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脳卒中リハビリ闘病記 -   「Reborn」-①

本日より、自分の倒れた時のことやリハビリのことを不定期で書いていきます。

あまり読んで面白い内容ではないと思いますが、もし御用とお急ぎでない方は一読していただければ幸いです。

『脳卒中リハビリ闘病記-「Reborn」-』です。

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菜の花が満開で、優しく明るい陽射しが窓の外いっぱいに広がっている。

私はベッドに横たわり、身体を動かしてみた。

全く手足が動かず、頭が動くだけである。まるで縛り付けられている感じでした。

その時、ちょうど看護婦さんが寝てる頭上を2人歩いてきた。

「看護婦さん、看護婦さん」と必死に呼びかけた。

何か話しながら来ていたが、呼びかけに答えなかったので、私は、「ざっとしちゅうにやぁ。」(標準語:ふざけやがって~)と怒っていた。

すると、看護婦さんが、

「この患者さん、もうこのまんまらしい。

 まだ若いに・・・」

「えー、もう治らんが、かわいそうに。」


看護婦さんが通りすぎた。

「えー、どうして」と思いながら、また、深い眠りに入った。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

2002年6月16日(日)午前9時過ぎ・・・

洗顔や朝食後、仕事である牛の家畜人工授精に行こうと、着替えのため隣室のタンスの前に行くと、急に頭が重くなり普段とは違う感覚を感じた。

昨夜は、地元消防団の操法大会の練習の中締めで一杯となり、いつものごとく調子をこいて、2時ごろまで大騒ぎ。

二日酔いかな?

しかし、すぐに身体が硬くなり、丸くなりだした。
手足の自由がみるみるうちに効かなくなって・・・

一歩も歩けない状態になった。

母と二人暮らしで、母は地元の日曜市に出掛け留守でした。

そこで手元の携帯電話でなんとか救急車を呼びました。

消防団で何かあったらと、地元警察と消防署は電話番号に記憶させていました。

また、この時間は牛の家畜人工授精の連絡の多い時間で、トイレだろうが洗面所だろうが、必ず、携帯電話は持ってました。

もし、携帯電話を持っていなかったらと考えると・・・

※この時に携帯電話を持ってる人はまだ少数でした。私も仕事で必要だから持っていた。

今考えてもゾッとします。

消防署も家から200メートルぐらいの近さにあったことも恵まれていました。

消防署から隊員の方が着いたときに、まだ、意識がはっきりしてました。

しかし、家の狭さから玄関からは担架が出ず、庭へ回ってやっと外に出れました。

その頃から嘔吐が激しくなり、出発の時は意識はなくなっていました。

ピーポー ピーポー ピーポー 3回目は聞こえなかった(>_<)

この時、自分の車が邪魔して担架が出せないため、近所の人が協力して、車をみんなで寄せてくれたそうです。

ご近所の方に感謝です。

この後に、病院で見た夢が冒頭の箇所です。

最後まで読んでいただき感謝です!

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