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私以外のものから生まれた私


5月1日、聞いたところによると和歌山にあるお店「ens」は豪雨の中でオープンを迎えたといいます。雨風と共に雷も響くなか、夕方には虹が架かるなど、雨の恵みと虹のきらめきがお祝いであるかのようです。

ensではオープンにあわせて店主の有紗さんが心から尊敬される作家さんとの共作の展示が行われていました。

それは「共生」
土地やご縁、生命の美しさの中でうまれるもの。それらはきっと作家さんたちの日々感じていられることや、有紗さんとの繋がりがあったからこそ生まれたものなのだろうと感じました。
展示には有紗さんと共にiaiさん、河合和美さん、野原さん、Yasuhide Onoさんが参加されていました。
そして嬉しいことに私は有紗さんと共に作家さんへの取材に同行させていただきました。

旅のお話をゆるりと。

スタートは岡山にお住まいの陶芸作家、河合和美さんのご自宅へ。有紗さんが道中仰っていた「山奥」というワードがまさにその通りで、細い獣道はクライマックスと言わんばかりの険しさでしたが、そちらを越えてしまえばすぐに和美さんのご自宅が見えてとてもほっとしました。
早速、和美さんがお茶を淹れてくださりました。茶葉が香る空間はきっと初対面の緊張感をほぐしてくれる魔法があるのかもしれません。
まだ3月のはじまりだったため、お茶の時間を楽しんでいたら空も暗くなりはじめていました。そろそろ夕食の支度ね〜、と和美さんは何故か家の隣にある工房へと向かわれます。そこには、出来たての耐熱皿が!電気窯から取り出した器たちは同じ耐熱皿でも全てが均一というわけでなく、それぞれが個性を纏っていました。それらにヤスリをかけれてそのうちのひとつを夕食用のため手にとられた和美さんは台所へ。和美さんはお料理を作りながら有紗さんと楽しくお話されていてその様子からお二人の愉快さというかたくましさというか、とてもポジティブなエネルギーを感じました。耐熱皿にはトマトや玉ねぎと共にお米がくつくつと調理され、花弁のように丁寧に手羽先が並べられていました。
和美さんはとてもお料理が大好きで、器はお料理からうまれてくるらしいです。きっとお料理ひとつでもその時の気持ちによって、季節の景色によって、食材を手にしたときの感覚によって変わるからこそ、和美さんの器たちはひとつひとつ自由な形で棚に並んでいるのかもしれない。
翌日は陶芸の様子を見せていただきました。実は陶芸を目にするのは初めてだった私。土を何度も叩いて柔らかくしていくその様子は月のクレーターを作っているみたいで、土からひとつの惑星に変化しているようでした。型に土をかぶせて、土台を回しながら外面の土を手で叩き、型に土を馴染ませていきます。そしてある程度乾かしたらひっくり返して型をとります。模られた器はまるでふんわりとお花が咲いているような柔らかさと土からうまれたダイナミックさの両方が感じられました。
と、私の分かる範囲で工程を綴りましたが、本当は器をつくられている和美さんのその豊かな表情が印象的です。
お茶のこと、お料理のこと、器のこと、暮らしのこと。ひとつひとつ心に残る時間をありがとうございました。


3月末、3日間の旅がはじまりました。

1日目はうつしきオーナーであり、アクセサリー作家であるyasuhide onoさんのところへ。桜が満開になっていた福岡のぽかぽか日和と同じくらいうつしきでもあたたかい時間を過ごすことができました。
それは小野さんからうまれる言葉たちがとても楽しいお話となって次々と広がっていくような時間だったからと断言できます!
小野さんがアクセサリーに魅力を感じられたこと、幼い頃周囲と同調することに疑問を感じていられたこと、好奇心からつながる学びや生まれていく思考がとてもかっこよかったです。
言葉が言葉を呼び、話が次々と芽生えていく様子のなかでも特に、死を思うということが小野さんの原動力のひとつになっていることが感じられました。
(これはensでのインスタライブにおいても質問させていただきました!メメントモリを意識することで時間が有限である故に自分が何をするべきなのか、といったことに繋がってくるようです)
うつしきでの時間を通してあまり小野さんのことを知らなかった私としては、有紗さんと小野さんとの会話から様々なお二人の一面と出会うことができたと思います。
何より学んだことをうつしきや身近な人たちのために繋げていくこと。そして高め合うこと。知識や経験を駆使した先にあるものが人のためにつながるような感覚を覚えました。
手がけるアクセサリーについては、ひとつひとつの石たちはきっと最初は名前もなく意味もなくただただ地球にあったのだと思います。窓辺に確かなきらめきを携えてそこにある石たち。まるで宇宙からできたような、遥かな時をかけて今そこに存在している尊さ。その美しさを身につけることができる幸せといったら今日も心地よく生きていくためのおまもりのようなものなのでしょうか。
そして森で寺子屋をされたいと話していた小野さん。湖が静かに光を吸い込んで世界のかがやきをうつすその鏡は、うつしきの美しい家族を包み込んでいるようでした。
きっと、yasuhide onoさんはうつしきオーナー、アクセサリー作家、父親、それらの肩書き以上の存在であらゆるものを見つめて生きているのだと感じました。



