おりど病院身体拘束裁判2022.5.11 証人尋問 原告、前半

母は人にとても慕われおおらかで優しい人でした。91歳の春まで一人暮らしを楽しんでいました。プロ級の全手芸、健康志向の料理、美容、健康、世間の情報に関心を持ち、プロ級の筆の腕前を持ちながらもペン習字を習おうと前向きに生きていました。

4月末に足を挫き、ショートステイを利用しGWに退所。5/9 40度の高熱で愛知医大に救急搬送されたした。

主治医から"レアなケースで肺炎球菌が血液内に入り2〜3日が峠です。“と言われ もしもの時は何処までの処置をするのかを話し合いました。

家族で“人工呼吸器はつけない、心臓マッサージまでは行う"と決めました。

5/10 翌日には目覚めて酸素をしながら孫に説教するほどでした。命の峠は越しました。
6/中旬、血液内の肺炎球菌も消えた。

入院当初はせん妄のため、点滴を自己抜針してしまい両手にミトンをはめていました。
ミトンをとても嫌がりました。
トイレも“トイレに行きたい!"とオムツをはめるのを泣いて嫌がりました。
お風呂は男性に介助してもらう事を恥ずかしがりました。
高度難聴のため、補聴器でも会話が難しい時は筆記にてコミュニケーションを取っていました。


愛知医大では、せん妄からくる"点滴を抜かない、転落事故防止"に対してさまざまな工夫がされました。
① 上腕に点滴を留置してルートは母から見えない様に首元から通し、点滴バックも目に入らない位置に置く。→ 自己抜去防止策

② 点滴刺入部は包帯やテープを巻いて目に触れない様にする。→自己抜去防止策

③ 夜間にしっかりと睡眠が取れる様に、夜間は点滴ルートをヘパリン固定して点滴を休止する。
→ 身体の安息をはかり、せん妄軽減

③ 座位になれる様になったら襟元にクリップセンサーをはめて、座位になった時にナースコールがなる様にする。柵は固定する。
ベッドの高さを低くして転落事故防止をする。
なるべくナースステーションに近い病室にする。
→ベッドからの転落事故防止策

④ 行動が活発になったら車椅子に乗り日中3時間ほどナースステーションで塗り絵をする。
活動時間を増やす。
点滴から注意をそらし、その間はミトンをしない。→ せん妄軽減策、早期離床

⑤ 排尿パターンに併せて訪室し、小児用歩行器で自力でトイレまで歩く。早期離床を進める。
→ ADL.QOLを高める。

⑦ 歯磨き粉、身なりは自分で整える。
新聞を読んだり、自分の洗濯物を畳んだり、院内の喫茶店で過ごしていた。
→ ADL、QRLを高める。

せん妄があり、今いる所が病院とは分かっていないが家族や友人は認識していた。
→人の認識は出来ていた。

高度難聴のため、補聴器でも会話が難しい時は筆記にてコミュニケーションを取っていた。
→コミュニケーション可能。


愛知医大の主治医『病状は安定しました。ここは救急病院だからリハビリの出来る病院に移りましょう。今、使っているゾシンと言う抗生剤を使って効いているので、それを次の病院でも1週間ぐらい打てば安定します。』

ケアマネジャー『思ったより早く回復しているのでリハビリも早く進むと考えて、次の施設を早目に見つけますね』



2017.7.7. 昼過ぎ おりど病院に転院する。
213号室、病棟の奥から2番目の四人部屋、窓際のベッド。

担当のT看護師は『この書類にサインして、テーブルの上に置いて帰って下さい。お母さんは検査で暫く(病室に)戻りません。』

担当S医師が病室に来て開口一番、T看護師に『抑制同意書はもらった?』と聞いた。
その後、母と私を見て『愛知医大と同じ治療をしますから』と2分足らずで退室した。
それが、母が入院中に目にしたS医師、看護師の最初で最後の姿であった。

私は沢山の書類の中にあった "身体拘束同意書"にもサインをした。理由は"身体拘束をやったとしても愛知医大と同じミトンだけで済むだろ"と思っていたからだ。

リハビリ病院ならどんどん離床を促し、リハビリをして歩行距離を伸ばすだろ。いずれ歩行器が杖になるかもしれない。筋力も回復して、抗生剤で肺炎も落ち着けば嚥下食が再開される。それで熱が出なければ施設に移れる。そう考えていた。

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