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【短編小説】今すぐ14階の窓から飛び降りろ

 地下鉄の駅から歩いて2分としないオフィスに戻る僕の足は、深い深いぬかるみに取られたように進まない。
 いったいどうやって言い訳をしようか。いや、どう言い繕うか。どう言い逃れるか。上司であり支店長であり、執行役である古山に対してどのように今日の結果を話すか、何度も頭の中でシミュレーションしてみるが、いいストーリーは出てこなかった。
 そもそもが支店に下ろされた営業目標が無理難題なわけで、そこから降りてくる僕達一人一人への目標も、それを設定された時から、まず無理だろうとほとんどのメンバーが思っていた。もちろん、古山自身もそう感じていただろう。けれど、それを口にすることは、彼にも僕らにも許されない。なぜなら僕らは、営業メンバーだからだ。営業メンバーは、目標を達成できないならば生きている価値がない。存在価値がない。そして、僕らが獲得してくる営業の目標数値は、会社として存続のために必要な数値であり、僕らが目標を達成できないということは、すなわち会社の存亡に関わるということだ。
 だから。
 だから、なんだ、というのが本当は僕達も古山も同じ思いだろうと思う。本当は。でも、表面上は、だから、絶対に目標は達成しなければいけない。だから、古山のデスクの上には「未達は死」とA3の紙に1文字づつ印刷されたポスターもどきが掲げてある。

 12月28日で、明日が第三四半期の締めで、今日の僕の営業先の案件は、支店としての達成率が50%にいくか行かないかの分かれ目だった。100%ではなく、50%。全社的にこの四半期は苦戦をしており、目標が50%を超えるのが精一杯な状況で、50%に行くかがどうかが、まずは支店として、いや支店長としての古山の生き残りのラインだった。だからこそ、昨晩も12時過ぎまで、今朝の出かける前も、資料のチェック、どのように話をするのかの指示やチェックを事細かにしてきた。その煽りを受け今日は2時間程度しか寝ることができなかった。
 そんなある種支店のみんなの思いのこもった商談だったのだけど、受付に行き、商談ブースに通してもらい、お茶を出してもらう前に、先方の常務ができて(社長ではない)、「今回の件は年明けまで結論は待たせてください」という言葉を受けてあえなく終了した。商談全体は社長と進めていたのだが、肝心の社長は断るのが辛かったのか、隠れて出てこない。こういうケースは、社長自体はやりたそうだったけれど、社内からは反対されて、押し切れなくなって、「断ってきて」と言われてしょうがなく出てきたパターンで、目の前の常務にあれこれ言ってももうどうしようもない。社長の好感触だけ見て「いける」と思って、実際の社内での意思決定ルートをしっかり押さえていなかった僕のミスと言うべきだろう、営業的には。どうしても、TOPとの話がいい雰囲気だと、その様子に「うまくいっている」と思ってしまい、周りのことが霞んでしまう。何度も繰り返してしまっているパターンでもあって、いかにもきまりが悪い。
 
 商談がちゃんと進めば1時間以上はかかるわけで、あまりにも早く帰るのも気が引けたので、踵を返し駅の近くの定食屋に入り、もう30分、と思い、その裏にある喫茶店に入り時間を浪費する。本当は、悪い報告ほど早くしなければいけないのだけど、それは頭ではわかっているが、心では受け入れられない。
 
