見出し画像

民藝旅 Episode:0/日本民藝館「柳宗悦の直観」と 21_21「Another Kind of Art」 (2)

2. 日本民藝館「柳宗悦の直観」

前回のnoteをお読みくださった優しい読者様。お待たせしました、東堂が海の”もずく”と消えそうになったあの時間の続きです。

学芸員さんの月森さんは、本当にお忙しく、スタッフさんに呼ばれてどこかへと去って行かれました。東堂は、ポケットモンスターでバトルに負けた主人公のように、”めのまえが まっくらになった”状態。しばらく、鉛筆を握りしめて、作りの良さそうな皮のベンチに腰掛けていました。

気持ちが落ち着いてきて、ふと顔を上げると、それは、素敵な染物の浴衣が目に入りました。芹沢銈介さんの作。キリッとした藍色で、キュッと引き締まった線が、なんとも、モダン。(モダンって現代的って意味なのに、どうして何十年も前の作品にモダンを感じるんだろう。)

「なるほど、これが一流の品…」

なんでも鑑定団になった気分で、これ、いくらするんでっしゃろ。さすが先生の作は違うわぁ。

わかったような、わからないような。でも、綺麗だなあ、やっぱりプロはすごいなあなんて。半泣きでスケッチを描きました。(正直、まだ自分の失礼ショックで頭がぼんやりとしていて、記憶もぼんやり)


*  *  *


部屋から出て、入り口にある、ショーケースを覗き込む。すると、見たことのない、ガラクタのようなモノたちが並べられています。

頭に「?」がたくさん浮かびました。

牛骨に刻まれた文様、朱塗りのネックレス、錆びた灰掻き。国も、時代も、民族も…繋がりが見えない。そして、一番混乱したのは、キャプション(紹介文)がないのです。

なんだ、なんだろう…よくわからなくて、でも、なんだか、じわっと心惹かれる。ガラスに鼻の脂がくっつきそうなほどショーケースを見つめていたところ。

「この展示は、あえてキャプションをつけていないんですよ」

後ろに学芸員の月森さんが立っていました。心臓が縮み、血の気が引き、高速で頭を振りながら先ほどの無礼を謝罪しました。居た堪れなくて挙動不審に目が泳ぐ東堂に、月森さんは、穏やかに展覧会の趣旨をお話しくださいました。


*  *  *


-なぜキャプション(説明書き)がない展示なのか?

「キャプションがないのは、物に先入観を持たずに触れてもらい、美しさを感じてもらうためなんです。まず、美しいかどうか。その人の直観、美を感じる力の妨げないために、あえてキャプションをつけていません。本を読んだからって、直観はつきません。理屈を超えて体験することが大切なんです。」


*  *  *


余計な情報を取り除いた、物と自分との対話。まっさらな心で向き合った時に、心が動くかどうか。今まで、展覧会でそんな風に物と向き合ったこと、あったっけ?口から魂が抜けたように、惚けてしまいました。

「ここに展示しているのは日本だけじゃなくて、世界から集めた美しい品。開館◯十周年記念と銘打っても良いほど、良いものが今回の展示で出ています。じっくり見ていってくださいね。」

そういって、颯爽と事務所へと戻っていく月森さん。私は、月森さんの後ろ姿を、魂が半分抜けた状態で見送ることしかできませんでした。

(なるほど、そうするとさっき私が芹沢銈介さんの作品をみた時の、「お高いんでしょう」「有名なんでしょう」「だから、良いものなのね」という感覚は、情報に踊らされていたのか。私は、ちゃんと物と向き合っていなかったのか…トリプルパンチで凹む。)

大きく息を吸いながら、天を仰ぐ。とんでもない世界に、足を突っ込んでしまったなぁ。小学校一年生、はじめての算数の授業以来の、絶望感と興奮。わからないことだらけです。

それでも、ここには、憧れのバーナードリーチ先生の作品や、「手仕事の日本」で読んだ民藝の品々、李朝の民藝品がある日本民藝館。今日は、えらいこと何にも言わなくていいから、ものと対話をしてみよう。まずは、触れてみよう。ふん、と鼻から息を吹いて気合いを入れ直し、柳先生が集めた、1つ1つの品をゆっくり見て回りました。


