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晩夏のアート鑑賞で見た〝いろいろな赤〟

あれよあれよと言う間に、冬はもうすぐそこに。
それでも僅かな時間に紅葉を楽しみ、そこそこ秋を体感できました。
〝自然の赤〟ってこんなにもキレイ!と思うのも毎年のこと。

強烈な個性を発揮しながらも、炎や太陽の暖かさに力強さ、情熱、神聖さと、様々にイメージする〝赤〟。

先月北海道で出会った〝縄文の赤〟は、とりわけ印象深い〝謎多き赤〟でした。


さて、少しだけ時間を巻き戻すと、
あの尋常でなかった酷暑の毎日が思いだされます。

トップ画像は、会期末前日に駆け込んだ『ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開』展。(アーティゾン美術館)
ギラギラの太陽とじっとりとした暑さにウンザリしていた時、このフランティセック・クプカ《赤い背景のエチュード》の眩しいほどの〝赤〟を、どうしても見たくなり脚を運びました。


印象派をはじめとした作品から様々に展開していく色や形。
日本人は〝印象派好き〟と揶揄されることもありますが、光と空気をまとう色彩は、この四季ある風土で暮らしてきた私たちとって、それぞれに思い描く風景があるように感じます。

20世紀を迎えた西洋絵画の〝赤〟は、自由なアートの幕開けを感じさせる華やかさそのもの!


鮮やかな色彩に触発されて、停滞していた私のアート鑑賞が再び動き出しました。
晩夏の暑さの中で見た〝赤〟のいくつかを振りかえってみます。



その翌日、会期最終日に訪れたのは『河本五郎ー反骨の陶芸』展。(菊池寛実記念 智美術館)

河本五郎(1919~1986)は愛知県瀬戸市の陶芸家。瀬戸は陶器と磁器の全般を〝せともの〟と呼ぶように、歴史ある焼き物の街。そこで生まれ育ちながら、その伝統の殻を破り独自の作風を模索しました。

晩年の磁器の作品は、板を張り合わせたような歪みのある方形。そこに中国明時代の赤絵を思いおこさせる鮮やかな緑と赤で、龍が見事に踊らされています。

もしここに〝赤〟が無かったらと、ちょっと手で隠してみると…、ここに〝赤〟があることの理由が見えてくるようです。



8月の下旬、いつもの週末はかなり賑わう砧公園も人はまばら。その一角にある世田谷美術館のコレクション展「雑誌にみるカットの世界」の『暮らしの手帖』の展示へ。


戦後すぐに創刊された〝暮らしの手帖〟。
編集者・花森安志が「暮らしをもう少し愉しく、もう少し美しく」と、表紙やカット、原稿、写真など何から何まで妥協することなく作り上げた、〝アート作品〟と呼ぶにふさわしい雑誌。
戦後の暮らしの中で、おしゃれを再び目覚めさせ、生活を楽しむことを提唱してくれました。

どこかにほんの少し〝赤〟があるだけで明るい心持ちになるような、暮らしをさりげなく彩ってくれる色のようです。




同じく8月の下旬、目黒区美術館の『中村直人なおんど モニュメンタル/オリエンタル』展へ。
中村直人なおんど(1905ー1981)は、長野県生まれの画家・彫刻家で、哀愁漂う女性像や裸婦像で知られています。
戦争という激動の時代の中での制作、そしてその後の渡仏で身に付けたオリエンタルな感覚は、独特の世界観を表しているように感じられます。

〝赤〟で表された〝顔〟はどこか仏を想像させ、そこには何かが宿っているようにも思えてきます。




9月の上旬、まだまだ日中は暑さ厳しい東北旅、弘前市立博物館のロビーで目にしたのは版画家・棟方志功『ねぶた』

棟方志功は版画を中心に油絵や本の装幀、包装紙の図案とマルチに活躍したことで知られますが、その原点は生まれ故郷の青森にありました。
この〝ねぶた〟は晩年に制作されたもので、地元の人と一緒にマツリも楽しんだそうです。

中からぼんやりと浮かびあがる〝赤〟は、故郷によせる暖かい思いと仏教への造詣が込められているようです。




9月中旬の三連休
、真夏の装いで訪れたのは、静岡県の下田にある上原美術館の『きれいな仏像、愉快な江戸仏』展。

こちらは「愉快な江戸仏」の「疱瘡ほうそう神像」。
疱瘡ほうそう神は天然痘をつかさどる疾病神で、病を免れたり軽くしてくれると信じられていました。

元来の疱瘡ほうそう神は赤い衣をまとった老婆だそうですが、これは若い女性の姿です。翻った着物の裾の〝赤〟に、若さと愛嬌が感じられる仏様です。



その翌日に訪れたのは、伊豆高原の池田20世紀美術館の常設展。

写真はイギリスの現代画家アンソニー・グリーン(1939年~2023年)の『化粧する母』。見ての通り、キャンパスは家の形、その一部屋を描いたユニークな作品です。家族や室内空間にこだわった作品が多く、こうした変形のキャンパスも決して珍しいものではありません。

イギリスの一般家庭のバスルームでしょうか。赤い小花模様の壁、同じような赤やピンクのアイテムで彩られた室内、〝母〟のナイトウェアも白地に赤い小さな花があしらわれています。
古きよき時代の小花の〝赤〟は、今でもイギリスマダムのお気に入りでしょうか。




9月下旬、北海道の〝白い貝塚〟を訪れた帰り、大きな建物が殆どない街中でひと際目立っていたのは〝真っ赤なキューブ〟。JR室蘭本線の『東室蘭駅の駅舎』です。

駅の待合室で、老齢の男性が遠慮がちに私に電車の出発時刻を尋ね、「電車に乗るのは久しぶりで」と。
地元民の小さな旅の出発点の〝赤〟であるようです。




そして10月、まだ夏?と思えるようなある日、訪れたのは静岡市の芹沢銈介美術館の『芹沢銈介ののれん』展。

この頃では目にすることも少なくなったのれん、
手をかけると、どこかがめくれたり、ちょっと翻ったりと、その時々に表情が変わる三枚の布。
じっとしていると神社の鳥居のように、あちらは聖域と言わんばかりに〝赤〟が威厳を示す。

民芸の面白さはこんな〝とんちんかん〟なところにもあるのかもしれませんね。




10月の中旬、まだ晩夏、と思えるような日が続きます。
山梨県の博物館へ向かう途中にある、数年来気になっていた『手作りサンドイッチ』の立て看板。
外観は昔ながらの小さな食料品店風、店名からも何のお店か判らず…。思い切って入ってみたら、小麦の香りがいっぱいのパン屋さんでした。

看板に偽りなしの〝赤〟には、内緒にしたいような、自慢したいような美味しさが詰まっていました。



夏の終わりのひと時に見た〝赤〟は実に様々、
何千年も前から愛された色は、いったいいくつの思いや願い、意味が込められているのでしょうか。

もう一か月もするとクリスマスやお正月、
たくさんの〝赤〟を目にする季節です。
この〝赤〟が多くの人にとっての彩になりますように!

最後までお読みくださり有難うございました。

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