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吉岡(6浪の人)の半生①【誕生〜小学校卒業】

はじめに

こんにちは。

10浪ちゃんねるの吉岡です。

今回から私たち2人のこれまでの生涯を振り返る『吉岡・亀井の半生』を全17回にわたって連載します。

私たちがどのように育ち、

どのように私たちが堕ちていき、

どのように軌道修正をしたのか、

その時々の心境も振り返りつつ書いていきたいと思います。

更新スピードはゆっくりですが、長い目で楽しんでいただけると幸いです。

誕生〜保育園卒業

私、吉岡(現在24歳)は1996年2月20日広島県福山市で生を受けました。

父と母は普通の会社員で、私はその夫妻の第一子でした。

吉岡家の長男として生まれた私は非常に平凡な男の子でした。

強いて長所を挙げるとするならば、容姿はこの頃が全盛期でした。

写真を見てもらえば分かるように、非常に可愛らしい顔立ちをしていたので、

近所の小学生のお姉さん方からは非常に愛されておりました。

これ以降の人生でチヤホヤされる経験を一切していないので、

私はこの頃の自分が憎くて仕方ありません。

こんなことを書いてしまうと元も子もないですが、

この時期に取り立ててご紹介するようなエピソードはあまりありません。

両親にたくさん愛され、

3つ離れた妹と仲良く喧嘩しながら、

保育園では友達は少ないながらも楽しく過ごす

非常に充実した時間を過ごしていたように思います。

唯一、その頃から見え隠れしていた不安要素を挙げるとすれば

それは私の「こだわりすぎる性格」でしょうか。

具体的な例を挙げるとするならば、

ズボンを折り上げる長さに並々ならぬこだわりを持っていて、

自分が納得できるまで延々と折り続けていた、

というエピソードがあります。

それだけ聞くと「なんだ、大した話じゃないじゃないか」とお思いになるかもしれませんが、

毎朝何十回と折っては直してを繰り返す姿は、

周囲の人間に異常性を感じさせるほどだったそうです。

今思えば、この「こだわりすぎる性格」

後々私の足を大きく引っ張る「完璧主義」的思考に繋がったとも考えられるので、

もしかするとこの頃から堕ちていく未来へと少しずつ歩みを進めていたのかもしれません…

そんな懸念材料を抱えているとも知らず、

2002年の3月に晴れて保育園を卒園した私は、

そのまま順当に近所の公立の小学校へと入学します。

小学生時代 小学校編

小学生時代の私はプライドが高く、

その反面いじられやすい性質だったので、

些細なことでよく泣いていた記憶があります。

といっても虐められるようなことは一切なく、

荒れていないとは言えない小学校でしたが、

楽しく過ごしていました。

当時の私は学内活動に意欲的で、

学級委員をやったり、

生徒会選挙で立候補者の推薦人として壇上に上がったりと、

活発に活動していました。

同級生とは基本的に誰とでも仲良くできていたし、

これといって問題行動のあるタイプではなかったので、

もしかすると小学生時代までは私の人生は円滑に進んでいたのかもしれません。

ただ、この時の私に将来の不安要素を挙げるとするならば

それは冒頭で述べた「プライドの高さ」でした。

自分に対する「こうあるべき」という理想が自分の能力を超えており、

それができないことに対する葛藤をこの頃からすでに抱いていたような記憶があります。

要は「身の丈」が分かっていないのですが、

そんなことに気づくのはこの時から10年も先なのです…

小学生時代 中学受験編

私の近隣の中学校は荒れている公立学校が多く、

また福山市自体の教育レベルも低かったため、

両親は私に中学受験をすることを望んでいました。

私自身は受験をするつもりなど毛頭なく、

全力で拒否していたのですが、

両親から「受験するor受験する」の選択肢を提示され

子供心に「断れない選択ってあるんだな…」と悟り

中学受験をすることを決めました。

小学4年生の4月から近所の学習塾に入塾し受験勉強を開始しました。

私の小学校での学力はおそらく上の下くらいだったので、

そこまでバカではないと思っていたのですが、

それまで家庭での学習習慣が日々の学校の宿題だけだった私は、

長時間勉強できるだけの集中力を持ち合わせておらず、

また、進度も質もまるで違う学習内容のために

塾での学習はまるで手に負えないものでした。

毎回やっつけで終わらせた宿題を持っていき、

クソミソに怒られる日々が続く中で、

私は小学4年生ながらに人生の不条理を感じた記憶があります。

塾内の学力カーストの最底辺に安住し、

勉強を楽しいと感じたことは3年間を通じて1度もありませんでした。

しかし、私はその塾のことが大好きでした。

先生は怒らせれば鬼のようですが基本的にはとても面白い人でした。

先生は読書家で生徒に頻繁に本を貸しており、

小学生時代に大量に本を読んでいた私は、

その甲斐あってか大学受験まで国語に関して悩むことは一切ありませんでした。

先生に対して恐れを抱きつつも非常に好感を持っていたし、

塾の同級生たちとの仲もとても良かったので、

3年間の苦行ともいえる受験勉強を何とか乗り越えられたのだと思います。

受験に関しては、

その地域で最も賢いとされる国立、

2番目に位置する市立、

滑り止めの私立を受験し、

1勝2敗で見事私立の中学に進むこととなりました。

私の進学した私立中学は中高一貫で、

クラスが学力別に分かれていました。

私はなぜか一番賢いクラスに入ることになってしまいました。

「一番賢いクラスなのに、私が入れるってどういうことなんだろう?」

と疑問を抱きながら、

私は2008年の3月に小学校を卒業し、

その年の4月に中学校へと入学しました。

おわりに

ここまで読んでいただきありがとうございました。

もはや遠い過去のため、記憶がたどれず曖昧な内容に終始してしまってすみません。

おそらく小学校卒業まではそれなりに順風満帆だったということなのではないでしょうか。

次回の『中学生編』から私の人生は大きく荒れ始めます。

堕落の序章はここからなのではないでしょうか。

楽しんでいただけると幸いです。

来週は相方の亀井も更新するので併せて読んでいただけると嬉しいです。

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