紬~つむぎ~

人生は旅。ただここに在る。宇宙、大地として、全体、として。言葉、音楽と暮らす。美しさと…

紬~つむぎ~

人生は旅。ただここに在る。宇宙、大地として、全体、として。言葉、音楽と暮らす。美しさとは循環。文具と雑貨と手帳が日々の楽しみ☕

マガジン

  • ひとびとのいとなみを彩るものたち

  • 人と向き合う

    人と語る 人と働く 人を楽にする 人を育てる

  • じぶんを守るということ

    「自分を守る」というテーマの文章を集めています。自分のものも、他の方のものも一緒に並べております。

  • おうちのこと

    家は そこに暮らす人全員で 作る場

  • 宝石のようなもの

    宝石の原石…自分の思いの核 宝石箱の中身…フィクション

最近の記事

  • 固定された記事

未来に繋がる「今」 〜時を紡いでいこう〜

いつまでも過去を悔やんでいないで 未来を見よう 今に集中しよう というように考えることが 今まで多かったけど、タイトルにも少しあるように、 未来につながる今、を生きたいという気持ちを 具現化した行動をとろう、とし始めました 自分の生活でこれまで起きたことや、 これまで学んできたこと 大切な人とのこと… あちこちに散らばっていたものを拾い集めて、よりあわせていったとき、形がちょっといびつだけど、一枚の布として見えてきました。 中島みゆきさんの『糸』の歌詞とは少し違うところ

    • 世界を変える、のは自分

      行き止まり と入力したら、こんなきれいな画像が↑出てきた。 行き詰まって、もうどうしようもないというイメージではなく、周りに目を向けようって思える。そんな写真だと感じた。 奪い奪われる世界に生きている気分を選択している期間が長くなりがち。 一方で、与え与えられて豊かさそのものになる感覚を実感することもある。 結局は何に目を向けるか、なんだろう。奪いたい人に意識を向けるか、どうかで 日々の景色は違っている。だったら、結局は自分の選択次第、ということ。

      • 遠回り〜自分が気分よくいることを拒まない〜 ↓追記あり

        ー自分の考えを整理する過程をそのまま書いているため、追記修正もありますー 奥平亜美衣さんがずっと仰っているけど、結局自分が気分よくいられるかどうかが全てなんだなあと思う。 自分が日々の生活の中でしていることって何だろうって考えた。「自分のしてきたことや、今の在りようを、いかに今までと違う角度で見られるか、世間体とかのフィルターを外して、まずは肯定できるか」ということを自分にも周囲の人にも働きかけるようにしようとしていること、それを続けてきている気がした。で、その答えを見つ

        • 本音に蓋

          本当はダラダラするのが一番好きで、そんなに一生懸命働き続けたくない という本音からずっと目を背けていた。家のことをしたり、本を読んだり、雑誌のスクラップをしたり。生産性がない!と思われる過ごし方が自分には欠かせないと 改めて気づいた。そういえば占いをしても、この点は必ず言われたかも。のんびり自分のペースで趣味を楽しむ時間が大切、と。それでこそ、人としてのバランスを保つことができますよ、と。これを言われたときは「現実的には難しい。忙し過ぎる」と聞き流していた。 実際の自分は

        • 固定された記事

        未来に繋がる「今」 〜時を紡いでいこう〜

        マガジン

        • ひとびとのいとなみを彩るものたち
          61本
        • 人と向き合う
          118本
        • じぶんを守るということ
          149本
        • 宝石のようなもの
          39本
        • おうちのこと
          21本
        • どうやって伝えるか
          27本

        記事

          スケッチブックに絵を描けること

          祖母が、念願だった油絵を始めたとき私は小学校高学年にさしかかっていた。ある時祖母が郊外でスケッチをするのについて行って、一緒に絵を描いた思い出がある。描いた絵を「いいね」って見つめてくれた。祖母から否定的なことを言われた記憶は全くなくて、私はただそのことに守られていたと思う。私は祖母の家にいると、くつろぐことができた。そんな祖母も、母にとっては厳しい存在だったようだが。 母には申し訳ないけれど、私の魂の根っこの部分を守ってくれているのは祖母だと思う。母は、むしろ私からの精神

          スケッチブックに絵を描けること

          ただ自分の体と家族のための時間を大事にしたい、それだけ

           さっき、長々と書いたけど、要は上のタイトルが全て。 油断すると、自分の命を別のものに差し出してるかもしれないって、意識しておきたい。それをできるのは自分しかいない。

          ただ自分の体と家族のための時間を大事にしたい、それだけ

          生きること

           ワークライフバランスっていうけど、私の知っている人の生活サイクルの多くは、「ライフ」の「ラ」の字も消えかかっているものが多い。ほぼ「ワーク」。朝から夜遅くまで仕事や勉強、交感神経がフル稼働している状態で、睡眠といえない睡眠の時間をなんとなく「通過」して、万年寝不足のままタスクをこなす日々。いつ「幸せ」とか「穏やかさ」を感じるんだろう。そういうものを感じないために、交感神経を稼働させっぱなしでいるのかもしれない。 こういう状況で、私が困るのは、「家の中が荒んでいく」ことだ。

          自分にしかできないこと 自分だけのものではないもの(追記あり)