旅の2日目と3日目は衣iaiを手掛ける居相さんのご自宅へ。
iaiといえば私の周囲ではiaiさんの服をお召しになられている方が多く、どの方もいつも心地よく袖に腕を通している印象でした。
どのような方が手がけられているのだろう、とドキドキする私に有紗さんはずっととっても素敵な家族だよと仰ってくださって、更なるドキドキが止まりませんでした。
そして「こんにちは!」とお会いできたときの第一印象は家族みなさんの笑顔が素敵だな、ということ。
車の中でも、新拠点の場所でも、居相さんの家でもずっとずっと美しい愛しさがまたたいているようで、こんな素敵な方からあの衣が生まれているのだと考えると、一着一着がきっと届くべき人のところに届いているのだろうと感じました。
布がどのようにしてできるのか、暮らしがどのようにしてできるのか、そのような疑問に真正面に向き合って生きている。その生き様はたくましく、愛に溢れていると感じます。
それはきっと居相さんが衣を手掛けることだけではなく、家族と共にいる時間も心から楽しんでいるから作品にもどこまでも日常や暮らしといった気持ちが見えるようでした。
居相さんの衣は作品でありながら、作品だけには留まらない日常そのものです。
衣を纏うとき、きっと気持ちが整って、自分と一緒にいてあげられるような気がします。
東日本大地震の時に体験したこと、もともと服が好きだったこと、大好きな人と運命の出会いをしたこと、ひとつひとつの事柄が糧のように衣を手掛けることにつながっているようです。
しとしとと雨が降るなか居相さんや愛さんとお話をしていることがとてもとても心穏やかな時間となりました。


時系列は戻り去る冬の長野県。布や革を扱って制作を手掛ける野原さんに会いにゆきました。
初めて夕方喫茶さんの展示でお会いした時から優しい人柄に惹かれて、気づけば会いたいです!と連絡をしておりました。
野原の健司さん、野原さんはお二人とも本当にあたたかい方で優しい人柄で接してくださります。
朝からおむすびを作ってくださった野原さん。戸隠神社まで車を走らせてくださった健司さん。そして佐藤家の恵みであるタパ。
長野県佐久の霧や雪など様々な景色に包まれてながら暮らすお二人の生活から今を生きる尊さを感じました。
都会のような情報はないかもしれないけれど、多彩な恵みにあふれている自然からものづくりへとつなげていく。その様子は動物の生きた証である革から感じることができます。
健司さんといえば一針一針刺繍をされる様子も印象的でした。藍色の布に丁寧に星々を紡いでゆき、野原さんがその布に糸を結えてくださりました。
私にとっての特別な小物入れです。
触れると布が旅をしたその土地の香りに包まれるようです。
どこまでも正直な健司さんだからこそ出会うべき布と出会い、人と出会い、美しいものづくりへと形になってゆくのだろうと思いました。
また手を動かしていること自体が健司さんの癒しにもつながるのだとか。
星々を縫う時はまるで物語を紡いでいるかのようです。
有紗さんとの最初の出会いは東京でということで、当時の健司さんの様子を教えていただきましたが現在の容姿からは全く想像ができませんでした。


みなさんとの時間は眩しく、心地よく、この時確信したことが「人が生きていることが自分が生きていることにつながる」ということでした。
それは展示中にも感じていたことで、ものや人との繋がりが必ず自分の生活にあるということです。
肩書きだけではなく、その人の人柄でつくられたものだから好きだと思いました。
その人がどこかで大切な人と暮らしていること、そしてそこからうまれる作品たち。それが私の日常の一部になっていつも心地良さそうに存在しています。
共生。まさに共に生きていることの嬉しさや喜び。自然や心に思い描く情景もまた共に生きることのしるべです。

有紗さんが植物をおまもりのように感じていたこと、そしてそれぞれ違った場所でも違った咲き方で生きている美しさを感じたこと、その気づきがとても好きです。
どのような素材でどのような工程を経て作品がつくられているのかまだまだ勉強不足な私ですが、
やはりものづくりの背景にある作家さんの気持ちや営みを先に届けたいと思っています。


「共生」
今日もどこかであなたが生きることで誰かの生きる糧となりますように。

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