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Happy wedding? Happy engagement?

最近、いよいよ婚約・結婚する友人が増えてきた。晩婚化とは?という感覚。ついに兄弟みたいに育ってきた同い年の従兄弟も正月に奥さんを連れて帰省してきた。

去る2022年は友人の結婚式に3回ほどご招待いただき、一緒にご飯食べた友人にHappy engagementと書かれた花火バチバチ〜プレートのサプライズと左薬指鑑賞会(婚約指輪)は5回位やったかな。

人生で初めて親戚の結婚式に参加した時はなんて素晴らしい人生のイベントなんだ!と思って、そこから私の結婚式への憧れは爆上がりした。けど歳を重ねるにつれ同世代の結婚式に参加する機会が増えて、参加側の声を聞くとあまりにネガティヴな声が多くて、心底自分の結婚をお祝いしてくれる友達なんて本当にいるのか?と思ってしまった。

本来、結婚式って新郎新婦が主役なのに、参加する友人があーだこーだ御託を並べるのだ。なんでこの時間?なんでこの場所?なんでこの席?なんでこの日?
女子校だったからある程度の悪口は慣れてるけど、この結婚式に対する不満・不平は史上最悪レベルに酷かった(笑) (笑)ってつけないとやってられない。

でも多分、その感情の内訳は
幸せそうな友人の一方、自分はこの先どうなってしまうんだろうっていう焦りと
幸せそうでいいなっていう嫉妬と
いや別に私は私だから他人は関係ないしっていう平常心と
でも仲良い友人だからお祝いしなきゃなーっていう責任と
純粋なおめでとう
が入り混じってんじゃないかな、知らんけど。

口にはしないけど正直私だってそう思うことはあるよ。そりゃ不安だもん。別に結婚に固執しているわけではなくて、ただ自分は今後どうなるんだろうーって否が応でも未来のことを考えさえられる瞬間だから。
ここまで同じように歩んできたはずの友人が人生の大きな選択をして一気に先に進んでいくように見えて、なんだか取り残されたような気分になるんだよね。
他人と比較してる私はまだまだ未熟です。

おそらく私は4つ目の「友人としての責任」みたいなのが結構強い。婚約するって聞いたのに次会った時何もしないのか?みたいな感情から、気づいたらプレートとか花束とかプレゼントしちゃうタイプの人間。
婚約指輪は見せたそうにしてればこっちから見せてって言うし、
プロポーズはどうやってされたの?とかもこっちから質問する。
そんなの責任でやられて嬉しいのかよって感じだろうけど、これも一つの気遣い・礼儀の形だと思っている。あくまで私の個人的意見ですが…

まあでも、どんな時も自分が納得できる人生の選択をしていくのが1番だし、本来は周りの声なんて関係ないから。周りへのちょっとした気遣いと感謝の心を持って誠実に生きていれば、自分の思い通りにすることは悪どころかむしろ正だ。

人生のステージが違うと盛り上がるテーマも違うだろうから、だんだん会う人も減ってこんな感じが続くのかな〜
いっそのこと老後とかになれば、子供の頃みたいにもっとみんなとフラットに話できるようになるのかな〜まだ50年くらい後じゃん、人生長いな〜

先のことはさておき、まずは2023年も健康第一で頑張ります。


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