介護の記事は他人事では書けない

 記者というものは話を聞いただけで、まるで見てきたように記事が書けなければいけないのだが、親の世話、親の介護については、間違いなく実体験が記事にリアリティを増す。

 次の記事は新人でも容易に書ける難易度の低い記事だが、冒頭の事例を見つけるのに苦労した。

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レンジ、ガスコンロ、ストーブ…、高齢者、家は危険だらけ――長年使用の製品点検、誤使用にも注意(くらし)
2016/12/20 日本経済新聞 夕刊 9ページ 1976文字

 高齢者世帯の家庭内事故が後を絶たない。冬は石油ストーブと電気ストーブによる火災ややけどが多く、最近は温水洗浄便座での低温やけどの事例もある。体力や注意力が低下した高齢者に代わり、周囲の人が誤使用を防ぐよう気をつける必要がある。年末年始、実家に帰ったら、老親の暮らしに潜む事故の危険性をチェックしよう。

 この記事では、高齢者の事故事例がなかなか見つからなかった。取材がほとんど終わっているのに、冒頭のストーリーが書けない。結局、自分の母親が起こした「事件」を書いた。

 昨年11月末、東京都練馬区で独り暮らしの85歳の女性宅の換気扇から煙がモクモクと上がった。近所の人が消防署に通報、消防隊が駆けつけた。原因は電子レンジで長く温め過ぎ、黒焦げになった肉まんだった。

 東京都練馬区の独り暮らしの85歳の女性宅、というのが私の母の自宅である。換気扇から煙がモクモクと上がり、近所の人が消防署に通報、消防隊が駆けつける騒ぎになったというのは偽りのない事実。肉まんを温めるとき、十分に水で濡らしてから、ラップで包んで水蒸気で温めれば問題はなかったのだが、肉まんをそのまま電子レンジに入れてしまったらしい。会社で仕事をしていた時間だったので、現場は目撃していないが、後で近所の人に「大騒ぎでしたよ。高齢者は火事が心配。ご長男なら十分に気をつけてくださいね」と強く言われた。

独立行政法人製品評価技術基盤機構(NITE)の製品安全センターは大阪市住之江区にある。事故の再現実験なども行なっており、製品の安全性についての情報をふんだんに持っている。

 取材時点で、NITEが集めた過去5年間の事故発生件数をみると、60歳以上の人の事故は全体の約4割を占めていた。ガスコンロやストーブなどの「燃焼」製品の事故は、年齢が上がるとともに増え、10~50代が1割強なのに対し、60代で2割、70代と80代以上ではいずれも3割となっていた。
 

 意外だったのは、「最近、温水洗浄便座による低温やけどが増えてきた」という話。被害者はすべて80歳を超えている。温度調節を「高」や「中」にして、10分以上座っていると、低温やけどを負う恐れがあるという。

 私の自宅には90歳を超えた義理の母がいるが、トイレは長い。

 皮膚が弱くなった高齢者は「温度を『低』にするか、直前まで温めて、使用中は切って」とNITEは注意を呼びかける。

 東京都の生活安全課にも取材に行った。東京都は毎年、危うく事故になるところだった経験を集める「ヒヤリ・ハット調査」を実施していた。

 記事の掲載日は12月20日。ちょうど帰省間近の時期だったので「子世代は帰省したら、事例に照らし合わせて家を点検、長年使用している家電製品などのチェックをしたい」と呼びかけた。

 肉まんを焦がしてしまった2015年ごろは、母親はまだ、一人暮らしをしていたが、2016年6月2日、路上で倒れている母を近所の人が見つけて救急車を呼んでくれた。光が丘病院に運ばれた。

 脳挫傷で、手術は不要との診断だった。すでに認知症だったが「短期記憶障害」となり、一刻も早くリハビリに取り組ませたいと思った。10日後に光が丘病院から近くのリハビリ病院に転院させる。その時に書いたのが次の記事だ。

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リハビリ施設、入念に選ぶ――開始時期、チーム体制、退院後想定、情報集め、相談室も利用を(ライフサポート)
2016/08/04 日本経済新聞 夕刊 9ページ 2098文字 

 脳卒中や脳のケガ、骨折で病院に運ばれたら――。無事に手術は終わっても、それだけで元の生活には戻れない。リハビリテーションによる機能回復がカギを握る。重い後遺症が残りそうな場合でもリハビリ次第で一定の回復が望めることも。どんな医学的リハビリをどのタイミングで行うのがいいのだろう。回復期リハビリを中心にまとめた。

