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埋められないわたしの寂しさ


寂しさってとても抽象的。

目に見えなくて、感じることしかできなくて。わたしにはお前が分からないよってなる。

急に、ふとした時に現れて暴れて消えていく。

誰の心にも、寂しさって形を変えて存在しますよね。

根源

わたしはもとより幼少期の頃からずっと心が満たされていなかった。

小学校・中学校は虐めと失敗の繰り返し。

そんな自分に自信なんてもてるはずなく、3年間友だちだと思っていた人にいじめられて当時心が折れてしまった。


親は弟にすごく甘かった。

わたしももっと見て欲しかった。

母は、反抗期と虐めが重なって心が病んだわたしと向き合うことを投げ出した。

仕方なかったのだと思う。

仕方なかったことにしたい。

自分には正面から面と向かって向き合って話してくれる人がいなかった。

先生も、父親も、母親も。

どうにか“普通の道”を歩んで欲しいと願わんばかりの薄っぺらい言葉しか言われなかった。

わたしは普通じゃないのに、何故大人が普通の道を歩んで欲しいのか分からなかったし、そんな台詞を聞きたくなかった。

小中の痛みから脱するのに、6年かかった。

それでも未だ記憶は残っているし、恐怖もある。

今は、他者から与えられる愛で一部の寂しさは満たされる。

でもずっと奥深くの寂しさを埋めることができない。誰にも手が届かないところにある。

柔らかいセメントに穴を開けられてそのまま固められてしまったみたいに。

だから、この寂しさは埋められない。

不意に1人になったとき、深夜2時に目が覚めてしまったときわたしは寂しさで震える。

それでもわたしは、この寂しさを抱きながら生きていくほかないのだと思う。


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