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第13回・『吸って吐いて』と『吐いて吸って』

煙草は『今は』止めている。
吸っていない状態としては、結果的には同じだが、私は今自分がしていることは『禁煙』だとは思っていない。

もう何年か吸っていないが、常に「今は止めている」「偶然吸いたくないだけ」の気持ちでいる。
それは毎日・毎時間・毎分・毎秒。完全に自分は『煙草による暗示』から脱したとは考えていない。

「たまたま今は吸っていないだけ」「今は止めておこう」を繰り返しているだけで、それが継続した結果、数年が経っただけだ。

もしどこかで気持ちが折れて、1度でもこの決心を自分の中から吐き出してしまったら、そこにはたちまち煙草の煙が充満して、元に戻ってしまうと思う。

喫煙期間は18年に及んだ。
何度か禁煙も試みたが、その度に失敗した。短くて数時間、長くても半年間だった。
そんな私でも、今こうやって数年間は吸わないでいることが出来ているのは、考え方を変えたからかもしれない。

冒頭の通り、「これからずっと禁煙するぞ」ではなく、もっと気楽に「今は止めてみよう」にしただけだ。
1度で長期的な目標を宣言するのではなく、瞬発的な単発の思い付きを何度継続出来るか。

前者の場合は、もうずっと我慢しなければいけないという呪縛と戦うのに対し、後者の我慢は一瞬だ。

そもそも人間なんて、そんなに万能な生き物ではないのだから、長期間に渡って欲望を抑え込むなんて不向きなのだと思う。
禁じることよりも、常に欲望に負けてしまうことも許された状況に置いてやる方が、ストレスも無いし、継続出来ている喜びの感じ方も、より大きくなるのではないだろうか。

何事も考え方と軽いノリで、『楽しみ』『楽しさ』に変えてしまえば、案外簡単に望んでいた結果には変えられる。
私が煙草を止めたのも、やはりそれだった。

「明日は1月1日か…じゃあ止めてみよう」と、そんな感じ。

あれだけ苦労して、あれやこれやと試みた禁煙。
単純に精神的な我慢や、道具に頼ったり、自らに罰を科したこともあった。

それなのに、ちょっと考え方を変えただけ。
それだけで、簡単にキッパリとそれ以降は吸わなくなった。

あとは、同日に入籍したのも、きっかけにはなったかもしれない。
それに関しては、ノリで決めたことではないが、ただ結婚生活にも同じように、「これからずっと幸せでいるぞ」とは考えなかった。

きっと色々あるだろうな、喜怒哀楽あって当たり前だと、色んな余白を持たせ、これから起こりうることを、あらかじめ許した状況下で生活していたら、結果的に幸せを感じられる人間になっていた。

今、自分の中から『幸せ』を吐き出してしまったら、その空白には何が吸い込まれるのだろう。
わざわざ悪いものを取り込む必要なんてないな、と日々思うのである。

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