見出し画像

活動のこと④

今日はクリニックの倉庫の整理をしていた。
はじめてクリニックを訪れたときからいつかは手をつけなければと思いつつ、どこから初めていいかわからず2か月が経ってしまった。

着任当初は、私が日本人の感覚で片付けをしたらかえって使いにくくなって同僚たちを困らせてしまうのではないかとためらいもあった。でも一緒に働くなかで、物を探すのに手間取っている姿を何度も目にし、ついに倉庫の整理整頓に手を出してみることにした。

↑着任当初の倉庫の様子

倉庫にはいつだれがなんの目的で詰め込んだのかわからない、なんでもBOXとかした段ボールが3箱もあった。まずはそのなんでもBOXを解体からはじめることにした。

次から次へとでてくる
期限切れのスピッツ、滅菌手袋、縫合針、スポイト
中途半端に開封されてバラバラになったアルコール綿、シリンジ、針、マラリアの迅速キット、薬袋、コンドーム、ピル
だれのものかいつのものかわからないカルテや記録用紙

無我夢中で作業をしていたので、途中経過の記録がない。
記録写真を残しておけばよかった…

同僚に、「これ期限きれてるけどどうする?」と尋ねると「あ~捨てといて!」と言われた。

期限を確認している姿なんで見たことはなかったけど期限が切れた医薬品は破棄しなきゃいけないっていう認識はあるんだな、と思った。

整理しきれないほどアルコール綿がでてきたけど、同僚が注射や検査のときアルコール綿を使っている姿もみたことがない。
針を刺す前は特になにもせず、注射のあとは患者さんの服の端っこで気持ち程度刺入部を抑える。生後1か月の赤ちゃんに予防接種するときでも、避妊薬の筋肉注射を臀部にするときでも。

以前試しに注射の針と一緒にアルコール綿の封を開封して同僚に渡してみたことがある。そのときは注射のあと、アルコール綿で刺入部を押さえていた。

アルコール綿の使い方は知っているんだな、と思った。

期限切れの医薬品は破棄しなければいけないとわかっている。
ものが煩雑に置かれた倉庫ではものを探しにくいと感じている。

人に針を刺す前には消毒する必要があることは知っている。
注射のあとはアルコール綿で刺入部を押さえる必要があることはわかっている。
それにアルコール綿は大量にある。

それなのに行動は変わらない。
行動が変わらず、状況がよくならないことの原因は知識不足でも資材不足でもない。もっと主観的な感覚のような、でもそれが事の本質でもあるような、もっと根本的なところに要因があるようだ。

↑半日×2日間作業したあとの倉庫

↑ラベリングをしたり、箱ごと移動してもまた戻せるように目印をつけたり。箱の高さを揃えたり、箱の周りをテープで補強したり、一緒に使うもの同士を近く配置したり。色々同僚には伝わらないであろうこだわりを発揮してみた。

なんでもBOXを解体し、私が勝手にこだわりを発揮しまくった倉庫をみて、同僚は『あなたは掃除が好きなのね、』ていどの程度の反応だったけれど、『これを維持しなきゃね~』と言ってくれていたのでどこまで保つか楽しみにしている。

同僚が手伝ってくれるとか、整理整頓を維持してくれるとか、正直全く期待していない。

でも、『ミナがあんなにがんばってたし、少しは協力してあげようかな』と思ってくれて前より少しだけでもいいようになってくれたらいいな、と思っている。

ひとの行動を変えるって難しい。ザンビアに来てからつくづくそう思う。

ひとの行動が変わるとき、その背景にはちょっとした心の変化がある気がする。お金でもものでもなくて、少しだけ心が動くことが必要な気がする。

整理整頓された倉庫を使ってみたらいままでより仕事がしやすいな、と実感するとか、ミナが頑張ってたから協力してあげようかな、と感情に変化が起こること。それが変化のきっかけになるような気がしている。

