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箱根・旧東海道と石畳の道 ♣山と歴史の連なる道♣(0006)

“天下の険”とも呼ばれた、江戸時代の東海道の難所のひとつである箱根に残る石畳の道です。
(本記事/ 文字数:約8000字、読了:約16分)

山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道 石畳の道
「箱根旧街道」入口(元箱根港側)

<趣意>
山林が国土の約7割を占める日本では、山も歴史との関係が深いものがあると思われます。そんな日本の歴史とも由縁のある山を、連なった歴史とともに辿っていきたいと思います。


山と歴史の連なる道 箱根 観光案内図
箱根の全体像

「箱根 旧東海道 石畳の道」
(はこね きゅうとうかいどう いしだたみのみち)
場 所: 神奈川県足柄下郡箱根町

<端緒>

江戸から京都までを結んだ東海道は江戸時代には五街道のひとつであり、近世日本における最大の街道ではなかったでしょうか。参勤交代などで大名行列が行きかい、商人たちも商売のために往復し、時代が下ればお伊勢参りのために多くの庶民にも利用されました。

現在の東京~京都間でもいつくかの場所は江戸時代の面影や風情を感じることができる景観があります。
そのひとつである箱根の石畳の道を歩いてみました。
今回は京都から江戸へ“下る”旅人の気持ちとなって箱根の関所から箱根湯本に向かってみたいと思います。

山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道
「旧東海道」説明

<概要>

徳川家康による幕府開設とともに「五街道整備」が行われ、宿場町の形成や関所の設置が行われました。このとき箱根にも関所が設置されました。当時の箱根の中心部は芦ノ湖湖畔の現在の元箱根のあたりだったようです。関所はここに隣接して設けられました。
京都方面から見ると、三島宿と小田原宿の間の箱根峠(標高/約893m)を登り上げて越える「箱根八里」は東海道有数の難所として知られていました。
峠越えという険阻な道であることに加え、江戸時代当初の東海道(江戸時代になり道がそれまでから付け替えられた)は降雨にはぬかるみが酷く、その対策として石を敷いて通行の利便性を高めたそうです。


<登山コース>

江戸時代に設けられた箱根の関所跡から出発です。

山と歴史の連なる道 箱根 箱根関所
箱根関所跡 入口
箱根関所 京口御門
山と歴史の連なる道 箱根 箱根関所
箱根関所 番所

「箱根関所跡」バス停は箱根の土産物等の販売所である「箱根関所旅物語館」の前にあります。その隣に江戸時代の関所が復元されて観光施設となっています(要入場料)。
当時の建物が復元され、人形などにより当時の関所通過のためのいろいろな様子や事情が解説されています。また資料館もあり、そこでは江戸時代の箱根関所の実態だけではなく、明治時代に廃止後、後年の発掘から復元までの過程も丁寧に説明されています。


山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道 杉並木
箱根旧東海道 杉並木
山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道 杉並木
箱根旧東海道「杉並木」 説明
山と歴史の連なる道 箱根 葛飾北斎 富嶽三十六景 相州箱根疎水
葛飾北斎,Katsushika Hokusai『冨嶽三十六景 相州箱根湖水』(東京富士美術館所蔵) 「東京富士美術館収蔵品データベース」収録 (https://jpsearch.go.jp/item/tfam_art_db-6206)
山と歴史の連なる道 箱根 芦ノ湖 元箱根港
葛飾北斎「富嶽三十六景」の構図に一番近そうな景観(元箱根港そばの展望テラスより)
元箱根港 大鳥居
山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道
元箱根港側から旧東海道への分岐に入る

箱根関所跡の資料館を出て旧東海道の道へ、いよいよ入ります。
国道1号線沿いに並行するように杉並木が残されており、当時の東海道の様子が偲ばれます。杉の背丈は高く両側を挟まれた道は、すぐ横に国道が通っているにもかかわらず”昼なお暗く”また静けさがあります。
杉並木の道を抜けて元箱根港にやってくると、「元箱根港」バス停そばで国道1号線から旧東海道が分岐します。右手の上り坂が旧東海道になります。


