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【人と向き合う】①子育てでは「魂」にアクセスしている(…仕事では?)

私が仕事でいろんな人と関わる時、どこまでを見るのかということを考える機会があった。
大人同士では「言えないこと」を抱えながら、お互いを探るところがあったり、はっきりと一線を引いたりしている。ところが、子どもだとそうはいかない。

このことを意識しながら、人と関わっていると、面白いことに気づく。
今回はあるエピソードを思い出してみることにした。

砂場で夢中に遊んでいる子どもは、世界と一体化している。没頭しているともいう。
顕在的な意識、潜在意識はもちろん、魂の部分まで 世界と繋がっている。
とりあえず、子どもが純粋だから、と単純化しておく。
だから、そこに大人が関わると、子どもの魂の部分までアクセスすることも可能かもしれない。

昔、ある保育園で、急いで子どもたちを迎えに来た大人たちが、帰るに帰れず、しまいには子どもと一緒に、いや子ども以上に熱心に「遊んでしまった」ことがあるそうだ。
子どもたちが夕方、二階から一階まで積み木を並べてドミノ倒しをする、と夢中になってしまった。迎えの時間が近いのに…おそらく保育士はそれを分かっていながらも 子どもたちがどんなふうに考えるか、全てを見守ろうと、ドミノ倒し(の準備)が始まったのを見守った。

失敗をしながらも、次第に長くなっていく積み木の列。子どもたちは真剣に積み木をきれいに並べた。階段でも工夫しながら積み木を並べたそうだ。だんだん一階へと近づいていく。
…と、迎えの大人が来始めた。「あっ…」と声を呑むとーさんかーさん。…帰れないじゃないか…
その時、途中で帰った子がいるかどうかまでは聞いていない。なんせそこに関わっていた子どもたちの親(迎えに来た人)のほとんどが最後まで見守るか一緒に並べるかをしたそうだ。失敗して途中から倒れてしまったものの並べ直しまで。
最後までやり遂げた時、大きな歓声が上がったそうだ。

この時の子どもたちは、ドミノ倒しをする空間そのものである。
そして、大人の中には、この子どもたちと一緒に空間に溶け込んだものもいる。
それができた大人を、特に子どもたちは「仲間」と言おうか、「自分たちと同じ」と言おうか、なんせリスペクトする。この大人は魂ごと、子どもたちと、その空間を生きたからだ。

大人の空間や時間の中で、魂までさらけ出すのは、難しい。リスキーだ。
でも、魂の部分で物事を見て、そこに関わる経験をできる人は「強い」。
要は、言葉抜きで没頭した経験がどれだけあるかということ。
頭で何もかも考えること、それは 時にとても脆いものだ。

そういうことを整理していこうと思う。

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