『西部戦線異状なし』

☆「銃はいいです。剣やナイフと違って人の死に行く感触が手に残りませんから」
  某人気錬金術漫画のセリフです。劇中でパウルが確かな手触りをもって人を殺すのは一度だけです。銃で殺せば気が楽なんてことは全くないでしょうし、私には戦争も殺人の感覚もわからないので憶測に過ぎませんが、一対一で敵と対峙して命のやり取りをするということ。それは戦争において誰もが必ず直面する場面ではないが、誰にでも訪れ得るとも言えるかもしれません。パウルは敵兵の心臓をナイフで何度も突き、その後で助けようとする矛盾を露わにします。ここで生じる大義と感情のギャップ。殺し合いなんて本当はしたくないけど、殺さなきゃ殺されるから殺す。「個人ではなく全体が重要」とされる戦争下において、殺すべきは自身の感情だとも言えるかもしれません。物語のラストで退避壕?の中で敵の顔を直視して固まるパウル。フラッシュバックするのはかつて殺した敵兵の記憶でしょうか。銃ではなく剣で後ろからひと突きされ戦死するという皮肉さも痛々しく残ります。


☆戦争における子どもと女
  主人公パウルの相棒役カットの最期は、盗みに入った農家の子どもに射殺されるというのもまた皮肉たっぷりですよね。天然痘で息子を失うも、帰還したらまた子どもを設けたいと願っていたカットが少年に撃たれて死んでしまうのだから。一度目に盗みに入ったときと異なり、鳥ではなく卵(=子ども)を盗んだというのがアクセントとなって、カットの死にさらなる悲哀を感じさせます。
  戦争は男の仕事であり、この作品においても女性はほとんど登場しません。一度だけエロスの対象として登場し、その際に戦友フランツは初体験とスカーフを手に入れます。その後ほどなくしてフランツは戦死し、パウルは亡き友の形見としてチャーデン(泣)からスカーフを預かりますが、もうこの時点でスカーフはエロスとしては機能不全になっています。戦争が終わったとしても負傷兵に明日(未来)はない、と悟り自らの首にフォークを突き立てて自害したチャーデンを目の当たりにして、明日が来るのを恐れるパウルが母の話をこぼし、強がって出征した過去の自分の愚かさを省みるのもこの場面です。スカーフはエロスを想起させるものではなく、母性を感じさせるものに変化しているように思えます。戦争の時代でさえなければ、パウルもまた、子どもの範囲にいる若者なのです。

☆ペンひとつで終わる戦争、何発の銃弾を使っても終わらない戦争
  どの戦争映画にも共通して言えることかもしれないが、やり方を決めて優雅な食卓につける国のトップと、それに従って殺し合いをするだけの兵士たちという、"脳"と"手足"の構図を必ず描く。兵士たちは泥水をすすり、敵兵を殺した直後に塹壕で残飯を貪るような地獄の日々を過ごす。一方で、お偉い方はやれパンの焼き方がどうだ、ワインをなんかいちいち床にシュッとやるわ(あれは何か意味あるのか?)戦時中とは思えない振る舞い様である。兵士たちはたった10メートルの陣地を侵攻するために命を落としていくというのにだ。"異常"なことしか起きていないのに、"異状"はない、と言うのだ。パウルという若者をストーリーテラーとして進むこの作品だが、間もなく停戦というところで彼は敵兵に刺殺される。あと、1分でも生きていられれば、故郷に帰ることが出来たかもしれなかったというやるせない絶望は直視するに耐え難い。かつて戦地に赴いたばかりの時分に、戦死者のドッグタグを回収していたパウルが、物語の終わりには回収される側になっているという無機質な残酷さ。明日は我が身、それでも"全体"としては異状なし、なのだ(綾波かよ!!!!)

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