山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道 石畳の道
箱根旧東海道の入口
山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道 石畳の道
石畳の道
坂の名称を刻んだ石が各所にあります
山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道 坂
箱根旧東海道の各坂の説明案内

しばらく坂を上がっていくと「箱根旧東海道」の看板が出てきます。そこからさらに少し足を伸ばすと、いよいよ石畳の道が現れてきます。
石畳の道はこの先ずっと続くわけではなく、断続的に現れたり、土の道や簡易舗装された道であったり、車道わきの歩道になったりとします。
権現坂(旧東海道にはいくつか坂に名前が付けられています)を越えていきます。いったん県道732号線を横切り、ふたたび石畳の道に入ります。その先に「甘酒茶屋」があります。


山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道 石畳の道 甘酒茶屋
甘酒茶屋 外観

茅葺屋根の「甘酒茶屋」にたどり着きました。
こちらも復元・再興されたものですが、それでも当時の雰囲気を感じさせてくれる風情のある場所だと思われます。現在もその名の通り甘酒をはじめとする軽食等の提供をしており一服できます。


甘酒茶屋から県道に合流する
山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道 猿滑坂 ヘアピンカーブ
猿滑坂のヘアピンカーブ
横断歩道を渡り右手の旧東海道へ入る
山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道 石畳の道 猿滑坂
猿滑坂 説明

甘酒茶屋を過ぎて少しすると車道(県道732号線)に合流して、しばらくはこの車道わきの歩道を歩いて進みます。
ここで732号線は急坂の大きなヘアピンカーブとなります。旧東海道では“猿滑坂”と呼ばれていた場所です。当時から「猿でも容易に越すことができない」とされた難所のひとつでもありました。
歩道は732号線沿いに階段が付けられており、そこを下っていきます。階段を下りきったところで732号線を渡り、ふたたび石畳の道に入ります。


猿滑坂から先にふたたび石畳の道が続く
山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道 石畳の道 橿木坂
橿木坂の九十九折り 全体図
車道の脇の階段
山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道 石畳の道 橿木坂 九十九折り
橿木坂の九十九折り
橿木坂 説明
歩道が切れた箇所(振り返って撮影)
車道からふたたび石畳の道へ下ります
下りた先の石畳の道
山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道 石畳の道 畑宿
畑宿が見えてきます

さらに畑宿の方へと向かっていきます。
この先に旧東海道では“橿木坂”(かしのきさか)と呼ばれた場所に入ります。県道732号線はつづら折りの小さなヘアピンカーブが続く急坂となり(日光の“いろは坂”のようです)、途中で国道1号線(箱根新道)とも交差します。
歩道は猿滑坂と同様に車道わきにつけられた階段を下り、またヘアピンカーブ沿いの歩道を進みます。一部、車道わきの歩道が切れて車道の路側帯を歩くところ(短距離)があります。交通量はけっこうありますので注意が必要と思われます。
しばらくするとまた石畳の道に戻ることができます。その先で国道1号線をまたいだ橋を渡るともうすぐ畑宿になります。


山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道 石畳の道 畑宿 一里塚
畑宿にある道標
山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道 石畳の道 畑宿 一里塚
畑宿 一里塚
一里塚 説明
畑宿から旧東海道への分岐
山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道 石畳の道
江戸時代の石畳が保存されている地点
石畳の道すべてが江戸時代当時のままではなく、一旦荒廃してしまい復元された部分もあります。

畑宿へやってきました。
ここには一里塚が残っています。畑宿は箱根細工と呼ばれる寄木細工の工房がいまもいくつかあります。
畑宿の端からまた石畳の道へ入ることができます。そこからさらに県道732号線と合流し、さらにまた石畳の道に分かれて”割石坂”を下り、ふたたび732号線と合流です。


山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道 須雲川自然探勝歩道
県道から須雲川自然探勝歩道への分岐
須雲川河原の丸太橋についての注意
吊橋利用に関する案内
須雲川 吊橋
山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道 須雲川 須雲川自然探勝歩道
須雲川 丸太橋

