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鴇色の便り【掌編小説】

ある冬の日。
郵便受けに一通の手紙が入っておりました。
淡い鴇色の上品な和紙を用いた封筒です。
温もりを感じさせる色合いと手触り、少し右上がりの美しい文字。差出人を見なくとも、誰からの便りかすぐにわかりました。

カルコさんです。
頻繁にお会いするわけではありませんが、何十年来の友人です。
こうして、なにかの折には手紙をくださったりもします。

鴇色の封筒の中身は、写真展の招待状でした。モノクロ写真の撮影が趣味のカルコさんは、いつか個展を開きたいとおっしゃっていました。アートコーディネーターというお仕事柄、きっと素晴らしい写真展になるに違いありません。

三週間後、私は写真展の会場である郊外のギャラリーに足を運びました。
館内は無彩色で統一され、洗練された雰囲気です。
受付で招待状を提示しますと、イヤフォンと簡易コンタクトレンズ (瞼ごと覆うようなレンズで、簡単に着脱可能なもの) を片方ずつ渡され、「イヤフォンは利き耳に、コンタクトレンズは、それとは反対側にお付けいただくと効果的です」と説明を受けました。

何が始まるのでしょうか。
胸を躍らせながら奥へ進むと、カルコさんが撮影したモノクロ写真が、力強く目に飛び込んできました。そこへ軽やかなピアノの演奏が加わり、私は一瞬にしてカルコさんの世界に引き込まれました。

一枚目の写真のタイトルは「愛しいもの」
今にも破顔しそうな表情をした少女が、こちらを見ています。幼少のころのお嬢様でしょう。
しばらくすると、コンタクトレンズを装着した右目には、その少女が笑い出し、カールした髪が風にフワリと揺れる映像が映し出されました。
左右の目が、同じ人物を多面的に捉えることで、私は「生」を感じました。不思議な感覚です。
また、左耳のイヤフォンからは、少女の可愛らしい笑い声、鳥の囀り、水の音が聞こえ、それらが右耳から聞こえる館内のピアノの演奏と調和し、和音のような心地良い響きとなって私の体の芯を震わせました。

次の写真も、その次の写真も同じような仕掛けになっており、私は微笑んだり、胸が高鳴ったり、切なくなったりしながら、終始、感動しておりました。

白から黒への豊かな階調。
光と影、静と動の対比。
ピアノと自然が奏でる音の調和。
作品から受ける印象は、どれもカルコさんの魅力そのものでした。

「最後の一枚」
タイトルプレートにそう書かれた写真の前に立ちました。
これまでのモノクロの世界から一転し、この一枚だけは有彩で、カルコさんが被写体です。動き出す仕掛けはないようです。
鴇色のお着物をお召しになり、凛とした雰囲気を保とうとしたものの、目の前でなにかが起こったのでしょう。口元が今にも笑い出しそうな無邪気さをのぞかせていました。しあわせそうな写真です。

イヤフォンからは、カルコさんの声が聞こえてきました。
この時に、私は知ったのです。
しばらくの間、その場に立ち尽くしていたかもしれません。出口の方から、こちらに向かってくる足音ではっとしました。

「本日はご来館いただきありがとうございます」声の主は、カルコさんの夫でした。「このような形のお別れになったことをお許しください」

「あ、いえ……」私は頭が混乱し、言葉につまってしまいました。

「妻は病気の姿を友人には記憶されたくない、そう強く望んでおりました。そこで、この写真展を自分で企画し、亡くなった後に特別な方だけを招いてほしいと僕に託しました」
そう言われて初めて、ほかにお客様がいらっしゃらないことに気づきました。

皮肉なことに、私が今日のために選んだ装いは、モノクロ写真の邪魔にならないようシンプルな黒のワンピースでした。手にはカルコさんの大好きな白い花のブーケを持っておりました。

この写真展は、カルコさんが企画した、ご自身のお葬式でした。

「失礼を承知で、実は観覧中のあなたの写真を撮らせていただきました。もし差し支えなければ、この写真を展示させてもらえると……」
カメラの液晶画面には、作品の前で、ブーケを胸に微笑んでいる私の横顔が写っていました。柔らかな光が降り注ぐ素敵な写真でした。

「カルコが企画した写真展『かけがえのないもの』は、あなたが加わることで完成する、そう申しておりました。最期まで我儘で本当に申し訳ない……」

彼が言い終わるのも待てずに、私は首を縦に何度も大きく振りました。
私の涙は、もう悲しみによるものではありませんでした。
頬をつたう涙は、春のようにあたたかでした。



©️2022 ume15

お読みくださりありがとうございます。
イメージした鴇色 (ときいろ) は、カラーコード#f5c9c6 です。


↓ こちらは前回投稿した作品です。よろしければ、もう少しお付き合いいただけると嬉しいです。

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