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誰かの靴を履いてみること


「自分で誰かの靴を履いてみること、というのは英語の定型表現であり、他人の立場に立ってみるという意味だ。」

先日、プレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んだ。

その中で、『エンパシーとは何か』という期末試験の問題に息子がこう答えるのである。


「誰かの靴を履いてみること」


それに対し、母親のnoteの1番最初に書いた解説が続き、さらにそれにこう補足される。

「日本語にすれば、empathyは「共感」、「感情移入」または「自己移入」とやくされている言葉だが、」


共感するのに、何故誰かの靴を履くことが重要視されるのだろうか。(もちろん、文化の違いもあるし、一種の表現だとは分かる。)

誰かの靴を履くなんて、ちょっと汚そうと考えてしまう。しかし、誰かの立場に立ってみること。と解釈すれば日本人の私でも理解できそうだ。

海外で当たり前のように使われている言葉が、日本では使われていない、またそれの逆もあるというのは非常に興味深い。


この小説で取り上げられている「多様性」は割と近年話題になっていることで、私たち日本人も避けては通れない社会問題なのではないだろうか。

ホワイト、ブラック、イエロー、LGBTQ、ハーフ、クォーター、世界中には多種多様な人間が生活しているし、実際に、私たち日本人のほとんどはイエローに属するのだから。

日本に暮らしていてあまり考えることのない「多様性」。私たちには関係のない話なのだろうか。

日本では、同性婚が認められていないということが、大きな問題となっているイメージは無いのだが、LGBTQの割合は、血液型がAB型の割合と同じらしい。

私にはLGBTQの友達はいないし、出会ったこともない。だけど、クラスに1人はAB型の子がいたように、もしかしたら、クラスに1人はLGBTQの子がいたのかもしれないと考えると、知らなかったこと、その時理解できなかったかもしれないということが、少し悲しく思えてしまう。


世界中の人が自分らしく生きることができる世界が、時代がいつかくるといいな。



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