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あおぐのやめて

学校の先生のなり手が、どんどん減っているらしい。

理由は、いくつもあるんやろうけど。

ブラックとか言われるし、
保護者対応が難しいとか聞くし、
世間の風当たりはきついし、
たくさんの子どもたち相手に、個別の対応とやらを求められるし。

ほんま、そんなことを全てこなせるなんて、なかなか思えんよなあ。

でも、先生になりたい人が少ない一番の理由は、
これまであんまり、印象に残るような先生に出会ってこなかった
ってのが、大きいんとちゃうんかなあ。


ず~っと、可もなく不可もなく、そんな生徒だった私。
きっと、私のことを覚えている先生は、ほとんどいないやろうなあ。

ずばぬけて勉強ができたわけでもないし、
めちゃくちゃできなかったわけでもない。

リーダーシップなど皆無やし、
その他大勢で満足。

運動も全然だめで、
球技大会では、率先して補欠に立候補。

これといった得意なこともなく。

かろうじて、
先生たちの手を煩わせることが、ほとんどなかったっていうのが、
わたしの長所やったかもしれん。
もとい。
先生にとっての、長所ってことやけど。

そんな生徒のことを覚えてる先生なんて、いいへんわなあ。


しばらくぶりの高校の同窓会に行った時も、
数十年ぶりに会った先生に、
「お~。おったおった。その顔覚えてるわ。
たしかに、おったなあ。」
と、エピソードゼロの、懐かしさが全く伝わらない言葉を、かけられる。

そんな生徒やった。


まあ、ほどほどの子やってんな。

今にして思えば、手がかからへんて、けっこう先生にとっては、ありがたい生徒やったんとちゃうんやろかと、思ってしまうけど。

もっと、懐かしがって、感謝して欲しいもんやわ。


ただ、たった一人、そんな私が、反抗しまくった先生がいた。

中学校三年生の時の担任の先生。

大学を出たばかりの男の先生で、えらい賢い大学を出たはった。

それを、自己紹介で言うところから、ちょっと冷めてたわたし。

とってもはりきっていたその先生は、何かと、生徒に声をかけてきたり、授業もかなりのハイテンション。

それも、ちょっとうざくはあったけど、一番嫌やったのは、いつも、生徒ではなく、その時そばにいる他の先生の方を、チラ見することやった。

真意はわからへんけど、子どもながらに、アピってるように感じたのだ。

ほんまに、わたしらと話がしたいんやなくて、ほんまに、わたしらに授業を教えたいんやなくて、頑張ってる自分を認めて欲しいだけなんやろ。

そう、思い始めると、もう何もかもが、そんな風にしか見えない。

中学生女子は、そうなると辛辣である。

授業中にあてられても、答えない。
めちゃくちゃだるそうにして、大きなため息をつく。
宿題は、やらない。

そう。
その教科だけ。

他の、先生の授業は、どれもめちゃくちゃ真面目に受ける。
テストも頑張る。


そんなことをしていると、とうとう職員室に呼び出されることになった。

職員室に呼び出しなんて、生まれて初めてである。
しかも、おそらく説教のために。

しかも、中学三年。
受験を控えて、内申書のことを思うと、不利なだけやのに。

そんなことはわかっているけど、どうにもとめられない。

もう、嫌いで嫌いでしかたなかった。

今にして思えば、その先生だけでなく、きっと世の中の大人みんなに対する不信感を、その先生に全部ぶつけていたんかもしれんけど。

大学を出たばかりの、まだまだ若い先生やったのに、気のどくなことをしたもんやわ。

しかも、母親も呼ばれて話をするとなった時に、母親も、こんな若いもんに負けられへんと思ったようで、わたしがやった行動の是非には、まったく関心を示さず、先生相手に滔々と語りだしたのだった。

「まあ、先生は男やからわからへんとは思いますけど。
ふふふふふ。
この子、実は、前回のテストの時、ちょうど生理やったんですよ。
やっぱり生理の時って、いつもとはかなり様子が変わりますからねえ。
それは、ちょっと、理解してもらうってのも、難しいですわねえ。
まあ、まだお若いしね~。
いえいえ。
無理もありませんよ。
はいはい。」


あれ?

わたし、あの時、生理やったかなあ。
しかも、テストの時に生理が重なるなんて、これまで何回もあったし、
そんなんを言い訳にしたことなんて、なかったけどなあ。


どうやら、母親は母親で、別のモードに入っていて、若い男の先生に、年上の女性として、ちょっと教えといたろかってな気分になってたみたいやってん。


うわああ。

さらに、気の毒。

世の大人たちへの不満を、すべて自分にぶつけてくる生徒。
自分の承認欲求を、面談の場に求めてくるその母。

ひえ~~~~。

いまやったら、カスハラ認定決まりやったわ。
なんか、先生ごめん。
これは、心からあやまるわ。
いまさらやけど。



まあ、これは例外。


わたしは、小学生の時から、好きな先生というのがいた。

まずは、小学校1年生の担任の先生。
美人で、ピアノが上手で、さらに歌も上手な女性。
ころころころって、高い声で笑う人やった。
この先生が担任で、うらやましいやろ~~~。
と、他のクラスの子どもたちに対して、勝手に優越感を感じてた。


