だれでも「生活ジャーナリスト」になれる

 「新聞記者になりたい」という学生が思い描くのは、海外支局での勤務や、政治部で首相の動静を追うような取材ではないだろうか。私が日経に入ったのは1980年。記者として採用されたのは25人だった。政治部や経済部、社会部に配属された同期は、イメージ通りの記者生活だったのだろうが、多くは企業取材の「産業部」や「流通経済部」「商品部」などへの配属で、「こんな取材をするために新聞記者になったのではないのに」とぼやく同期もたくさんいた。

 当時、私が主に担当した「日経流通新聞」は、表紙の見出しをオレンジやグリーンで装飾していたので、一見すると夕刊紙のようだった。最初に担当したのは「専門店」。東京本社の記者数人と、大阪本社の私が1面を週2回作っていた。婦人服専門店「玉屋」とか家電量販店の「上新電機」、医薬品チェーンの「薬ヒグチ」、子供服の「ファミリア」などなど、専門店のあらゆるジャンルを取材していた。前任者から取材先の担当者名を書いたリストをもらい、アポイントをとって雑談をしに行く。その中から「これから取り組むこと」を聞いて記事にする。「また、日経の新人記者の教育係か」などとボヤかれたりもしたが、何を言われても会ってもらえないと記事は書けない。御用聞きみたいな部分もあった。

 新製品の記事も新入社員の役割だった。入社して最初に書いた記事はネッスル日本の「カフェ・オ・レ」だった。

 こつこつと担当面に記事を書き、まれに、企業間の提携とか業界再編の話があったりすると1面の特集や日経本紙に記事を書いた。その時だけは日経の記者になった気がした。本音を言えば、毎日、日経本紙で記事を書く政治部や経済部の記者の方が記者としての格は上と思っていた。

 でも、専門店、商店の経営者と接していて、面白いと思ったことがある。消費トレンドをきちっと押さえている経営者が多く、消費者の見方については共感できることが多かった。どんな品揃えをするとか、こんな店を作るとかいった話を聞いて記事にするのだが、その理由や、消費者のニーズの分析の話の方が面白く聞けた。

 のちに藤岡和賀夫『さよなら,大衆』(PHP研究所, 1984年)、博報堂生活総合研究所編『「分衆」の誕生』(日本経済新聞社, 1985年)などの本が出て、大衆に代わる「小衆」、「分衆」などの言葉が生み出され、藤岡和賀夫さんや、博報堂生活総合研究所の研究員の方にも取材した。専門店やの経営者への取材は、そして関連する知識人への取材は、「消費トレンド」の勉強のきっかけになった。

 その後、松山支局、社会部、データバンク局(浅田彰が編集責任者の「イメージ気象観測」という、クリエイティブな作品の中から世の中の動向を占う媒体の編集を担当していた)での勤務を経て、1991年に東京流通経済部のメーカーマーケティング面のキャップとなる。そこで、ビール業界とパソコン業界(日経流通新聞、いまの日経MJがIT業界を取り上げることになった最初の記事は私が書いた「NEC王国の落日」だった)を担当。消費者の行動をつかみ、的確に商品を投入するマーケティングの面白さにはまった。そして、流通経済部デスクではなく「日経トレンディ」への異動を希望。望みがかない、副編集長として雑誌の取材を始める。

 こうした経歴を振り返ると、入社前に描いていた、世界に羽ばたき、日本の未来を考えるようなジャーナリストになる!という望みとはまったく違う方向に進んだことがわかる。

 最近のテレビ番組で言うと「半径5メートル」。芳根京子扮する雑誌の若手女性記者が半径5メートルという身近なところから問題を見つけ、深掘りをした記事が書けるようになる姿を描いたNHKドラマだ。

 目の前にある生活の中から問題を見つけ、解き明かす。これこそ、まさに手がけてきた世界。広く流布している言葉ではないが「生活ジャーナリズム」とでも呼びたい。記者を目指すような大学生は、法学、経済学、政治学、ITなどをしっかり学び、世界のニュースを見て、ものを見る目、基本的な社会の流れを把握する力を身につけて新聞社を受験するのだと思う。おそらく「半径5メートルのことを書いていきたいと思います」と採用面接で話しても「妙に視野の狭い学生だな」と思われるのがオチだ。

 でも、しっかり勉強をして、政治部や経済部や国際部(いまは組織改変で「部」はなくなったが)を目指すような勉強をして日経に入った後、軟らかい生活ジャーナリズム分野で活躍するのはありだと思う。毎日のニュースを書く部署ではないため、記事の構成、切り口を決めるところが難しく、新人記者にとっては手強い部署だが、ベテラン記者にとっては、奥深い取材、地に足がついた取材が可能で楽しい部署だ。

 記事では個人の体験をまず取り上げる。彼らの喜怒哀楽を感じながら、その背後にある制度の不備や偏見、ステレオタイプの考え方、などを問題視し、改善策を含め記事にしていく。社会全体を見て記事を書く点は社会部と共通しているが、社会部がどちらかというと「事件」を軸に記事を書くのに対し、生活情報部(いまは生活情報グループ)は、「毎日の仕事や暮らしへの疑問」が起点となる。人間味が感じられる取材が多い。

 後輩の記者がこんなことを言っていた。

 「私は、これまで事件取材や企業・科学取材など、硬軟両方の取材を経験してきたのですが、どうしても社会の外にいるような感覚に陥っていました。生活ジャーナリズムは一人の当事者の視点から取材をスタートでき、毎日が面白いです」。

 そうなのだ。企業取材をしていて「こんなことをします」という話を聞いても、実際に企業の中に入って現場を見るわけではないから、その人の頭の中にある話をいかにわかりやすく伝えるか、ということが記事を作る作業の中心になる。特ダネを取るにしてもある人の一言がきっかけだったりする。接点は「点」だ。

 しかし、生活ジャーナリズムでは、普段の生活の中で、「これ、ちょっとおかしくない?」と疑問を感じたり、困っている人の話を見聞きしたりする「現実」がまず、ある。そして、調べていくと、自分の知らなかった、背景や構図が見えてくる。半径は5メートルでも、対象は自分の身の回りのすべてだから全身が身の回りを覆う「問題、課題の球体」に接している感覚だ。

 「日々の生活」が出発点になるから、新聞記者でなくても、自分で調べて、勉強して記事を発信することもできる。識者にインタビューするのはハードルが高いかもしれないが、著書の引用から始めればいい。記者でなくても話を聞いてくれるならば歓迎する、という人も意外に多から、しっかり発信をしたいならば、取材を申し込んでみよう。

 会社がバックにないと、取材そのものが難しい政治や警察の取材とは異なり、一個人でも取材でき、発信できる生活ジャーナリズムの世界。だれもがネットで発信できる状況が生まれて、今後、どんどん厚みを増していく可能性がある。

 2016年に生活情報を取材する編集局生活情報部(現・生活情報グループ)にきてから、私が手がけた「半径5メートルの世界」を、紹介していきたい。そこから記事を書くヒントをつかみとってほしい。


■すっ飛ばし要約(時間のない人はこちらだけ読んでください)

半径5メートルの身の回りの観察からスタートする「生活ジャーナリズム」は、新聞社に所属していなくても、だれもが手がけることができる。

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