紬~つむぎ~

人生は旅。ただここに在る。宇宙、大地として、全体、として。言葉、音楽と暮らす。美しさと…

紬~つむぎ~

人生は旅。ただここに在る。宇宙、大地として、全体、として。言葉、音楽と暮らす。美しさとは循環。文具と雑貨と手帳が日々の楽しみ☕自分の心の回復の記録でもある。

マガジン

  • ひとびとのいとなみを彩るものたち

  • 人と向き合う

    人と語る 人と働く 人を楽にする 人を育てる

  • じぶんを守るということ

    「自分を守る」というテーマの文章を集めています。自分のものも、他の方のものも一緒に並べております。

  • おうちのこと

    家は そこに暮らす人全員で 作る場

  • 宝石のようなもの

    宝石の原石…自分の思いの核 宝石箱の中身…フィクション

最近の記事

減らしたくて減らすのに、また増える。それが「自分の好きなもの」

 小さい頃から紙のノートにいろいろ書くのが好きだ。もし今までの手帳やノート(授業ノートなどは除いて)を捨てずに全部取っておいたとしたら、段ボール一箱では納まらない。  荷物を減らしたくて、情報をiPadに集約させようと Kindleにカレンダーアプリ、Evernote(今は解約済)をフル活用したけど、紙のノートにペンで書いて、切り抜きを貼って、という楽しみはやっぱり手放せない。  Kindleを使うことで、本の量は激増しなくはなった。仕事のタスクはカレンダーアプリと Pl

    • その優しさに甘えていないか

      下の娘のことで、すごいと思っていること。それは、サッと体が動いて誰かのために動こうとすること。いつの間にか、家事も手際良くこなすようになっていた。 一緒にご飯やデザートを作るのが楽しくて、炊事の時はついつい「一緒にする?」と声をかけたものだった。 最近は、声をかけるのをやめて、本人の出方を見るようにしている。ある時ふと、私は彼女に甘えすぎているかも、と思ったのだ。家族で分担している家事はさっさと済ませてしまって、リビングで宿題をする彼女。別室でこもる長女と違って声をかけやす

      • 別に怒ったっていい〜心と体を大事にしたいなら〜

        いい気分でいることで、それが周りに波及するのはわかる。 楽しそうにしていることで、周りも自然と行動する、のももちろんわかる。 困っているから助けてって穏やかにお願いできたら、気持ちよく応じてくれるのもわかる。 だけど。だけど。 家族の間で、長い間「どうせしてくれるだろう」「私は学校の勉強があるし」「風邪ひいてても家事してくれたことあるし」っていう思いが定着してたら? 優しさや穏やかさが、結局は「甘えても大丈夫」って思いを抱かせるなら? 怒ったっていいんだと思う。どう怒るか

        • 弱い自分でよかったと思えることもある

           いつもビクビクしながら生きてきたのだけど、そして、臆病さゆえの「見せかけの優しさ」で得をしたことも損をしたこともあったけど。 仕事の中で、他の人より危機管理の感覚が鋭かったり、顧客にあたる人とカウンセリング的対話ができて、事がスムーズに進むのはありがたいと思う。 それと「親には感謝しないと」と誰彼かまわず言ってしまう人にならなかったのはよかったかもしれない。

        減らしたくて減らすのに、また増える。それが「自分の好きなもの」

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        • ひとびとのいとなみを彩るものたち
          62本
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        • じぶんを守るということ
          156本
        • 宝石のようなもの
          39本
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          21本
        • どうやって伝えるか
          27本

        記事

          自己肯定感を回復させるには、とにかく何かを信じてしまうしかない(できれば苦労しないのだが)

          回復の記録を残すことも、自分との出会い直し 私はしばしば「久しぶりに自分の本心に向き合えた」とか「認識や記憶の力が回復した」と書くが、そういうときは、それまで何重にも自分を覆っていた薄い膜が剥がされたような感じがしている。その膜は弱い自分を守っていたもの、あるいは自分を外に向けて開くのを阻んでいたもの。膜が剥がれたらダメな自分がむき出しになって生きていけないと思い込んでいたのだと思う。 物事の認識能力を壊滅的に失った自分も、回復させた自分も、あるいは元々ある程度の認識能力

          自己肯定感を回復させるには、とにかく何かを信じてしまうしかない(できれば苦労しないのだが)

          これが「力が抜ける」ということか

          「ひとりの時間がほしい」と強く思った数日後に熱が出て、束の間だけど、家で寝るという形で願いが叶った。家族が帰宅するまでの数時間だったし、本当は活動したかったけど、ただ寝ているしかない、そんな一人時間が実現。 夜少し楽になった時、一日休んだだけで翌日の仕事は忙しくなるのに、と気持ちが重くなった・・・とその時。 「緊張しようが、気合いを入れようが、仕事の量はそう変わらない。基本的な効率化はもうできているのだし。いったん出勤したら全然やる気が出ずに怠ける、なんてことには絶対ならな

          これが「力が抜ける」ということか

          生き延びた仲間へ

          虐待サバイバーならではの、働きづらさや生きづらさをサポートする事業をしている人がいることを知った。世界に光が射すのを感じた。 自分もそういうことをライフワークにしようと考えたことがあったが、自分自身が安定していないしな、と今まで中途半端な気持ちのまま、大卒後からずっと同じような仕事をしてきている。転職まで考えなくても、そろそろこのことに向き合うべきじゃないかなというメッセージを度々受け取る今日この頃。今の仕事からの「逃げ」だと思う必要はないよというメッセージ。今そこにいても

