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人生の物語

今回はずっと前から頭の中にぼんやりあった自論を頭の外に出したいと思います。

20〜40歳まで飲み歩いたり、仕事だったり、友人と付き合う中だったりリアルの世界でぼんやり生まれてきた感覚ですが

他者との交わりには人生を物語で観る

という視点が重要なんじゃないか⁇
と思うようになっていきました。

0️⃣まず初めに

BARでもスナックでも自分の話しをする時
人生の山の話をすれば自慢になり
谷の話をすれば自虐になる

そんな瞬間に直面した事ありませんか?

隣にそんなオッサンいた事ありませんか?
の方がピンとくるかなぁ?笑

どちらもとても楽しく酒が飲める話しではありません。

一方で自分の事をよく喋るけどなんか面白い人っていませんか?

これは何が違うだろうか?

人生の山と谷の大きさだろうか?

それはなにか違う気がする。

大きな山でも自慢に聞こえるし、
大きな谷は触れてはいけない気がして
沈黙で酒を飲む。

私の自論全開分析では

そこに物語が有るか無いか

だと思います。

正確に言うと聞き手が物語として聞こえているかどうかだと思います。

これは聞き手との距離感やどれだけ自分の情報を知っているかを考慮して自己開示する事が必要で回数を重ねて形成される事だと思います。

人生語るウザい人の典型は自分の話しで尺取り過ぎる、情報の羅列で感情表現がない、距離感を把握しない傾向があると思います。

上手くやっている人は自分の人生を物語と捉えてパズル化🧩することで会話の流れで出たお題に対して小出しにピース単位でナチュラルに自己開示できるし、尺を取り過ぎないで済むんです。

それを意識的であれ無意識であれ理解できているかいないかので違いではないかと思います。

そして人生を物語で見れる人は相手に対しても物語で理解しようとする傾向があると思います。

なので会話からピースを拾って接触回数を増す毎に理解を深めようとしてくれる。

ある心理学の本では
人間はお金をもらうよりも
自分に関する情報を共有する方を好む

という研究結果があると書いていました。

これは何を意味するのか?
他者との交わりには人生を物語で観るという視点がなぜ重要なのか?

上記を踏まえて自論全開で3つにテーマ分けて紐解いて行きたいと思います。

1️⃣物語のパズルのピースを交換する
2️⃣ デジタル(作品)な物語の大量消費
3️⃣自己開示の減少の可能性

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1️⃣ 物語のパズルのピースを交換する

人間はお金をもらうよりも
自分に関する情報を共有する方を好む

これが意味すること
重要なので引っ張りましたが単純です。

人は皆、自己開示したい。
そしてそれが中々難しい。

ということです。

そこでこの人の人生を物語で観るという視点が役立ちます。

人の人生は端的に語れるものではありません。

[まず初めに]でお話ししましたがまず物語をパズルのピース化🧩するという無意識下の行為が重要と考えます。

※ここで言うパズルのピースとは人生の中の重要な出来事や人間性が型作られる要素だったり、本人すら気付いていない無意識領域の自己の様なものです。

そして自分が喋る(自己開示)するよりもやはり相手が喋った事(相手の自己開示)をキャッチすることが大切です。

雑談というのは沢山の情報で溢れています。

その中でパズルのピースを見つけ出し、お互いの人生のパズルのピースを少しずつ渡したり拾い集めたりする様な会話ができる人が人生を物語で観れる人なのかと思っています。

きっと以前話した時に会話や仕草、立ち振舞い等の中からしっかりパズルのピースを拾っていて、そして接触回数を増す毎にパズルピースが繋がり人生が物語のように見えて面白さが増し互いに興味が湧いてきて、そして自然と心地よいペースで距離が近づいていく。

自分の物語と相手の物語を楽しみお互いの物語がリンクして行くのです。

そして物語が未来まで続くのです。

過去の会話を覚えてくれていた事、
自分という人間像をみてくれる事、
そして自分の歴史を物語の様に捉えてくれる事は
とても心地良さや優越感を与えてくれます。

そして出来事と感情のバランスや抑揚、テンポといった形で会話のストーリー性の演出が上手なのも人生を物語で観れる人の傾向な気がします。

なんとなく人が集まってくる人ってそんな傾向ないですか?

わかりやすいところだと芸人さんと言われる職業の人はこの人生を物語で観るという能力が意識的であれ無意識的であれ長けているような気がします。

実際に芸人さんにお会いした事はありませんので
なんとなくのイメージですが。

先ほど自分の歴史を物語の様に捉えてくれる事は
とても心地良さや優越感を与えてくれるという話しをしましたがわかりやすい話しがあるので紹介します。

かなり昔の事ですがテレビを見ているとお笑い芸人の水道橋博士が出演していてそこで話していたのが
友人の誕生日にその友人の年表を作ってあげていて
非常に好評だと言っていました。

これは結婚式などのビデオ作成も同じ要素があり、
自分の人生を物語で見てくれる事で自分が人生の
主役になれる瞬間に何かしらの優越感又は快楽や幸福感が生まれるのだと思います。