そんなことを考えながら埃まみれの倉庫にひとり作業を続けていた。作業をはじめて2日目、徐に別の場所の片付けをはじめる同僚の姿があった。

ただ暇だっただからかもしれない。たまたま掃除がしたい気分だったのかもしれない。でも私が倉庫の片付けをはじめたことが、彼女の心を少しだけ動かしたのかもしれない。

きれいな話にまとまってしまったけれど、片付けの最中に出てきた鎮痛薬や針、絆創膏など同僚が徐に自分のカバンにしまっていたし、だれも手伝おうとしてくれるひとはいなかったし、片付いても大して喜ばしくはなさそうだった。だから、これは私が活動としてひとに話せるようなことをしたという自己満足のレベルのことかもしれない。でも月に1回、消耗品の期限チェックと整理整頓を勝手に自分の仕事にしてみようと思う。いつの日かだれかの心に変化が起こってくれることをわずかに期待しながら続けてみようと思う。


水曜日は妊産婦検診の初回検診日になっている。
今週は79人の妊婦さんが妊産婦検診のためにクリニックにやってきた。
血圧や体重・身長の計測を手伝いながら、こっそりデータを集計してみた。
片手間だったのですべての妊婦さんの情報を確認できたわけではないが、52人分のデータを記録した。
平均年齢 26.6歳(最年長44歳 最年少16歳)
平均出産回数 1.2回(最大5回 最小0回)
高校修了まで就学していた人の割合 9.6%
マラリア陽性率 24.1%

自分の年齢を10歳勘違いして記憶していたお母さん。
体重計の乗り方が分からないお母さん。
妊娠6か月まん丸のおなかを抱えて初回の妊産婦検診にやってきたお母さん。
26歳で5人目の子どもを妊娠したお母さん。
30代なのに子どもを2人も亡くしているお母さん。
5回の出産歴があるのに子どもの年齢が分からないお母さん。
学校に一度の通ったことがないお母さん。

健診に訪れたすべての女性に実施したマラリアのスクリーニング検査で79人中19人が陽性。
学歴を確認できた52人の女性のうち、高校修了まで学校に通った女性はわずか4人。

義務教育期間の授業料が無料になっても、中学校を修了できない子どもが大勢いる。

ファミリープランニングの機会を無料で提供しても、若年妊娠、短期間で繰り返す妊娠出産があとを絶たない。

医療費が無料なのに、症状の自覚があってもクリニックを受診しない。 

行動の背景を、理由を知りたい。
そのためにはアンケートやインタビューをして、その結果を客観的なデータとして示さなければ、それをまず第一にしなければと思っていた。でもそれはすこし違うことがわかってきた。

この地域の人々と関わってみて、ドナー慣れしていることを知った。

地域でお母さんたちにインタビューをしていたら、同行した同僚Nsに調査費用を請求された。ドナーが来るからと、普段は着ないお揃いのユニホームでインタビューに答えるボランティアさん。援助団体からの訪問者の写真撮影の要望に呆れ顔で応じる同僚たち。

どこかから寄付された薬も医薬品も全く有り難がられてはいない。一部は同僚やボランティアさんの私物へと変化を遂げる。倉庫の片付けでも、期限切れの医療器材や薬品がたくさん見つかった。

↑インタビューさせられてお疲れ気味のボランティアさんたち

私も"JICA"という一援助団体に所属するボランティアだ。でも、ものやお金を援助することはできないし、そのためにここに来たわけではない。

でも一歩彼らとの関わり方を間違ってしまったら、私も単なるドナーのひとりとして認識されてしまう。ドナーのひとりになってしまったら、きっと彼らの心を動かす活動から遠ざかってしまう。私はドナーのひとりにはなりたくない。一緒に働く仲間になりたい。

だからいまはアンケートやインタビューをやめている。何気ない会話や、診療の合間のコミュニケーションから情報を収集して主観的に分析している。

どうして学校に通えなくなったのか?
どうして妊娠中期になるまで妊婦検診に来ないのか?
どうしてファミリープランニングをしないのか?
どうして短期間に何度も妊娠しているのか?望んだことなのか?
どうして子どもが亡くなってしまったのか?
どうして症状があるのに受診しないのか?