ここで「発電所前」バス停そばにある須雲川自然探勝歩道へ入っていきます。すこし進むと須雲川の河原へ下りていく階段があります。この下に須雲川を渡る細い丸太橋があります。ただしこの橋は流されてしまうことがあり、また増水時の利用は危険です。そのような場合は河原へ下りる階段ではなく、その先にある発電所手前の吊橋を使って向こう岸へ渡ります。
このときは丸太橋を利用しました。しかし写真のとおり、橋が傾斜しておりますので雨天時には滑りやすそうです。また、渡るときは一人ずつでと注意書きがあります。


須雲川を渡り左手へ進む
山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道 石畳の道 女転坂
女転坂
女転坂から先は県道の路側帯をほぼ歩く

対岸に渡り終えて左手に進みます。さらにその先の”女転坂”を出ると県道732号線に合流します。
この先はほぼ732号線の車道の路側帯を歩くことになります。細い車道ですが、けっこうな交通量があります。歩く場合は通行車両によく注意する必要がありそうです。
732号線はバス通りでもありますので、場合によってはバス利用を考えた方がいいかもしれません(時間帯等にもよりますが、箱根湯本駅方面へバスは30分に1本程度が走っています)。


福寿院のそばに短距離ですが石畳の道があります。
山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道 弥坂湯
弥坂湯 昔ながらの公衆浴場
山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道 早雲寺
早雲寺 惣門
早雲寺 説明

このときはゴール地点を早雲寺と考えていましたので、通行車両に十分に注意を払いながら県道732号線を進みました。途中の福寿院のあたりでまた少しだけですが、石畳の道へ入ることができます(すぐに732号線に復帰します)。
昔ながらの公衆浴場である「弥坂湯」を通り過ぎます。さらにその先に732号線沿いに早雲寺の惣門がありますので、そこを通り抜けて早雲寺の前へ出てきました。
ここが今回のゴールです。
早雲寺からは歩いて10分弱で箱根湯本駅へたどり着けます。

[行程]

※標準的タイムによる目安(休憩含まず)
「箱根関所跡」バス停→ 元箱根(20分)→ 甘酒茶屋(30分)→ 畑宿(50分)→ 女転坂(40分)→ 早雲寺(50分)
歩行時間/ 3時間10分程度
標高差/ 750m程度

[登山コースの補足]

箱根関所跡から箱根湯本へ向かう場合、起伏はありますが、基本的には下り基調の道になります。
箱根湯本側から箱根関所跡へ向かう場合、畑宿から先の甘酒茶屋までの道はけっこうな登り(橿木坂や猿滑坂が続く)になります。
道標や案内板などが多数、設置されていますので、基本的に迷うことはほとんどないと思います。

山と歴史の連なる道 箱根 旧東海道 石畳の道
でこぼこ・隙間だらけの”石畳の道”

石畳の道は、都会の街路の石畳とは異なり、丸っこい石が隙間だらけで敷かれていますので足を取られやすいです。また苔が生えている石も多いため滑りやすいところもあります。
ときどき県道732号線と合流し、手近にバス停のあるところにも出ますので、必要に応じてバスを利用してもいいかもしれません。
トイレは要所にあります。

[アクセス]

JR東海道本線または小田急小田原線「小田原」駅より、箱根登山バスまたは伊豆箱根バス「箱根関所跡」バス停、下車。
※箱根登山鉄道「箱根湯本」駅からもバスに乗車できます。

[国土地理院地図]

箱根関跡


<江戸時代の東海道>

ひとくちに”東海道”といっても時代によりその道筋にはいくつも変遷があったそうです。ちょうど江戸時代の頃に定まったのが、現在では”旧東海道”と呼ばれるルートにおおむね相当します。箱根では石畳の道が残っている部分になります(すべての旧東海道ルートが現存しているわけではありません)。

箱根路の変遷 説明

石畳の道を始めて歩いたときは、加工されていそうもない丸っこい(それとも磨り減って丸くなったのか…)石が無造作(?)に隙間だらけで敷設されているだけのため、「デコボコでかえって歩きにくいよ」と正直なところ思いました。

しかしそれ以前の箱根の街道は相当な悪路だったようです。
雨天語には膝まで沈んでしまうことがあり、進むこともままならほどであったようです。そこで周辺のササダケ(ハコネダケ)を利用して道に敷いて対策を施したそうです。しかしながら、ササダケですと耐久性もないため何度も敷き直さなければならず、維持管理が大変だったため、石を敷設することになったもようです。