このようにリアルな人生をエンターテイメントに
見せる能力に長けている人とも言えると思います。

また、人生を物語という視点で観る事でチャレンジ
する力や困難を乗り越えたり受け流す力もあると感じています。

人生山あり谷ありですが現在が谷にあっても物語と捉えることで一歩俯瞰で見れる事によりそのような力になると考えられます。

そしてこのメンタル的側面で問題が潜んでいる気がするのが次に話すデジタル(作品)な物語の大量消費です。

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2️⃣ デジタル(作品)な物語の大量消費

皆さん小説やTVドラマ、映画、アニメ色々な物語を
娯楽として楽しんでいると思います。

私も楽しんでいる人の1人ですし、とても意義があり欠かせないモノだと思っています。

しかし素晴らしさの反面問題も感じています。

それは慣れです。

当然の事で何が問題?と思うかもしれませんが、デジタル(作品)な物語に慣れ過ぎるとリアルに生きている人の人生に触れる事が困難に感じてしまうのではないか?という疑問が私の中でずっとあったのです。

その理由としてデジタル(作品)な物語とリアル人生の物語の大きな違い自分の人生の関与があると思います。

作品の苦しみ・悲しみ・喜び等の色々な場面は感情移入はあるものの物理的に降りかかってくる事はないのですがリアル人生の物語を見るとそうはいきません。

例えば
借金まみれの人と酒場で会いその場では楽しく人生ドラマを聞いていたが帰り際に連絡先を聞かれて教えてしまった。
後日から金を貸してくれと付きまとわれるようになった。

友人から人生相談されてネガティヴな話しを幾度となくされて、もう断ろうと思って伝えたら裏切られたと逆上されて自分までそのネガティヴな連鎖に巻き込まれていく。

等等のように(ネガティヴな例だけあげましたが)物理的に自分の人生に大きく関与してくるのです。

そーなるとリアル人生の物語を楽しむよりリスクの軽いデジタル(作品)な物語に手が伸びるは当然の事なのかもしれません。

誤解されては困るので書きますが決して作品を楽しむ事を悪いと言っている訳ではありません。

ただデジタル(作品)な物語ばかりに触れ、リアル人生の物語を避け脆弱である事は、心理学的な面で人間のある特定の機能の成長を止めている事で、きっと他者との交わりの中で何かしらの問題として現れるのではないかと考えます。

例えばそのある特定の機能が未発達なまま親になると考えるとどうでしょう?家庭環境に歪みが生じて子供の心に影響し、その子供はそれ抱えたまま親になりと続く訳です。

やはり何事もバランスでどちらも必要で、今もしリアル人生の物語を避けている人がいるならば意識的に人間に対して物語を感じながら接してみてはどうでしょうか?

私は作品を観るから人生を物語の様に観れる事があると思うし、リアル人生の物語を楽しめるようになると作品がより楽しくなる事もあると思っています。

そして人生の物語の共有に追い討ちをかけるのが自己開示の減少の可能性です。

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3️⃣自己開示の減少の可能性

振り返ってみると、お酒の席という心を解放するような場所であってもあまり自分の事を語れない人、他者に他者自身の事を語らせてあげれない人が増えてきている気がしています。

※実際根拠がある訳じゃないし私がそう感じただけですが、ここでは自己開示が苦手な人が増えていると仮定して話しを進めていきたいと思います。

この要因として思い当たる点を3つあげたいと思います。

①老害ロールモデル
② 新たな自己開示場所の出現
③ リアル人生のテンプレート化

これらによる自己開示の減少は人生を物語で観るという視点の獲得を困難にしていると感じています。

では順に見ていきましょう。

①老害ロールモデル

これは単純にオジサンと言われる人種に多い自分の事を相手の興味・関心に関係なく喋る事が、自分を語る事に対してのネガティヴイメージを強く植え付けている。という事です。

周りの人達は飽き飽きだが1人だけご機嫌で喋るオジサン見た事ないですか?

自分の事を喋ると周りからあんな感じに見えるのではないか?という恐怖で一つ心理的ハードルが増えます。

② 新たな自己開示場所の出現

これはSNSという新たな自己開示の場所ができリアルで他者との自己開示が単純に分散されたのではないかという話しです。

自分が感じた事を人と会って五感でコミュニケーションするのではなくSNSに吐き出す。

これでは人との交わりからの成長がストップしてしまうのではないか?と思ってしまいます。

SNSで他者と繋がる事もできるのでSNSをどう使うか、どう捉えるかで全く意味が変わってきますが、少なからず「いいね」がつくだけの浅薄な繋がりしかない人もいるはずです。

③ リアル人生のテンプレート化

これは少し前の時代の話しになるかと思いますが義務教育から良い高校・大学を出て良い会社に就職し結婚して子供ができてとある程度の大多数は似通った枠組みの中で人生をおくる訳です。

日々テレビドラマを観ながら自分の人生には語れるエピソードはないと思い混んでしまうのではないか?と感じていたのです。

しかし③関しては今令和の時代には凄いスピードで変わりだしている気がします。

ネットで多様なライフスタイルを獲得した今ではより他者がどう生きてるか気になるのではないでしょうか?

できれば人と話すのが楽しくて仕方ない。そんな時代になってほしいです。

長々と自論を話してきましたが、この多様性重視の時代に人と極力交わらない生き方を選択する人もいるかもしれません。否定はしません。

しかし人間にとって自己開示とは
例えタイムイズマネーの世であっても
マネーの上にいると言えるかもしれません
互いに良い自己開示ができる事を願います

お付き合いいただきありがとうございました。

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