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毎日noteを書いてみようと思う

あしたから「毎日note」を書いてみようと思う。今日はその0日目。

きっかけは毎日noteを書いている人を見かけたこと。「毎日noteならわたしにも書けるのでは」と思った。だってわたし、小3から日記を書いてるし。このnoteだって何千記事も書いてるし。

目的はエッセイのような文章の練習。いや、正確には文章の練習というよりは、どんな切り取り方をしたら誰が読んでくれるのか?何を書いたら誰かに響くのか?の感触を掴みたいから。

わたしはエッセイのような自由な文章を書いて生活費の一部にしたい、という気持ちがある。

理由は「感じること」と「書くこと」ならわたしでも苦痛なくできるから。他のことができないから。もう、下手くそは承知で、「下手くそだけどできるもの」をなんとか形にするしか生きる道がないような気がしているから。切羽詰まってるわけでも病んでるわけでもないけれど、わたしの中に魂が存在するとしたら、その魂ができるのは感じることと書くことくらいだと思う。

そのわりには怠惰で、何を継続すべきかすら忘れてしまい、「エッセイのような文章を作る活動がしたい」ということすら週に一回ほどしか思い出せない。週に一回、つまり月4回ほど。月4回ほどしか思い出さないことが形になるとは到底思えない。このままじゃエッセイのような文章を作ることが形になるのは200年後になってしまう。人生、間に合わない。

やりたいことを思い出すために、毎日思い出すために、「毎日noteを書く」を身体に染み込ませたいところである。

一貫したテーマが無いと読み物としての印象がぼやけそうなので、一応テーマも考えてみた。

ちょっと書きにくいことを書く。これがテーマ。

たとえば結婚手続きが面倒くさいとか、昔カンニングをしたとか、頭のかさぶたをはがす気持ち悪い癖があるとか、無痛分娩ってどうなんだとか、働きたくない気持ちはずっとあるとか、プライベートなことや誰かに読まれたら少し気まずいことを中心に書こうかと思う。

理由は、きれいな文章が書けるわけじゃない中で誰かに読んでもらうには、ネットらしいネットの使い方をした方がいい気がしたから。ネットに上がってる文章はもともと少し汚くて、マイナスのところでの共感で繋がっているものだった。いつのまにかSNSというものが増殖して、リアルなつながりがネットに反映されてしまったり、ネットで真面目な話をしたり、陽キャ寄りになってしまった。だけどネットはもともと陰キャ寄りでじめじめした居心地の良さのあった場所だ。その空気感が好きだから、知り合いは誰も読んでないような気分で、少し気まずいことを書いてみようかなと思ってる。

感じることと、それをそのまま書くこと。ただ人生の中で真っすぐにやってきただけのことを、人よりも量をこなせることを、改めてやっていくまでである。

「下手くそだけど、できること」をアレンジして、積み上げて、なんとか形にしていくしかないのである。感じることはできる、書くことはできる、それらをごちゃごちゃごちゃごちゃやっていく。

0日目終わり。

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