          生き延びた仲間へ

          変化は怖い

          大きな変化の兆しを感じていたタイミングで、体調を崩した。発熱。節々の痛み。喉の炎症。 うん。怖いんだな、変わることが。 変わらなくていい言い訳をたくさん探すような行動も、ついしてしまう。自己否定の沼にも足をとられそうである。しかも自ら足を突っ込んでるのだ、こういうときって。 恐る恐るドアを開けては閉め、閉めては開け、そんなことの繰り返し。でも、何があったって、たぶん大丈夫なんだよな。恥をかいたって、命取りになるわけじゃないし、今までの方がよほど強烈な恥ずかしい経験をしてい

          恐る恐るドアを開けて

          扉の向こうに行けないのは、自分が扉を開けないで、今いるところに留まろうとしているから。 今いるところが苦しくても、未知の世界に行く怖さの方が勝ってしまうというのはよくあること。 こういうのもいわゆる「引き寄せの法則」で ちょっと視点を変えて説明することができる。こんなところは嫌だ、別の世界に行きたい、と強く願うことが実は「今ここにいる」状態を強化してしまう。 だったら、もう扉を壊すなり開けるなりするしかない。こういう時は、考えていたらだめ。体を動かすしかない。 考えてい

          恐る恐るドアを開けて

          守られているという状態に気づく

           守られている、と思えることで 人は自分の体の重みも受け止めることができるのかもしれない。そのことに気づけない時は、自分自身の存在を許せなかったり、あるいは自分の存在自体を実感できなかったりする。  そういう意味で、人は他者によって生かされているといえるのかもしれない。  かつて、私は終始「闘う」モードで生きていて、家で過ごせる休日は長時間死んだように眠る、という暮らし方をしていたことがある。そういう頃の自分を思い出すと、日中は常に歯を食いしばって、全身に力が入った状態でい

          守られているという状態に気づく

          ゆるむ

           許すって何だか理解できないことだと、ずっと思っていた。許せないと思ってしまうと、もうだめだった。  最近になって初めて「まあいいか」「こんなもんかな」「こういう人もいるのか、こういうこともあるのか」「どうでもいいことだな」という感覚を知った。  最近、「うわ、今すごく力んでるな」と自覚した。  「ゆるむ」って 他人に対しても、自分に対しても優しいことだなと思った。

          「むしゃくしゃ」は自分と向き合うチャンスだった

           最近感じる「むしゃくしゃ」が火照りとセットでやってきたりするので、「ただの!」更年期にかかわるものだろうと思って、以前になぜか買っていた「命の母」(買った頃は、たんなる睡眠不足から諸症状が出ていただけで、更年期、、、ではなかったと今になっては思う)を飲んでみたりしていた。  それと、長い間私は家にある「浪費の結果ため込んだモノ」を見ていて溜息をつき、こんなに家がすっきりしないからむしゃくしゃするんだと思ってもいた。仕事の効率もよくないし、キャパ小さいしなあ、私、と日々の働

          「むしゃくしゃ」は自分と向き合うチャンスだった

          生き方を選ぶ

          自分がどんな気持ちでいるかで、世界は変わる。最近何度も書いていること。自分の親は、感情の上下が激しかったり、ブランドなどにとらわれる傾向が強かったりして、子ども時代の私は「安心する」という感情を長い間実感したことがなかった。今でもついつい不安の中に身を置きたがるところがある。 ちなみに最近は、更年期なのか、けっこうムシャクシャ!したり、疲れ切っていたり、職場で私だけが暑がっていて複雑な思いになる、今日この頃。なんだか急に文字が見えづらいときがあったり。食べる量は最近減ったは

          生き方を選ぶ

          時間こそ生命〜むやみに溶かされないように意識する〜

          夜コーヒーを飲むのをやめ、スマホのニュースを見るのをやめ、早く就寝。これで翌朝の目覚めの感覚が劇的に変わる。 キャパを超える仕事を引き受けるのをやめる。通常の業務の質が上がる。これらのことが結果的に、目の前の業務への集中力アップにもつながり、他人の声や雑音に気が散るということも減ってきた。 「24時間戦えますか」というコピーで商品が大ヒットしていた時代を、最近戦慄しながら思い出すことがある。あれこそ、人の時間、命をいかにお金に換えるかという感覚そのものだと思う。 現代社会

          時間こそ生命〜むやみに溶かされないように意識する〜

          世界を変える、のは自分

          行き止まり と入力したら、こんなきれいな画像が↑出てきた。 行き詰まって、もうどうしようもないというイメージではなく、周りに目を向けようって思える。そんな写真だと感じた。 奪い奪われる世界に生きている気分を選択している期間が長くなりがち。 一方で、与え与えられて豊かさそのものになる感覚を実感することもある。 結局は何に目を向けるか、なんだろう。奪いたい人に意識を向けるか、どうかで 日々の景色は違っている。だったら、結局は自分の選択次第、ということ。

          世界を変える、のは自分

          遠回り〜自分が気分よくいることを拒まない〜 ↓追記あり

          ー自分の考えを整理する過程をそのまま書いているため、追記修正もありますー 奥平亜美衣さんがずっと仰っているけど、結局自分が気分よくいられるかどうかが全てなんだなあと思う。 自分が日々の生活の中でしていることって何だろうって考えた。「自分のしてきたことや、今の在りようを、いかに今までと違う角度で見られるか、世間体とかのフィルターを外して、まずは肯定できるか」ということを自分にも周囲の人にも働きかけるようにしようとしていること、それを続けてきている気がした。で、その答えを見つ

          遠回り〜自分が気分よくいることを拒まない〜 ↓追記あり