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「望む最期、迎えるには」を書くまで

 記事を読む力をつけるためには、記事がなぜ、どのように書かれたかを知ることが大事だと思う。

 私は中華料理を作るのが好きで、えびチリをよく作るが、むきえびの背わたをとって、お酒、塩、片栗粉をかけて水で洗う作業を加えると臭みが抜けて美味しくできる。そうした作り方がわかっていると、料理を食べても、味がよくわかる。記事も、同じことだと思う。

 私が書いた記事を例にとろう。

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延命治療や緩和ケアの選択、望む最期、迎えるには――家族と早めに話し合おう(ライフサポート)
2018/04/11 日本経済新聞 夕刊 5ページ 1810文字 

 自分の最期をどのように迎えたいか。健康状態にかかわらず、将来の病気や加齢による衰えの可能性を踏まえて、終末期の医療やケアの希望を家族らと早めに話し合うことが欠かせない。人生の最終段階を満ち足りた気持ちで過ごすために、必要なプロセスを探った。


 この記事では、まず、「エンディングノート」に必ず掲載されている延命治療の項目に関しては、十分に理解して書いている人ばかりではないことを指摘した。

 将来、自分に万が一のことがあったときに備えて、家族や周りの人に伝えたいことをあらかじめ記入しておく「エンディングノート」は最近、よく知られる存在になった。しかし、どう書いていいかわからない項目もある。一番迷うのが、延命措置を受けるか、受けないかだ。

 エンディングノートが示す選択肢は、概ね、以下のようなものだ(本田桂子著「エンディングノートのすすめ」=講談社現代新書=より)。

 ①最期まで、できるだけの延命措置をしてほしい

 ②苦痛をやわらげる措置は希望するが、延命だけの措置は希望しない

 ③延命措置は望まず、尊厳死を希望することをここに宣言する(理由や日付、署名の欄がある)

 ④延命措置は望まず、「尊厳死宣言書」を作成した

 ⑤家族に任せる

 自分がどんな病気や事故で死ぬかは想像もつかないのが一般的なのに、この項目に答えるのは難しい。川島朗著「医師が教える幸福な死に方」(角川SSC新書)を読むと、正確に延命措置をどうするかを伝えるならば、例えば、心臓マッサージを希望するかしないか、AED(自動体外式除細動器)を希望するか、しないか、輸血は希望するか、しないかなど、17もある項目に答えなければならないことがわかる。

 同じ措置でも延命が狙いの場合もあれば、救命が目的の場合もある。人工呼吸器も「重症な肺炎や心不全に使用する」人工呼吸器もあれば、「呼吸を行う機能だけが低下してしまった患者さんに使用する」生き続けるための人工呼吸器もある(自分らしい「生き」「死に」を考える会編『自分らしい「生き」「死に」を考える』(EDITEX))。

 そこで、まず、自分らしい「生き」「死に」を考える会代表で内科専門医の渡辺敏恵さんにインタビューした。彼女は、「延命治療を十分に理解してチェックを入れたかどうか分からず、医療現場で治療手段を判断する材料としては不十分」と言う。そこで考え出したのが、晩年の生き方や医療について書き込む「私の生き方連絡ノート」だ。作成は2009年。

 例えば「今の自分が望む医療、闘病のかたち」では、「下記の例を参考にして、自分のイメージを言葉にしてみましょう」として、「あらゆる手段をとって最後まで病気と闘う/積極的な治療は望まない/標準的な治療を受けたい/最先端の血ry量を受けたい/どんな状況になっても一日でも長くいきたい/()までは生きたい(子供が結婚するまで、など)/()歳まではできるだけの治療を受けたい/生活の質(口から食べる、声を出す、家で過ごす、仕事を続けるなど)を落とさないことを第一に考えて治療したい」などの例を用意している。記入欄は、選択肢に○やチェックをつけるのではなく、あくまで自分の言葉で書くのがミソだ。

 「これだけは嫌なこと」も例(治療に関して自分で判断させてもらえない/標準的な治療をしてもらえない/痛みのコントロールが不十分で激しい痛みが続く/闘病中、自分らしい生活ができない/必要でも苦しい検査は嫌だ/具合が悪くなったときでも入院はしたくない)を見て、自分の言葉で記入する。

 そして、記事では、「最近注目を集めているのが、自分の意思を家族や医療従事者とあらかじめ共有する、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)と呼ばれるプロセスだ」とキーワードを紹介するのだが、家族やかかりつけの医師と相談しながら、「私の生き方連絡ノート」を書くことがまさに、ACPなのだ。

 記事では、この分野の権威である神戸大学医学部付属病院特命教授の木沢義之氏や在宅緩和ケア充実診療所、ケアタウン小平クリニック(東京都小平市)院長の山崎章郎氏のコメントを引用する。山崎氏は「本人や家族と病状を共有し、それを踏まえて本人の望む生き方を支えるのが医師の役割」と語り、「半年後の孫の誕生を心待ちにする人に対し、医師はできる限りの延命治療を提案。回復が難しい人には、苦しい治療よりも好きなことをして最期を迎えるという選択肢を示す」と具体例を挙げる。