 14時が近くなり、もういい加減に戻らないといけないと観念して、20階建てのビルのエレベーターホールにようやく辿り着く。事務所は14階なのだけど、朝とは違い、あっという間にエレベーターはやってきて、どこにも留まることもなく14階に高速で到着する。
 オフィスの右側のドアを、できれば誰にも気づかれないようにと、静かに静かに開けてみるものの、すぐに「おかえりなさい」と事務の女性の声が飛んでくる。仕事はできないくせに、つまらないことばかり気が付くところが本当に癪に触る。
「戻りました」
「おい、どうなってるんだよ。なんで電話してこないんだよ」
僕の顔を見るなり、古山が怒鳴る。
「すいません」
「どうだったんだ、結局」
古山としては、この時間まで連絡もなければ、相談もないという状況から、すでに話がうまくいっていないことは察しているのだろう。営業部門のTOPを張る彼には、そのくらいの嗅覚はある。それでも彼としては僕を詰める義務がある。
「社長が不在で、常務が出てきて、社内でもう少し揉みたいということで・・・」
「常務?そんなの今まで出てきていないじゃないか、社長はどうした社長は」
「すいません・・・」
「すいませんじゃなくてな、どうしたのかって聞いてるんだよ」
古山の声のトーンが1つ上がる。
 支店にはこの時は事務の女性の他営業スタッフが後4名いたのだけど、皆何か忙しそうにPCに向かって作業をしているような顔をしている。でも彼らは、聞き耳を立てながら、万が一にも自分の方に火の粉が落ちてこないようにしっかり殻に閉じこもって避難活動をしている。
「今日は不在ということでした」
掠れて消え入りそうな声で伝える。しかし、しまいまで言い切らないうちに古山は彼の机を蹴り上げる。
「ふざけるな。お前、社長とアポ取ったっていってたじゃないか、嘘なのか、それは」
「いえ、アポを取った時は社長との面談の予定でした」
「じゃあなんでいないんだよ。どういうことだよ」
それは、まさに僕こそ聞きたいところで、同じことを常務に言いたかった。けれど、既存のユーザー様でもあるので尊大な態度は絶対に許されない。
「おい、ど、う、な、ってるんだ」
古山は今度は言葉に合わせて机を叩き鳴らす。
「すいません」
「すいませんじゃないだろう、どうするんだよ、お前」
もちろんその質問に対しての答えは、僕にはない。おそらく古山にもない。誰にもない。50%の未達が決定し、僕達の営業部門は未達の中でも半分も行かない到達できない部門として全社に晒されるしかない。その責任は、僕にもあるけれど、いうまでもなくみんなが負うべきものだし、古山自身が最も背負わないといけないものだった。
「お前、なんで面談終わってすぐに電話してこないんだよ。その時電話してくれば、何かできたかもしれないじゃないか」
それは可能性であって、こうなった時点でどうなるものでもないことは古山だってわかっているはずだ。
「どうするんだよ。なあ、どうしてくれるんだよ」
古山はトーンをもう1つあげて、少しうわずった声で文字通りがなり立てる。
 会社組織において、曲がりなりにも上場企業の営業部門が、目標の50%にも届かないなど笑い話を通り越した次元で、解体されてもかしくない。古山について言えば、場合によっては全営業部門で最低の達成率の可能性があり、自身の首すら危うい。そういうシリアスな場面なのだけど、周りのメンバーは何故か少し笑いを堪えている感がある。
 古山はさらに詰めてくる。
「大体お前、面談終わってから何してたんだよ、こんな時間まで」
それを正直に伝えることはできない、という意味で僕は沈黙する。その沈黙は僕と彼の空間に充満されていく。そして、古山に、彼の怒りの導火線に触れて一気にガス爆発を起こす。
「おい、お前、お前、今すぐこの14階の窓から飛び降りろ。今すぐだ!」
古山は席から立ち上がり正対して僕を威圧する。
「早くしろよ、早く」
「飛び降りろよ、そこの窓から。責任取れよ、責任」
僕は下を向く。下を向いて、何かを堪える。悔しさ?怖さ? いや、違う気がする。
「い、ま、す、ぐ、飛び降りろよ。なあ、早くしろよ」
古山はもう一度机をバンバン叩きながらもう1歩僕の方に机ごと近寄ってくる。
「は、や、く、しろ、早く」
相変わらず僕は下を向いている。支店の床は深いブルーと明るいオレンジの格子柄でなかなかセンスがいい。支店開設の際にこの柄を選んだは僕だった。雷雨はまだ過ぎ去らない。この雷雨は、僕に取っては過去最大の激しいものだったけれど、止まない雨はもちろんない。
「なあ、飛び降りろよ、なんで飛び降りないんだよ」
古山は顔を真っ赤にして繰り返す。あまりにも真っ赤になりすぎて、血でも噴き出すのではないかというほどに。
 
 わかっている。語彙の少ない上司だ。あまりにも語彙が少なすぎて正直、詰められているはずななのに、笑いが込み上げてくるのが彼の欠点だ。いや、愛すべきところなのかもしれない。わかっている。その言葉は彼の優しさだ。ミスして、失敗して、未達になったのは僕の責任で、みんなの責任で、彼の責任だ。そこに、だってもしかしもない。わかっている。そこから逃げられない。でも、僕らはそんな彼の言葉に、罵詈雑言の嵐に、彼の優しさを感じる。
 しょうがない、次頑張ろう。悔しさも、後悔も、不甲斐なさも、恥ずかしさも、何もかも。全部彼の言葉が吹き飛ばしてくれた。


#やさしさを感じた言葉

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