街道の両脇に生えているササダケ

そう考えますと、泥に足を取られることがなくなり、当時の人々にとってはたいへんありがたかったのではないかと思われます。
敷かれた石も、隙間をつくることで排水をよくすることを意図されていたのかもしれないなーと思いました。


”石畳の道” 説明
”石畳”構造 説明

幕府は街道の整備に関して当初はあまり積極的ではなかったように思えます。とくに西に通じる東海道は、万が一の場合、豊臣方の勢力の進軍を利するようなことになりかねませんので消極的だったのかもしれません。しかし時代が下って、徳川家の覇権が確立して侵略の脅威が消滅し、また公的にも民間レベルでも東海道が日本の交通の大動脈となりますと、人々の往来の不便を放置しておくこともできなくなったのでしょうか。

雨天の後に金時山に登ったことがあるのですが、そのときに驚いたのは、泥の質です。粘着力がすごく、靴底についた泥がまったく取れず、どんどん積み重なっていきました。ついには登山靴が厚底サンダルのようになってしまい、閉口した記憶があります。
おそらく箱根あたりの土の質は、箱根の火山の火山灰や自生するササダケなどの落葉の性質によるものでしょうか、水分を含むと非常に厄介になるのかもしれません。

京阪と江戸を結ぶもうひとつの街道としては”中山道”があります。意外にも(あくまで個人的な印象ですが)、中山道の方が山中の険しい道もあるのですが、女性にはよく利用されたそうです。中山道は別称”姫街道”とも言われておりました。

一方で東海道は箱根峠以外にも、たとえば「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」とも謳われたように、大井川は架橋されず、徒渉するしかありませんでした。ひとたび増水すれば、水が引くまで何日もその手前で滞留させられたそうです。大井川が架橋されなかった理由としては前述の通り、西方からの江戸侵攻を阻害するためということもあったでしょうが、当時の土木技術的な問題もあったのかもしれません。
静岡の”さった峠”に行ったこともありますが、当時の資料を見たところ、当初は波打ち際ギリギリや海へ切れ落ちた断崖をトラバースするように歩いていたそうです(日本海側の”親不知”と似たようなロケーションでしょうか)。当然、台風でなくても強風で高波のときは危なくて通れなかったのではないでしょうか。
東海道というと、「海沿いの比較的平坦な道を歩く楽そうな道」という勝手なイメージがありました。実際は難所や危険箇所が相当多かったようです。

江戸時代という泰平の世となり、庶民も参詣などで旅を楽しめるようになったのであろうなーなどと以前はお気楽に考えておりました。いまでは新幹線に乗って3時間もせずに東京~京都へ気軽にいけますが、(比較するべくもないのはもちろん)インフラの発達していない当時の旅はやはり危険や困難と隣り合わせだったのだなと改めて思い直しました。


<補足情報>

[付近の山]

金時山
箱根駒ヶ岳(箱根山)
明神ヶ岳・明星ヶ岳

[お食事処]

はつ花 /日本蕎麦 ※公式サイト 箱根湯本
湯葉丼 直吉 (箱根湯本観光協会) 箱根湯本
知客茶家 /豆腐・山芋料理 ※公式サイト 箱根湯本
桔梗屋 /日本蕎麦 ※公式サイト 畑宿
ラ・テラッツア芦ノ湖 /イタリアン ※公式サイト 元箱根

[日帰り温泉など]

箱根湯寮 ※公式サイト
かっぱ天国 ※公式サイト
弥坂湯 (箱根町)
湯遊び処 箱根の湯 ※公式サイト

[売店等]

箱根 甘酒茶屋 ※公式サイト
箱根関所跡バス停は土産物等販売所「箱根関所旅物語館」の敷地内です。
元箱根港周辺にはコンビニがあります。
箱根湯本駅周辺にはたくさんの土産物店などがあります。

[名産品]

魚の干物
さつま揚げなど練り物
箱根寄木細工

[お天気情報]

箱根山/山の天気 (tenki.jp)


