全工程を自分でやりたい
文学フリマ東京38に持っていくための簡単な冊子を準備中の30歳女です。
冊子を作る中で「自分の仕事は、全工程を自分でやれるから好きだな」と思ったのでここに書く。
11月に作ったエッセイ集は、印刷会社に依頼してきちんと製本した。180ページの「無線綴じ」と呼ばれる綴じ方。自費出版とはいえ、普通の文庫本の形。
今回の冊子は、30ページのちょっとしたもの。コンビニで印刷して、専用のホチキスを購入して、自分で製本しようと考えている。手作り感あふれるやつ。
いわゆる「中綴じ」と呼ばれるものだ。
この中綴じ、印刷するためのデータの作り方がちょっとややこしい。
なので印刷する前に、A4用紙を小さく切って練習してみた。
今回は表紙を含めて30ページほしい。紙を表面×2、裏面×2の4面で使っていく関係でたぶん4の倍数ページにしかできないので、32ページ(紙8枚)で作ってみる。
紙を重ねて、真ん中で折っただけ。
つまり、1枚の紙の表面には13,18ページ目、その裏面には19,12ページ目を載せないといけない。
「どなたがペアですか?」って感じのデータを紙8枚分作らないといけない。
これ系の作業は苦手なので、「うわぁ〜面倒くさいな〜」と思ってしまう。
面倒くさいけど、「冊子を作りたい」という自分の気持ちを叶えるためなので、特に違和感なくできる。
面倒くさいし苦手だけど嫌ではなく、できてしまうわけだ。
わたしにとって「違和感なくできる」というのは大事で、できれば仕事はこうでありたい。
分業で仕事をすると「どういう意図でこうしてるんだろう?」「微妙じゃない?」「これに興味ないわ〜知らんわ〜」「いったいこれは、誰による誰のための仕事なんだろうか〜本当に必要か?」「ブルシットジョブってやつだなぁ〜」「なかなか確定しないな……」とか思ってしまう性格だ。
小さな仕事の全工程を自分で担当すると、この辺の疑問がわかず、納得感があるのでとても良い。納得できる。違和感がない。意味が分かる。
もちろん仕事によっては分業して協力した方がいいものを作れるときもあるけど、基本スタンスとしては一人完結の小さな仕事をしていたいなぁ。
作業ひとつやるだけで、こんな風に考えが派生していった。
いくら非効率でも下手くそでもセオリーから外れていても、納得感は必要なんだよな。苦手なことができないんじゃなくて、納得感のないものができないだけだ。
毎日投稿509日目。
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