情報溢れる現代での幸せってなに?
連続投稿です。四季です🕊
今日も情報の中で生きてる皆さんこんばんは。
そういえばわたしが小学生の頃ってまだガラケーの時代で、インターネットに接続出来るのはコンピューター室だけでした。
だからか、一つ単語を打てば糸のように繋がって出てくる情報の数々に何かとても新鮮な気持ちとほんの少し怖い気持ちを持ってました。
今は、スマホが安価(個体差はあれど)な値段で手に入れることができ普及率もかなりのものです。
Twitter、Instagram、LINE…
息を吸って吐くように自分の見せたい情報を発信できる反面、思ってもいない悪意の攻撃を受けたり、自分には想像も出来ない幸せを何の努力もなく享受しているように見える幸せそうな人の情報も見えてしまうわけです。
どれが本当でどれが嘘、なんてことではなく結局インターネットというのは主体性があって発信するシステムだから“見せたいもの”しか見せない人も多いというのは頭に入れておくべきだと思います。
今の子どもたちって、小さい時からずっと全世界のたくさんの情報に揉まれて今まで生きているんですよね。
決して批判するわけでは無いのですが、わたしみたいな人間は自分の幸せを見失いそうで怖いです。
毎週末お母さんとお父さんとお菓子作りして、たまにペットのわんちゃんと海外旅行に行って、平日は友達とお買い物をする、というのが“幸せのモデル”になってしまいそうだなと。
(これはあくまで一例です)
わたしは相対評価でしか物事の幸せを判断出来なくなることが怖い。
いいんですよ、別に。親にマンション買ってもらって同棲中の彼氏に高級レストランに行ってサプライズに指輪もらわなくても。
あなたはなにも不幸じゃ無い。
アパートで学費返しながらも仕事して、猫を飼ってたくさんの本棚に囲まれて暮らすのが幸せだなって、思うことは全然悪くない。
もちろん前者も、それが幸せと思うなら全然良いと思う。けど、だからといって後者が劣る訳では無いということを言いたいんです。
幸せって結局絶対評価で、ネットじゃなくて自分の心の中の声に耳を傾けて聞いて初めてわかると思っていて、
だから、もっと幸せを感じる心を情報に揉まれる中で作り上げていけたらなって思う。
幸せにモデルも形も色もなくて、強いて言うなら幸せの形はあなたの心。
これは全部、妬んで僻んでそんな自分が大嫌いになってしまう自分に与える文章だよ。
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