次は、小学校6年生の時の、部活の先生。
こちらは、クール系なおしゃれな女性。
いつも、なにかしらのアクセサリーをつけていて、
一度、ブレスレットをはめさせてもらっことがあり、
それ以来、すっかり、自分も同じく美人になれたと思ってた。


まあ、ここまでは、憧れの存在として好きやったんやなあ。


がらりと変わって、
中学校の時は、ちょっとしょぼくれた国語の先生が好きやった。
40代後半くらいの男性。
服装もさえないし、声は通らないし、話し方に、めりはりも抑揚もない。
どちらかというと、生徒には不人気。
いや。
むしろ、積極的に悪口を言われてた。
でも、授業中に、物語文の解釈に納得できないわたしに対して、
けっして丸め込もうとしない人やった。
どうやって、わたしに説明しようかと、腕を組みながら、
唸り始めるような人やった。
授業中に対応できないなんて、教師としては、あかんのかもしれんけど。
でも、生徒の意見を、ちゃんと受け止めてくれるその姿勢が、大好きやった。
バレンタインデーに、チョコレートを渡したら、真っ赤になってしまって、こっちが恥ずかしくなったけど。


高校では、
かなり個性的な先生方に出会うことになった。


古典について語っているうちに熱くなり、板書の筆圧がめちゃくちゃ高くなる先生。
黒板けしを使って消しても、しっかりと文字が読める。
一説では、チョークで彫ってると言われてた。


自分の推しの研究者の話を、毎回授業の始めに、必ず10分は語る先生。
その研究の内容よりも、その研究者への推しの強さを、毎回教えてもらってたんやなあ。

環境問題について、熱く語る先生もいた。
身に着けるものや、化粧品に至るまで、環境にやさしい品を使っていて、
それは、地球環境だけでなく、自分の身体を守ることにつながるんやと、
背筋をぴんと伸ばしながら、話してくれた。
天然素材ゆえ色味が限られているせいか、ファンデーションを塗った顔は真っ白で、唇は真っ赤やったなあ。


高校生にもなると、好き嫌いに分類するような単純さではなく、それぞれのお人柄と向き合うことができていたように思う。


わたしは、文系だったので、数学はともかく、物理となると、全くのちんぷんかんぷんやった。

はじめは、がんばろうって思うんやけど、すぐにわけがわからんようになって、脱落。
もう努力することはあきらめて、授業中に当てられると、必ず隣の子に答えを教えてもらってた。

そんなわたしの物理の先生は、まだまだ若い女の先生。
えっ?って、びっくりするような賢い大学を卒業されているらしい。

ただ、おしゃれは苦手なようで、
いつも、白色系のブラウスと、ベージュ系のスカートやった。
それも、よく似たデザインやったから、毎日同じ服を着てるんかと思ってた。
メイクも、してたんやろか。
どうやろ。
それすらわからないような、
全体的に、ベージュって感じの印象の人やった。

物理の授業では、一生懸命に教えてくれてるんは伝わってきた。
ほっぺたを赤くして、黒板の前で、せわしなく手を動かしながら説明してくれる。

ただ、いかんせん、わかりにくかってんなあ。

もちろん、わたしの理解力が一番の問題やねんけど、その先生が、言葉を重ねれば重ねるほど、よけいにわかりにくくなるのは、確かにあったと思うねん。
そりゃあ、まだまだ、これから技術を磨いていく段階の人やもんなあ。
(うわあ。
なんか、上からのわたし。)

その先生が、ある日の物理の時間に、
突然、チョークを置いて、語り始めはってん。


「わたしはね。
先生になったばかりで、授業もうまくできない。
学校に着てくる洋服だって、何を着たらいいのかわからない。
だから、無難な同じような服装をするしかできない。
きっと、あの先生、洋服、一着しかないんちゃうかとか
思われてるんやろうね。(ドキッ)
そう。
できないことだらけやの。
でもね。
ただね。
みんなの話は、いつでも聞きたいって思ってる。
これは本当やの。
こんな先生に、何かを話してなんになるって思われてもしょうがないくらいの人間やけど、でも、まじめにあなたたちの話を聞きたいって思ってる。
だから、何かあった時には、
いつでも来てください。
ほんとうに、来てください。
突然、こんな話をし始めることも、やっぱり変やんね。
でも、やっぱり、言っときたかったから。
ごめんね。
授業おくれちゃったね。」