*  *  *


李朝の品は、なんとも言えない ”いきもの感” がありました。ぽてっと、ころっと、愛らしくて、線はスッと繊細。

日本民藝館の施設案内は、18世紀 朝鮮時代の壺。青っぽい白色で、ぽてっとした唇のようなフチ。かわいいかもしれない。大きな壺も、ちょっとした形のうねりにきゅんとした。存在感がグッとある。色も、透けるようなのにとろっとした白色が、たまらない。

イギリスのスリップウェアは、すてきな鼈甲飴色、マスタード色。筆でにゅっと描かれた鳥や動物たちは、今にも踊り出しそう。やっぱり、イギリスのスリップウェアは好き。

木彫りの像の、美しさは、言わずもがな。心がギュンギュン。インドネシアにアフリカ。彼らの木彫りからは、音楽が聴こえてくるような楽しさ。

自然と人の間にあるような物が多いな。人が生み出した自然物。民藝品って、いきものみたい。

(日本民藝館が遠いけど、どんなお品があるのか見てみたい方、この本とてもよかったです…!柳宗悦先生の「手仕事の日本」で紹介されている民藝品の図鑑のような感じです。)


*  *  *


二階の展示室で、スタッフの女性に質問をしました。

「民藝は、”無名の工人による日用品”だと柳先生の本で読みました。でも、別の展示室にある、リーチ先生や棟方先生の作品も民藝なのですね。個人作家の作と、民藝品ってどう違うのでしょうか…」

すると、スタッフさんは少し笑いながら、こう答えました。

「何が聞きたいんですか?」

高圧的な態度に、居心地の悪さを感じました。

「何が民藝品なのか、わからなくなってきまして…」

すると、少し呆れたような表情で、スタッフの女性は答えました。

「そもそも、何が民藝かそうでないか、分類すること自体がナンセンスです。分類する意味ってあるんですか?」

疑問を持つことが、ナンセンス。そう言われたように感じました。あまりにも手厳しい…分類する意味がないのであれば、そもそも柳先生は民藝を定義する意味もなかったのでは…?

民藝について調べようと思い立っときに感じていた ”お高くとまってる” 雰囲気を直に感じました。(この部分、書くかどうか、かなり悩みましたが、民藝館を訪れる方に心の準備をしていただきたく。体験談として共有いたします。)これ以上、お話ししてもお邪魔だろうと思い、お話の礼を述べてから、そそくさとその場から立ち去りました。


*  *  *



<民藝旅ノートに書いたギモンや発見>

◯◯(ブランド)だから持つのではなく、私はこれが美しいと感じたから持つ、という自分主体の選択美。美の直観を持つことは、他人に何を言われても「あなたと私は違うだけ」と言える。自分が美しいなと感じたならば、その直感を大切にするべき。
民藝館は美を見出す直観を育む体験型の施設。教養を磨く。
朝鮮の品の美しさに心惹かれる。また、欧州?メキシコ?の物の作り、絵付けにも。これは”違う”から惹かれているのか。日本のものは近すぎて良さが見えないのか。
物の少なさは、物の存在が際立つ
人の日用品を「美しいもの」として、見つめた事はなかったな。物と向き合ってこなかったな。民藝館の品は、興味がない人からすると、ガラクタに見えるかも。
でも、自分 対 物で向き合ったとき「あなたにとって美しいものって何ですか?」と、語りかけられているような心持ちになる。柳先生にとっての美しいものたちに。
印象派のよう。


*  *  *


今回の訪問では、美術館への訪問マナーについて学び、柳先生にとっての美しいものと対面して、脳みその容量が足りなくなるような時間を過ごすことができました。

(民藝初心者には、ちょっとハードルが高い施設だな…と思ったり…)

それでも、本で読んで想像するだけだった、柳先生の選んだ民藝品を直接見ることができて、幸せな時間でした。

次回は、六本木の21_21にて、日本民藝館館長の深澤直人さんディレクションの民藝の展覧会「Another Kinds of Art」展を訪れます。さあ、文化のスクランブルクロッシング六本木。どんな展覧会だったのか…お楽しみに。


ここまでお読みくださいまして、ありがとうございました。


\次回、ラーメンが美味しかった話(ちがう)/

東堂


▷直感→直観に修正しました。2019.2.18 8:26

▷一部表現を修正しました。2019.2.20

この記事が参加している募集

イベントレポ

サポートをしてもらったら、何をしよう。大好きなお米パンは260円。おおがま屋のたこ焼きは460円。ケンタッキーフライドチキンは210円。ゆめが広がります…