保育園看護師としてお迎え要請をしながら思うこと

私は10年程大学病院で働き、保育園看護師に転職した。
途中産休育休を挟み、育休から復帰後は特に毎日満身創痍だった。心も身体も限界だった。
忙しく、ピリピリした病棟の空気。イライラを必死で隠す同僚、隠さない同僚、そして自分。ご縁あって部署は変わっても新人の頃からずっと同じ尊敬する師長と働くことが出来た。それだけが救いだった。
育休から復帰後は時短勤務であったので、自分で抱え切れる仕事が格段に減った。患者さんとの雑談より、時間内にここまでは終わらせて帰りたい!という気持ちを優先させることが多くなった。(まぁ、若い頃は自分の効率の悪さと業務過多故に患者さんと話す時間の確保が難しい一面もあったが…)
もっとちゃんと患者さんに寄り添いたかった。そう言えば聞こえがいいが、要するに仕事で味わえる達成感が減ったこと、消化しきれなかった自分がいることが許せなかったのだ。
それに気づいた時、自分自身にびっくりした。
私は自分が思っている以上に働くことが好きらしい。
子供も居るし、所謂「人の為になる仕事」の分類に当てはまる仕事をしていたが、結局は自分の気持ちを満たすために働いていたのだ。
それなら働くことを楽しめないのは損じゃないか?と思った。そして、学生時代からいつかはやってみたいと思っていた保育園看護師になった。
今の仕事では、体調不良の子が園内に居ると私に報告が来る。
園で様子をみていいものか、お迎え要請をすべきか…
明らかな発熱や嘔吐であれば、お迎えを呼びやすい。
しかしこのご時世。酷い咳なんですけど…微熱なんですけどずーっとゴロゴロしてて活動に参加できないんです…元気なんですけど軟便が3回出てて…なんて相談の多いこと多いこと。
他の子への感染リスクや、なにより体調を崩しかけている子が集団の中で新しいウイルスや菌をもらってなし崩しになることを防ぐということを考えると、もちろんすぐにでもお迎えを呼びたい。
しかし、未婚の若い先生たちと同じように、こども(達)のため!という気持ちだけですぐに呼び出しの電話をできない自分がいる。あまり良いことではないのかもしれないが、ギリギリまで様子を見てしまう。
何故なら5歳の我が娘、割と重めな喘息っ子。最近は夫が在宅勤務で家庭保育が出来る時もあるので(その分夜に白目を剥いて仕事をしている夫…ありがとう…!)体調不良時は無理をさせなくなったが、私が病院勤務の時は我ながら酷い親だ。
コロナ禍前で、昨今程登園基準が厳しくなかったこともある(言い訳)。明らかに咳酷いでしょって状態でも、保育園に連れて行っていた。そして、1時間後に呼び出し。
ちょっと熱高め?もう一回測ろう!体温計あんまりぎゅっとしないで測ろう!うんうん、37度なら平気!そして、1時間後に呼び出し。

それを0歳児クラスの頃からやっていたのだ。今思えば本当に自分本位で酷い親だ。娘にごめんなさいと土下座したくなるし、保育園に足を向けては眠れないと本気で思っている。
そんな過去があるので、子供に多少無理をさせてしまう親の気持ちは想像できる。
しかし、大目にみてばかりはいられない。やはり集団防疫の管理を担っている。あくまで看護師なので、診断はできないが、保育士さん達は私の判断を頼りにしている。
心を鬼にして、自分のことは棚どころか雲の上くらいにまで高く上げて、一方過去の自分を振り返り、自分のように子供に無理をさせる人が1人でも減ることを願って、今日も今日とて電話する。
「〇〇ちゃん、お熱は微熱なんですけど下痢が2回出てまして…機嫌はよくて水分は取れるんですけど、水分取るたびうんちが出ちゃうんです。保育室内でもゴロゴロしてる時間が多くてですね…早めにお迎えに来ていただきたく、ご連絡しました。お時間調整していただけないでしょうか。」
働く親の気持ちはわかるが、最後のセリフはキッパリ言うようにしている。私も大概なヤツだ。


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