だれでも「生活ジャーナリスト」になれる
「新聞記者になりたい」という学生が思い描くのは、海外支局での勤務や、政治部で首相の動静を追うような取材ではないだろうか。私が日経に入ったのは1980年。記者として採用されたのは25人だった。政治部や経済部、社会部に配属された同期は、イメージ通りの記者生活だったのだろうが、多くは企業取材の「産業部」や「流通経済部」「商品部」などへの配属で、「こんな取材をするために新聞記者になったのではないのに」とぼやく同期もたくさんいた。
当時、私が主に担当した「日経流通新聞」は、表紙の