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夏を生き延びるための約束

 夏のうまい生き方を知らない。

 死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。

太宰治『葉』

 そんなことを言っていた太宰も、夏に死んだ。ひとの命なんぞ、結局はそんなものである。

 中学生の時に『人間失格』を読んだのは、確か生田斗真主演の映画が発表されたタイミングだった。
 当時ジャニヲタだった私は彼の出ている映画が観たくて、どうせなら原作も読んでみるか、と手に取ったのだった。
 中学1年生の終わりか2年生。時期は曖昧だがその辺だと思う。

 興味を持ったきっかけはもうひとつある。
 小学生の頃に通っていた塾で講師が話題に出していたことを記憶していたのだ。

「僕ねえ、この通りめちゃくちゃ元気な人間なんですけど、あまりにも元気すぎてちょっと落ち着かないといけないなと思って中学生の時に読んだんですよ、『人間失格』。なんか暗い話読んだら落ち着くかなって。そしたらね、落ち着く通り越してね、落ち込んだよね〜! あっはっは!」

 ホワイトボードを前にして大袈裟な身振り手振りで笑いをとるその講師のことを、当時の私はちょっとだけ好きだった。
 小学生の片思い、夏期講習のひとコマのできごと。

 そういうわけで、軽い気持ちで太宰治という世界の門扉を叩いた。
 正直言えば、『人間失格』を読んだ後の感想をまったくもって覚えていない。
 だが、思春期真っ只中の多感な時期、おそらくは何かが私に刺さったのだろう。
 私はそれからすっかり太宰の虜となった。

 太宰の作品はほとんどすべて読んだと思う。
 もう忘れてしまったものもあるので怪しいが、おそらく一度はすべてを読んだはずだ。
 すべてを読んだうえで、私は一番のお気に入りを『斜陽』とした。

 革命も恋も、実はこの世で最もよくて、おいしい事で、あまりいい事だから、おとなのひとたちは意地わるく私たちに青い葡萄だと嘘をついて教えていたのに違いないと思うようになったのだ。
 私は確信したい。
 人間は恋と革命のために生まれて来たのだ。

 太宰治『斜陽』 

 私の通っていた学校は中高一貫校で、高校受験がない代わりに中学三年生の時に卒業論文というものを書かされたのだが、その題材にも太宰治を選んだ。
 周りがディズニーランドやアイドルやアニメをチョイスしている中で、我ながら渋い選択肢だったなとも思う。

 おかげで、しばらくのあいだ私は一部の教師と友人たちから「太宰」と呼ばれていた。

 太宰治という作家のどこが好きかと聞かれると難しい。
 というか、だいたい好きになった男のどこがいいかなんて野暮な質問である。
 すべてだ。すべてが好きなのだから仕方がない。

 死にたい死にたいと喚きながら、ほんとうは誰よりも生きたかったその男の人生をまるっと愛しているのだから。

 一度、東京は三鷹の禅林寺に足を運んだことがある。
 好きな男の墓に参るのは妙な気持ちだったが、死んでしまっているのだから仕方がない。

 大学四年生の夏が終わるころ、生きづらさを凝縮したような時期だった。
 就職活動を終え、自身の卒業論文と向き合わなければならない毎日。周りが次々にテーマを見つけていく中で、私は本気で取り組める題材に出逢えないまま悶々としていた。
 伝えたいことがあって選んだ学科で、でも自分が伝えたいことなんてすでにごまんとある先行研究が伝えていて、私がこの学問をやる意味はどこにあるのだろう。

 ゼミの教授に「あなたがこの夏に何もやってこなかったということだけは非常にわかりました」と静かに指摘されても、反論する元気すら持ち合わせていない。
 そんな時期だった。

 彼の墓は奥のほうにひっそりと佇んでいた。
 繊細な彼の字で「太宰治」と刻まれた墓石を見た時には時が止まったように感じた。

 私は誰もいない寺の中でひとり、墓前に座り込んでしばらく心の中で何かを語りかけていた。

 当時の私が彼に何を話したかはわからない。
 ただはっきりと記憶しているのは「こんなところで墓に向かってひとりでしゃべってるの、だいぶ頭おかしい女だよね。取り憑かれそう。あ、でも、貴方なら別にいっか」と思ったこと。
 そのあとしばらく、私は軽めの鬱のような状態になりうっかり死にかけたりしたので、もしかしたらそういうことだったのかもしれない。