          自分が頑張ったことを、他の人が気づかなくても、自分がわかってあげられていたら、それでいいと思うんです ある本でこんな言葉を見てハッとした今年の7月。 今年の夏は、いつもよりゆったりと穏やかな気持ちだ。 就寝時刻が遅くなる日がない。 睡眠時間を確保できている。 ここ数年、8月末は健康診断、それと自分だけで外出する日を1日設けるようになっていた。山や海を眺めて、おいしく昼食をいただくと自分の心のリセットになるのだ。ところが、去年は健康診断こそ受けたものの、疲れすぎてて外出の日

          自分にしかできないこと 自分だけのものではないもの(追記あり)

          タスクよりルーティン

           下の子は、自分の父(私のオット)がかつてサラリーマンだったことを知らないらしい。そう知って、私はびっくりした。彼が転職して十年になったのだと、数日前気付いた。  私が自分の生活リズムが崩れるのを極端に恐れるのを見て、「そんなにルーティンを守りたいのか」と彼は不思議そうに言う。実際は、彼の生活の方が、平日休日関係なしのルーティンの中で動いているのだが。子どもたちが小さいときに楽しめていた遠出だって、コロナ禍になるずいぶん前からしていない。  私の場合は、ルーティンなんて、

          タスクよりルーティン

          手放すことで「持っていた」と気づく

           社会人歴25年目。資料などの紙もので、手付かずだったものを、2日かけて整理した。まだまだ手放せそう。パソコン兼資料部屋がずいぶんスッキリして、居心地のいい空間になった。今日も続きをしようと思っている。  以前は、休日になると外出、というのが決まりのパターンだった。家が落ち着く空間とはいえなかったのかもしれないし、地道なルーティンに耐えられないというのもあったと思う。買い物をすることでストレス発散をしていたところもある。  自分は、無駄なプライドに囚われていて、劣等感も強

          手放すことで「持っていた」と気づく

          私たちは物語を求め…させられている

           最近、「ここ数日しんどい、疲れやすいな」と感じたとき、自分で身体の声をきちんと受け取ることができてよかったと思えた。  以前面倒さが勝っていた家事が苦に感じなかったとき、日々の繰り返しの中にいられることをありがたいと思った。  神戸で文房具を見ていたとき「私たちは商品そのものというより、その商品によって紡がれるであろう物語を買っている」と誰かが言っていたの思い出した。多くの人の心に残る広告は確かに、何らかのストーリーを持っている。  商品が背負っている物語に共感して、そ

          私たちは物語を求め…させられている

          文具店で文房具を手に取る喜び

           最近、「こんなに忙しいって思う毎日が続いてて、自分の好きなこと忘れてるんじゃないだろうか」って よく思ったけど、好きなことが何かさえわからない、っていうつまらない状況になっていた。  先月、車のメンテナンスの後、文房具店に行って、ちょっとしたものを買ってきて、ペンケースや手帳の中身を整理した。まだ、ミドリの刻印の頃のトラベラーズノートのカバーを引っ張り出してきて、セットした。  そうだ、私は文房具店、ロフト、ハンズに行くのが好きだった。ただ、生活圏内にロフトやハンズがない。

          文具店で文房具を手に取る喜び

          一生懸命生き延びようとした経験のある人が、人の存在を軽々しく全否定する言葉から受けるダメージは相当大きい(たとえ自分に言われているのではないとしても)。

          一生懸命生き延びようとした経験のある人が、人の存在を軽々しく全否定する言葉から受けるダメージは相当大きい(たとえ自分に言われているのではないとしても)。

          折り合いをつける〜世界はひとつじゃないから〜

          「心を亡くす」と書いて「忙」という字になる。 以前勤めていたところが、より一層多忙化していることを知った。あれ以上忙しい状況というのが想像できないのだが。つくづく「あそこは私の居場所ではなかったのだなあ」と感じる。何年勤めても、あの雰囲気に適応できなかった。働くことも、勉強することも、生きるための営みも、すべては所詮ポイント獲得の手段に過ぎない世界になっていたんだと思う。そこは、「私が心から見ることを望む世界」ではなかったんだと思う。世界は、それを見る人の数だけある。決して「

          折り合いをつける〜世界はひとつじゃないから〜

          くらしの中で、何かを物語るもの〜バッグと手帳とペンケース…と、note〜

          バッグやペンケースや手帳を店で見るのが大好きだ。すごく気に入ったものを買うのも嬉しい瞬間だ。最近は以前ほど「これだ」と思うものに出会わなくなったが。 以前は、今思えば不思議なくらい、バッグや手帳をいろいろ試したくなっては買っていた。今でもペンケースは時々新しいものを買って楽しんでいる。 唐突だけど、自分はつくづく中身も深みもない人間だわ、と しばしば思う。注意散漫で、記憶が持続しない時期が長く続いたためか、人に語って聞かせるものも、誇れるものもほとんど持っていないと思う。

          くらしの中で、何かを物語るもの〜バッグと手帳とペンケース…と、note〜

          この世界をかくあらしめるもの

           競争が、この世界の本質なんだろうか。身体能力が高い人、あるいは頭脳明晰な人の発言力、影響力の強さに圧倒される度に考えてしまう。  個人主義であろうが、そうでなかろうが、強いものが勝って正義になって、敗者は敗者でしかないという仕組みには抗えないものなんだろうなということを考え続けながら、仕事をしてきた。ただ、勝ち負けの基準もまたいろいろあるんだけども。  10年以上前に、勝ち組負け組という言葉を頻繁に使う知人がいて、その人との会話が本当に息苦しさしか感じないものだった。私

          この世界をかくあらしめるもの