絆と友情:幹事の苦労と喜び
先日昭和46年度鏡野中学校同窓会の今回の6組幹事からLINEがきました。
コロナで延期となってました同窓会を年内に実施したい!ので各クラス幹事の意見を聞きたいということでした。
私は同窓会を定期的に開くようになって毎回段取りをさせていただいていました!
私が脳卒中で倒れて入院した時に、中学校の同窓会の幹事をしてる友人が見舞いに来てくれてました。
遅くなったけれど翌夏に自家用車を運転してお礼に行った時に、随分喜んでくれました。
その時に「ふくし(その時代のあだな)来年同窓会ぞ。」
「え、まことそうなるか。」
私達はオリンピックの年に同窓会を学年合同で約220名で企画してます。(参加は毎回、大体3分の1ですね。)
当時からの「でしゃばり」で段取り部長をしてました。
私が「来年の正月か?俺は無理やねぇ」
「ほんな、ふくしが無理やったら止めたらえいわ」
こんな会話が打ち合わせたかのように別々の場所で続いて2人から。
これはいかん。
なんとかせんと!
秋に幹事を集めて打合せをすると、出来ることをやって出来んことは手伝うきと言ってくれました。
でも、この幹事を集めたことで仕事の大部分は終わってました。
案内のハガキや名簿作りは、リハビリには最適でした。
何よりも人の役に立ててると実感出来ることが、この時には凄く大切だったと思います。
あの時の2人の優しさに感謝です。
春に第一回の幹事会を段取りせねば!
あ、巨人や西武で活躍した鹿取投手が帰高して同窓生が数人集まり飲みました。
その時に日程が合えば同窓会に出たいと話していました。
でも今回はオリンピックと重なるから無理だろうと残念そうでした。
ふるさとを離れている友人達にとって、これからが同窓会を思う価値が変わってくると思います。
私も言ってるのが60歳を過ぎたら同窓会がもっと大事に思えだすから!
私はすでに大事に思っていますよ(^-^;
それと思ったのが名簿や段取りの記録を会長や幹事の複数の人に残しておかないと後々困ります。
あ、同窓会の度に地元の写真屋さんに撮影を頼み、会計報告と一緒に発送してもらってます。
封筒は、参加者に自筆で当日に書いてもらいます。
同窓会をオリンピックの年に決めたことと、写真を撮ってきたことは、大正解でした。
ちなみに、2年に1回にしたいなどと言った人も居ましたが、
「それは自分達でして下さい。」
冷たくお断りしました。(笑)
しかし、ロンドンオリンピックの年で2012年2月11日(祝)に予定していましたが、私の一連の騒動(倒産・自己破産)で段取りができませんでした。本当に恥ずかしい限りです。
その後に開催したかどうかは、不明です!
私の手を離れての(クラスの案内葉書発送だけの役割)開催で、コロナで最後の同窓会です!
最後まで読んでいただき感謝です!
今日も元気と笑顔で頑張りマス(^-^)/
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