 今年は偶然、桜桃忌の翌日に東京出張が決まっていた。
 墓参りに行こうかと思ったが、三鷹まで出る時間はなさそうだ。でもせっかくなら彼に想いを馳せる夜にしたい。
 そう考えて私が選んだのは、銀座のバー・ルパンだった。

 私は太宰のこの写真がとても好きでたまらない。
 織田作之助ばかり撮っているカメラマンに「俺も撮れよ」と言って撮らせたこの写真。
 満足げに笑う彼の表情も、椅子の上に組んだ脚も、このエピソードも含めてすべてが好きだ。

 そんな写真に写るバーがまだ現存しているという。
 せっかくなら聖地巡礼というやつをやってみるか、という気になった。
 仕事を終わらせて足早に銀座まで出る。

 重い扉を開いて地下へ続く階段を降りていくと、そこは平日の夜にしては賑やかすぎる世界が広がっていた。
 いっぱいなので少し待ってもらえる? とのことで、店の隅っこに置かれた椅子に腰掛け1杯飲みながらカウンターで談笑する老若男女を眺めていた。

 普段あまりカクテルを飲まない人間だが、たまには背伸びをしてお洒落を気取って見たい日もある。
 1杯目はオススメと書かれたモスコミュールにした。

 ジンジャエールの辛さがガツンとくる。
 メニューに「うちのジンジャエールは本当に辛いよ」的なことが書いてあったのだが、まさしく。
 ライムとウオッカがいい具合に混ざって爽やかに駆け抜けていく。

 お通しが漬物なのも、なんだかよかった。
 きゅうりの浅漬け。最高の酒のつまみである。

 途中でカウンターが空き案内された。
 こちらへどうぞ、とウエイターが指したのは、まさかの太宰が座っていたあの席で。
 誰かと来ていたら喚いていたかもしれないが、ひとりだったので何食わぬ顔で椅子に腰を下ろした。

 おかわりがほしいなと思いながらもちびちびと解けた氷をもてあそんでいると、あとから隣に来た女性が声をかけてきた。

「2杯目飲まれませんか? 私も注文したいんですけど声が小さくて通らなくって。よければ一緒に注文しませんか?」

 バケットハットをかぶってべっこう柄の眼鏡をかけた女性の表情は暗がりの中であまり見えなかったが、肌がきれいな人だなと思った。
 声が大きいことだけが取り柄の私は二つ返事で了承し、マスターを呼び止めた。

 2杯目はオールドファッション。
 脳内で粗品が「あんなもんうまないねん!」と吠えたが、これはドーナツではないので許してもらおう。

 酒を片手に、その女性と色々な話をした。
 その中でなぜここに来たのかという話になり、彼女はこう言った。

「特別な時に来るといいよと知人に教えてもらったんです。それで誕生日に一度来て良かったので、今日は転職が決まったので来ました」

 なるほど、このバーはそういう感じなんだなと妙に納得したのを覚えている。

 二十名程度が並ぶカウンターには、色々な客が来ている。
 デートらしい男女や、にぎやかに笑っている老紳士2人と若い女性の組み合わせも、それぞれの出逢いがあってそれぞれの物語があってここにきているのだ。

 隣の女性との会話ははずみ、2杯目で帰ろうと思っていたがおかわりを注文する。
 その女性が飲んでいたゴールデンフィズがおいしそうで、同じものを注文した。

 彼女との話題は恋愛の話へと移っていく。
 いい恋愛ができないのが悩みで、と打ち明ける彼女とつい意気投合してしまったが、あとから年齢をきいたら私よりも4つも年下だったので少しだけ情けない気持ちになったことも否めない。

 だが、まあ、私もこんな夜にひとり太宰治を想って飲みに来るような女なのだから仕方がない。

 結局彼女の名前も連絡先もなにひとつ尋ねないまま、銀座の駅で別れた。
 お互い幸せになろーね、と約束をしてグータッチをして反対側の電車に飛び乗る。

 疲労とアルコールで重くなった足をふと止めて顔を上げると、東京タワーが夜空に輝いていた。

 いい夜だったな、とその真っ赤な姿を眺めながら思う。
 知らない街で、知らない人と、知らない未来の約束をする。それだけを頼りにこの夏を生きていく。

 太宰治が生きられなかった夏を、生き延びていくために。

死ねない。
僕は燃え滓の街で
匿名に生きて 匿名に散る

後 数秒で世界に融ける
夜と朝の摩擦熱で溶ける
せめて太宰の小説みたいに
意味のない言葉で幕を閉じるの

半透明に閉じるの

BURNOUT SYNDROMES / 斜陽

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