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苦しみすらも、愛するということ

私はよく自己啓発本を読むのですが、
そういった類の本には決まって

●楽しい事に目を向けると楽しい現実を引き寄せる
●なりたい未来を想像してワクワクすると人生が開ける

といった内容が書かれています。

私自身、結構それを実践してて
「きゃっ!将来は世界的なアーティストよ〜!ワクワク〜!」
とかいう単純な妄想を、寝る前にやってはニヤニヤしています。

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ところが、私は、とある人との出会いでその概念が少し変わりました。

その人とは、私の彼氏です。
彼は、油絵の画家をやっているのですが、絵を描いてるときはいつも

「苦しい」「つらい」「難しい」

という、ネガティブワードを連呼しております。

しかも、たまに「最近絵を描くの楽しいな〜♫」とか言うと思えば
次の作品制作の時にはもう、

「こんなんが楽しいなんて、クソだ!俺はまだ自分の欠点に気づいてない浅はかな人間だ!」

みたいな感じで、少しでも楽しい思いをすると、途端にセルフ鬼軍曹が発動するのです。

それはまるで、少しも楽しむ余談を許さない様です。

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これを、先ほどの自己啓発に当てはめて考えると
辛い事に目を向けると、辛い現実を引き寄せてしまうから
彼の行動はNGになってしまいます。

しかし、私はとある事に気づきました。

なぜか、彼は苦しめば苦しむほどに
作品の質が上がっていくのです・・・。

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私は彼に
「苦しいって言いながら、本当はそれが楽しいでしょ?」と、笑いながら聞いてみました。

すると彼は、「ターナーって画家知ってる?中世の時代の・・・」と、話を始めました。

かつて、ターナーと呼ばれる油絵の画家がいました。
彼は、荒れ狂う海の絵が有名な作家です。

ターナーは、中世の貴族たちに、油絵の指導もしていました。
ところがある日、貴族の描いた絵を見て、彼はこう言いました。

「あなたには、”苦悩”が足りない」

なんと、ターナーは荒れ狂う波の絵を描くために、
船の帆に自分の体を縄で巻きつけて、そのまま嵐の海に出向いたりしていたそうな。そうやって体感で感じた迫力があったからこそ、絵にそれを込めることができた画家なんだそうです。

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その話を聞いて、ああ、彼は

苦しみすらも愛している

んだなと、感じました。

「辛い」「苦しい」と言いながら、その言葉の裏には「だからこそ、なんて面白い世界だ」といったロマンを感じている。そういうニュアンスが言葉には隠されているような気がしました。

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苦しいことはやめなさい。好きなことをやりなさい。

という言葉は、ダブルワークが推奨されだした昨今ではよく聞く言葉です。

でも、何かをやり遂げる人って
好きなことも、もちろんですが、それを追う際に発生する

苦しみも実は愛している

んじゃないかと思うのです。

なので、好きなことを探すときは、好きという側面だけを見るんじゃなくって
その際に起こる苦労を、しんどいと思わない分野が、もしかして天職なのかもしれませんね。

例えば、カウンセラーになりたい人だったら
色んな人の悩みを聞く事になりますが、仕事を終えて家に帰った時に
「あ〜、今日も重い話聞いて疲れた〜」と、口ではいうんだけど

内心では「でも、闇のある人間って面白いな」とも思えている。みたいな・・・

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実際、面白い事に、私のところに
「フリーランスになりたいんですけど・・・」と相談にくる人の中で

●楽しい人生を送りたい
●つらい会社員から抜け出したい!

という動機(楽しいことを期待する)で相談に来てくれる人よりも

●貧乏でもいいから、これを続けたい

と、苦しいことを覚悟して相談にくる人の方が
圧倒的に、続けられる人が多いです。


そうです
「苦しみすら愛せる」って言葉は「覚悟」の表れなのかな?と思いました。

てなわけで、さよならー!


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