<私的な雑感>

箱根という一大観光地でありながら、かつての江戸時代の風情や趣が感じられる道ではないかと思われます。

芦ノ湖の湖畔にある箱根関所跡から畑宿まであたりの前半は期待以上に長い石畳の道が続きます。
国道1号線や県道732号線と接近・交差したり重複する部分もあります。しかしそこから離れた場所になりますと、車両の音も聞こえてこず、とくに現代を感じさせるような人工物もないので、まるで江戸時代と同じ風景なのではないかと納得できそうです。
そのまま時代劇のドラマや映画の撮影もできるんじゃないでしょうか。

以前に歩いたときには、江戸時代の旅人のような衣装をして草鞋を素足に履いて歩いている方がいらっしゃいました。

箱根関所跡からスタートしても箱根湯本からスタートしてもどちらからでも楽しめるかと思います。ただ、箱根湯本から歩き出すと全体が登り基調になります。そのため途中の橿木坂や猿滑坂あたりの登りはキツくなりますのでその点は考慮した方がいいかなという印象です。
また、女転坂を過ぎるとその先は県道732号線の路側帯をほぼ歩くことになります。732号線自体が細い道のわりに交通量がありますので前後の通行車両には注意が必要と思われます。
これだけ石畳の道が整備されていますので歩道も併せて整備してもらえると安心して歩けるのですが…。おそらくスペース的に困難なのでしょう。

箱根の関所あり、富嶽三十六景にも採られた芦ノ湖と富士山の風景あり、苔むした静かな古道あり、そして美味しいものを食べられて温泉にも入ることができます。旅のほとんどの要素が詰め込まれたようなコースです。
江戸時代の東海道を旅人気分を感じて、ついでにいろいろと楽しむにはベストな道のひとつではないかなーと感じます。


<参考リンク>

箱根関所 ※公式サイト
箱根ナビ ※公式サイト
箱根全山 ※公式サイト
箱根のハイキングコース (箱根全山)
伊豆箱根鉄道 ※公式サイト
箱根登山バス (箱根ナビ)
環境省・箱根ビジターセンター ※公式サイト
山と高原地図「30. 箱根 金時山・駒ヶ岳」 (昭文社)
登山情報 (神奈川県警)
小田原警察署 ※公式サイト

<備考>

旧街道石畳 (箱根全山)
東海道への誘い (国土交通省関東地方整備局横浜国道事務所)
「現代語訳 東海道中膝栗毛」 (岩波現代文庫)
●お得な切符
「箱根フリーパス」など数種類あり (箱根ナビ)
「箱根バスフリー」 (伊豆箱根バス)
「箱根フリーパス」は小田急系列、「箱根バスフリー」は西武系列でそれぞれ別の企業グループのサービスですので、利用する路線等を事前に検討のうえご利用されることをお勧めいたします。 
※どのパスでどの交通手段が利用できるかがちょっと分かりにくいです。


<関連記事>

箱根・旧東海道の石畳の道周辺の登山に関する上町嵩広の関連記事です。一部、外部サイトの記事もあります。


<バックナンバー>
バックナンバーはnote内マガジン「山と歴史の連なる道」にまとめております。

0001 顔振峠と義経伝説
0002 柳生街道
0003 京都・愛宕山と明智越え
0004 石垣山一夜城と小田原城総構
0005 金剛山:楠木正成と千早城跡
0006 箱根・旧東海道と石畳の道
0007 三増峠: 北条VS武田 激突の地
0008 いにしえの風を感じるハイキング 大和三山と藤原京跡を巡る
0009 江戸時代往古の風情が薫る旧甲州街道と小仏峠トレッキング


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(6) 不定期更新です。 隔月一回を目安に更新を予定しております。
(7) カバー写真と、今回ご紹介した山とは、関係はありません。
(8) 情報は掲載日時点の内容です。
(9) 登山道等の状況については、適宜、現地の観光協会、ビジターセンターや山小屋などの各関係機関にあらかじめご確認くださいますようお願いいたします。
(10) 今般の新型感染症の影響で各種施設等の利用については制限などが行われている可能性があります。ご利用の際には詳細について事前に各種施設等へご確認などをお願いいたします。

(2022/11/26 上町嵩広  改訂:2024/01/03)


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