行動の背景を、理由を知りたい。
アンケートやインタビューをして、その結果を客観的なデータとして示せたらいいと思っていたけれど、客観的データとかカッコイいこという前に、彼らに仲間として認識してもらうことが優先すべきことだと気づいた。

きっと"ムズング"の私が、彼らの仲間になるには2年では足りないかもしれない。インタビューとかアンケートとかそんな段階に辿り着く前に任期は終わってしまう気がする。でもそれはそれでいいんじゃないかといまは思っている。

任期2年間
予算は配属先に準じる
個人的な活動予算なし
相談役は配属先の職員
医療行為禁止
というJICAボランティアとしての制限

援助慣れした配属先
文化・習慣・言葉の壁
医療的知識とスキルの不足
という個人的制限

たくさんの制限を抱えたなかでなにができるのか、なにをしなければいけないのか、今更ながら考え直している。
本赴任から2か月が経ち、また振り出しに戻ってきた。いったりきたり、進んだり止まったり、悩んだり喜んだり、悲しんだり怒ったり、前を見たり後ろを見たり、グラグラゆらゆらした状態が続いている。

最近はアンケートという形をやめて、成長モニタリングの機会を利用して成長曲線をみながら、体重の増加が芳しくない子どもや低体重の子どものお母さんから話を聞くカウンセリングのスタイルで関わりを持つことにしている。

「先月から体重が増えていないけれど、赤ちゃんの調子はどうですか?下痢とか嘔吐とかしてますか?」
「下痢も嘔吐もしていないけれど、ここ1か月食べる量が少ないかな」
「何をあげていますか?」
「お粥とかシマとか」
「お粥にはなにか混ぜたりしてますか」
「落花生とか、キャタピラとか、野菜とか…」
「そうなんですね。落花生やキャタピラにはたくさんの栄養が含まれているので、ぜひそれを続けてください。来月また体重の変化を見てみましょう。もし下痢や嘔吐がみられるようだったら、赤ちゃんをクリニックに連れてきてください。」

金銭的に貧しいお母さんにはお金や食材を渡すことはできないし、知識があってそれを実践しているお母さんには声かけしかできない。

ただ話を聞くだけではなんの行動変容にもつながらないかもしれないし、赤ちゃんの成長に影響を与えることはできないかもしれない。

私があれこれ話を聞いたせいで、来月の成長モニタリングに来てくれなくなるかもしれない。

倉庫の整理をはじめたものはいいものの同僚はそんなに嬉しそうじゃない。
それどころか、なんでもBOXから掘り出した薬やら針からを私物としてカバンに詰める同僚たち。

制限、懸念、力不足、そんなものだらけだけれど目の前には介入しなければならない課題が山のようにある。

同僚たちがモノや薬を大切に扱ってくれるためには、患者さんやお母さんたちに誠実に対応してくれるようになるには、どうしたらいいのか

たくさんの女性たちが学校で教育を受けられるようになるには、若年妊娠や短期間での立て続けの出産が減るには、妊婦さんたちが早い時期に検診にきてくれるようになるには、体調が悪いときクリニックを受診してくれるようになるには、低栄養の赤ちゃんが減るには、どうしたらいいのか

みんながもっといのちを大切にできるようになったら、少しはなにかが変わるのかなと思っている。自分のいのちも他人のいのちも。

子どもの数は多いし、平均寿命も短い、頑張ったところで仕事にはなかなか就けないし、長生きしたって楽しみがない。

2019年になっても、ザンビアの人々の暮らしはなかなか厳しいし、希望も少ない。そのなかでいのちを大切にするって難しい。でも身近ないのちを愛おしいと思ったら、彼らの行動は少し変わる気がする。 

そのためにできることを必死でさがしているけど、まだ見つからない。2年間で見つけられるかもわからない。

2年間でなにかを変えるのとはあきらめた。でも変化のきっかけを残していけたら、ひとりでもいいから心を動かすことができたらと思っている。そのためのヒントを探してもがいている。

23G針を持ち帰った同僚は、いったい何に針を使うんだろうか…


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?