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自分には厳しく他人には優しくありたい

(書き下し文)
子(し)曰(いわ)く、雍(よう)や南面(なんめん)せしむ可(べ)し。仲弓(ちゅうきゅう)、子(し)桑(そう)伯(はく)子(し)を問(と)う。子(し)曰(いわ)く、可(か)なり。簡(かん)なり。仲弓(ちゅうきゅう)曰(いわ)く、敬(けい)に居(い)て簡(かん)を行(おこな)い、以(もっ)て其(そ)の民(たみ)に臨(のぞ)むは、亦(ま)た可(か)ならずや。簡(かん)に居(い)て簡(かん)を行(おこな)うは、乃(すなわ)ち大簡(たいかん)なること無(な)からんや。子(し)曰(いわ)く、雍(よう)の言(げん)然(しか)り。

(現代語訳)
孔子様が門人冉雍(ぜんよう)(字(あざな)は仲弓)をほめて、「雍は人君として南面させてもよい人物じゃ。」と言われた。かくまで言われるには理由がある。仲弓がかつて子桑伯子のことをおたずねしたときに、孔子様が、「よい人物じゃ。大まかでコセコセしない。」と言われた。すると仲弓が、「心のもち方は慎(しん)重(ちょう)で、する事は大まかなのが、君として民に臨(のぞ)む道ではありますまいか。気持も大まか、する事も大まかでは、大まか過ぎはいたしませんか。」とおたずねした。孔子様が感心して、「なるほど雍の言うとおりだ。」とおっしゃった。かような事もあったので、孔子様が仲弓を人君の度(ど)がある、と評されたのである。

(私の思い)
自分自身を治めることが、リーダーとしての最低条件なのだと思います。
そういった意味で私は自分をコントロールできない時もありますから、人間としての伸びしろが多くあると思っています。
人の一生は面白いもので、必要な時に必要なイベントが起こるものです。
ただし、それには一つ条件があります。
自分自身と対話して、自分の道を歩んでいるのかということです。
ここでイエスと答えられた人は、その道を着実に歩んでいけば、理想の自分にいつの日か出会えるだろうと思います。共に頑張ろう。

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