 このほか日本尊厳死協会(東京・文京)、めぐみ在宅クリニック(横浜市)の小沢竹俊院長、日本医師会(東京・文京)の横倉義武会長(当時)にも話を聞いた。最後に、厚生労働省が2018年3月末に改訂したガイドラインで、人生の最期の医療やケアの決定にはACPが重要としていることに触れた。

 私はラジオNIKKEIで、超高齢社会をどう生きるかを考える番組「集まれ!ほっとエイジ」を作り、キャスターもを務めていたので、晩年をどう過ごすかについては多少の土地勘はあった。

 エンディングノートについても番組で取り上げたが、延命措置の項目は、真剣に考えれば考えるほど、書けなくなると思っていた。「これを解消しないとダメだ」と強く感じたのが、取材を始めたきっかけだ。

 自分らしい「生き」「死に」を考える会代表の渡辺敏恵さんが作成した『私の生き方連絡ノート』は実はこの記事を書くだいぶ前に、高校の同期の女性医師から、「大学の先輩の渡辺敏恵さんが中心になり、手弁当で講演を行い地道な活動を続けています。是非、応援してください」と言って、送ってもらっていた。

 価値がわからないと、飛びつかない。そのときは何も感じずに本棚に並べていた。しかし、改めてこのノートを手に取ると、自分が望む終末期(最近は「人生の最終段階」という)医療についての必要事項を上手に書き進めるために工夫を凝らした「医療のためのエンディングノート」であることがわかった。

 現場の医師たちが治療する際に必要な情報になるように、「自分が望む医療、闘病」のかたち、イメージを、多くの例を示してきちんと書けるように工夫した、と渡辺さんは話していた。

 市販のエンディングノートは自分史を書く欄や、相続について書く欄が多く、どちらかというと「終末期の医療」は脇に追いやられている。しかし、本人にとっても家族にとっても最期をどう迎えるか、は家族に死後、何を伝えるかと同じくらい大切なテーマだと思う。

 この記事を書く直前の2018年3月に厚生労働省が「人生の最終段階における医療の普及・啓発の在り方に関する検討会」での検討を踏まえ、「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」を改訂した。

 改訂のポイントは以下の通りだ(厚労省のホームページより)。 

 高齢多死社会の進展に伴い、地域包括ケアの構築に対応する必要があることや、英米諸国を中心としてACP(アドバンス・ケア・プランニング)の概念を踏まえた研究・取組が普及してきていることなどを踏まえ、以下の点について改訂を行った。
1 病院における延命治療への対応を想定した内容だけではなく、在宅医療・介護の現場で活用できるよう、次のような見直しを実施
・ 「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」に名称を変更
 ・ 医療・ケアチームの対象に介護従事者が含まれることを明確化
2 心身の状態の変化等に応じて、本人の意思は変化しうるものであり、医療・ケアの方針や、どのような生き方を望むか等を、日頃から繰り返し話し合うこと
(=ACPの取組)の重要性を強調
3 本人が自らの意思を伝えられない状態になる前に、本人の意思を推定する者について、家族等の信頼できる者を前もって定めておくことの重要性を記載
4 今後、単身世帯が増えることを踏まえ、「3」の信頼できる者の対象を、家族から家族等 (親しい友人等)に拡大
5 繰り返し話し合った内容をその都度文書にまとめておき、本人、家族等と医療・ケアチームで共有することの重要性について記載

 新聞や雑誌の多くは、厚労省の発表をきっかけにACPの記事をまとめていた。しかし、生活情報部が手がける記事は、生活者の素朴な疑問から始めるのが特長。今回も私の記事では「生活者のエンディングノートに対しての疑問」から始めた。だから、厚労省のガイドライン改訂については、最後に簡単に触れるにとどめた。

 もちろん、ACPが重要な手順として厚労省で議論され始めるという大きな流れができていたからこそ、渡辺さんたちの活動やノートが改めて脚光を浴びた。ニュースと生活実感に基づく独自取材をどう絡めてまとめるか、が生活ジャーナリストの腕の見せどころかもしれない。

 この記事では、この分野のキーパーソンにインタビューをしまくった。記事だけで知識や情報の収集は完結するとは思っておらず、新聞記事は「次の学び、行動のためのきっかけを提供することが重要な役割」と考えているからだ。これからACPを学びたいと思われる方に有用な記事にしたいと思った。次項ではそれについて詳しく書きたい。


■すっ飛ばし要約(時間のない人はこちらだけ読んでください)

「延命治療や緩和ケアの選択、望む最期、迎えるには」という記事を書いたのは、かゆいところに手が届くエンディングノートが少ないと感じていたことがきっかけだった。


 

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