びっくりしたわ。


正直、その先生に何か悩み事を話したところで、どうにかなるとは思えへんかったけど、つっかえながら、必死で言葉を絞り出す姿は、今もって忘れられへん。

その後も、わたしの〝物理を好きなれない病″は、治ることはなかったけど、
相変わらず、隣の席の子のお世話にはなってたけど、物理の時間が嫌ではなくなった。



もう一人。
世界史の先生がいた。
日本史は、とっても好きだったけど、世界史には、ほとんど興味が持てない私。
あちこちの国をいろいろ学んでも、それらを結び付けて考えるのが苦手やった。
世界史には、日本史みたいなドラマティックさを感じることができなかったのだ。
もし、わたしが高校生の時に、テルマエロマエの映画に出会っていたら、ちょっとは違ったかもしれんけどなあ。

なので、世界史の先生には何の罪もないけれど、まったくやる気のないぼんやりした生徒として、座っているだけの私だった。

その世界史の先生は、色白で、細くて、おでこの血管が浮き出ていて、眉間の皺が深く、1人で立つことができない人だった。
いつも、教卓に両手をついて、サンダル履きの片足の裏側を、うしろにある黒板下の壁にぎゅぎゅっと押し付けていた。
教卓と壁がなければ、絶対に50分間立つことはできない感じの、不健康さだった。
ほんとうに、不健康だったかどうかは、わからんけど。

その頃、教室にクーラーなんて高級なものはなく、真夏であっても、生徒たちは、ただひたすら、下敷きで仰いで、自分に風を送るしかなかった。
もちろん、扇風機だってなかった。
教室には、ぼそぼそとした先生の声と、パタパタハタハタといった下敷きが揺れる音のみ。
下敷きって言っても、いろんな種類があり、模様もさまざま。
色もばらばら。
だから、決して美しい光景ではなかった。

でも、そんなことはどうでもいいくらい、風を求めていたわたしたち。
いろんな方向から自分に風を送りながら、暑さに耐えていたのだ。

決して、行儀のよい話ではないが、
あまりの暑さに、先生方は、仕方がないと思ったのか、
苦情を言われることはなかった。
授業については、静かにすすめることができていたので、
まあよしとしてくれていたんやろうなあ。


でも、世界史の先生はちがった。

「あおぐのやめて」

授業中に、何度も何度も、そのフレーズを繰り返していた。
ご自分は、教卓に置いた教科書を見ながら話していて、私たちの方は、ほとんど見ない。
それでも、目の端に、色とりどりの下敷きたちが入ってしまうのか、
世界の歴史に没頭していたかと思いきや、
突然、顔を上げて、
「あおぐのやめて」
とくる。

言われた生徒たちとしても、そういわれたら、なるべくやめようとは思うものの、あまりの暑さに、ついついパタパタと無意識にやってしまう。

そのパタパタを、絶対に逃さないのが世界史の先生だった。

50分の授業の間に、いったい何回言ってたんやろう。

「あおぐのやめて」
「あおぐのやめて」

そういう時には、必ず、おでこの青い筋が、いつも以上に浮きだっていた。

当然、その先生のあだ名は、
「あおぐのやめて」やった。

めちゃくちゃ言いにくかったけど。

でも、それ以外はありえへんくらいの、「あおぐのやめて」攻撃やった。

ある日のこと、珍しく、その先生が、教科書から目を離して、わたしたちの方を見ながら話しだした。
そうやら、ご自分の海外旅行記のようやった。
世界史を学ぶ上で、興味深い場所に、あちこち行かれているらしかった。

「珍しく語るなあ。」と思ったら、自慢かいな。

そう思いつつ、ついつい仰ぎそうになる手をこらえていた。
話も面白くないから、よけいに意識はぼーっとしてくるので、
意志の力で手の動きを抑えるのは、かなりの至難の業。
早く、話を終わって、いつもみたいに教科書に視線を向けてくれ~~。
そうしたら、超超超ゆっくりモードで、音もたてずに仰ぐ技を試せるのに。

すると、突然、その先生が笑ったのだ。

にやりと、片方の唇だけ軽く上げて、笑ったのだ。

そして、

「ふっ。こうやって、あちこちの国を訪れているのは、きみたちに、少しでも、世界史の面白さを伝えたいから。
実際にその場所に行って感じてきたものを、なんとかうまく伝えられないものか。
いつもそう思いながら、授業をしている。」

とめちゃくちゃ棒読みで言ってから、さっとうつむいた。

えっ?なんて?
今、すっごく、素敵なことを言ったよな。

で、照れてる?

その後も、卒業まで、何十時間もその先生の世界史の授業は続いたわけだが、
あれ以来、もう二度と、先生がわたしたちの方は見ることはなかった。

「あおぐのやめて」

だけが、相変わらず、繰り返された。


授業なんかうまくなくても、
生徒に好かれなくても、
こんな風にいつまでも生徒の記憶に残り、
あとから思い起こされるような先生って、かなり素敵なんとちゃうやろか。

先生になるのに大切なことって、出会うってこととちゃうんやろか。

いや。
別に、先生じゃなくても、そうやんなあ。

わたしがこの世にいなくなった時に、
何かしらのエピソードとともに、
わたしのことを思い起こしてもらえたら
めっちゃ嬉しいよなあ。

どんなエピソードかを知ることができへんのは、
えらいもったいないけど。




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