁みや物陰から姿を現した!
 いつの間にか陣形されていた野獣の包囲網!
 クイーンズ区役所からの追手であった!

 痛みを誤魔化すために、水割りに逃げた。
 酔えはしない。
「まったく」
 アナンダは深く背凭せもたれる。
 むしば倦怠感けんたいかんが、苦痛か疲労かは本人にも定かではない。
「あんま酒は御勧めしないけどなぁ? 止血に影響するわよ?」
「──ッ!」
 不意に聞こえた声に、ゾッと身構える!
 先刻の悪夢を再現リフレインするかのように、そいつ・・・は室内に居た!
 忍び込んでいた!
 残骸と瓦礫が無惨な跡形といろどる区長室内に!
 入口いりぐちとびらかたわらに寄り掛かるシルエット!
 深い影の中から、銀銃が鈍いきらめきに向け据えられている!
「夜神……冴子!」
 戦慄に腰が浮く!
 そして、進み出た〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉は、てのひらをヒラヒラ振るのであった。
「出戻り娘でぇ~す ♪ 」
 明るく穏和な微笑ほほえみは、反して骨のずいから凍らせる!
 処刑人からの死刑執行証であった。




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