 近くの竹川病院に転院することを勧めてくれたのは、記事でも紹介する同病院で回復期リハビリテーションセンター長を務めていた酒向正春氏だった。

 酒向氏は、2013年5月13日に放送されたNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、脳外科医からリハビリ医に転身し、「攻めのリハビリ」で実績をあげている人物として取り上げられた。さらにリハビリを終えた患者が、安心して散歩や買い物を楽しめる街づくりを推進している方でもあった。

 そんなことからぜひお目にかかりたいと思い、「日経消費インサイト」というマーケティング調査の雑誌で「健康寿命『延伸』産業、成長へ離陸」という記事を書いた時に取材した。その後Facebook友達に登録していただいていた。

 母が光が丘病院に入院すると、ほとんどの時間、身体を拘束されていて、リハビリに積極的に取り組んでもらえるとは思えなかった。

 母と同室の高齢の女性が鍋つかみのようなミトンという手袋をはめられていた。顔をかゆいらしく、盛んに顔をかこうとするのだが、かけない。そこにきた看護師が「○○さん、いたずらしちゃ、だめよ〜」と言った。なにがいたずらだ!

 これはダメだと思った。一刻も早く他の病院に転院させたい。

 そんな様子をFacebookのメッセンジャーで酒向先生に相談したところ、「いま、近くの竹川病院に勤務しているから、すぐに転院させなさい」と言われた。

 酒向先生は現在は、ねりま健育会病院院長だが、この時は運良く、自宅から車で10分程度のところにある竹川病院に勤務していた。この病院は、身体拘束は一切せず、例えば、患者がベッドから離れるとセンサーが知らせる仕組みを導入するなどして、患者をウオッチしていた。理学療法士や言語聴覚士が、リハビリトレーニングの時間以外でも積極的に話をしてくれていて、病院にいる時間すべてがリハビリになる工夫をしていた。

 実は母は以前、大腿骨頸部骨折で整形外科のクリニックに入院していたのだが、やはり身体拘束をされる時間が多く、その過程で認知症が悪化。ケータイで電話してきては、訳のわからないことを口走るようになったため、リハビリの途中で退院させ、自宅で訪問リハビリを頼み、回復に努めたという経験がある。

 手術などを行った病院が必ずしもリハビリもしっかりやってくれるとは限らないことを実感していたので、すぐにリハビリ病院に転院させた。そして、その対応が素晴らしいと感じ、「ライフサポート」面で取り上げた。取材したのは酒向先生とその下で働くスタッフだった。写真に写っているのが私の母だ。

 脳外科医時代の酒向氏は、手術が成功して命が助かったとしても重度の障害が残ってしまう患者を元気にできなければ、助けたとは言えないと感じていた。そして、東京女子医大脳外科で勤務していたときに、初台リハビリテーション病院に週一回、リハビリの支援にいくようになっていたが、「リハビリの治療支援を続けるより、自分が回復期の病院に行って、患者を治療したほうが、患者を元気にすることができるのではないか」と考え、リハビリ医への転身を決意したという。

 脳外科医時代の経験を生かし、「脳の画像診断から後遺症などの障害を読み解き、どこまで回復するかを読み、リハビリ計画を立てればもっといい医療ができるはずだ」(著書「あきらめない力」=主婦と生活者)と考えた。

 酒向氏は「基本的には集中治療室を出て一般病床に出る時が回復期リハビリの開始時期と考えるべきだろう」「急性期治療が終わってから、やおらリハビリを始めるのではなく、治療とリハビリは同時進行が必要なのだ」「患者さんの人生を考えた時、残る後遺症の診断と治療をしっかりすることが重要だが、後遺症治療という考えが急性期医療には欠落している場合が多く、急性期医師の非常に弱いところなのだ」という。こうした考えに基づき、できる限り早い段階から積極的に体を動かしていく”攻め”のリハビリを進めている。

 退院後は、ヘルパーさんが自宅を訪れる形では支えられないと、竹川病院で「小規模多機能居宅介護」という形態の介護施設を勧められた。「たがらの家」と言い、まるで自宅のような建物、雰囲気の施設があって、そこに決めた。朝から夜まで面倒を見てくれ、希望すれば宿泊もさせてくれる。母の場合は自宅に一人でいるということはもう無理だったが、小規模多機能居宅介護の仕組みでは、施設で面倒をみてくれる人が訪問介護にも来訪してくれるなどの柔軟性のある対応が可能だった。

 「たがらの家」に朝、母を預け、会社から帰ると迎えに行き、夜は一緒に過ごした。地方出張がある時は宿泊をお願いした。この施設に預けることで、なんとか、記者の仕事をしながらでも母の介護をすることができた。

 こうした便利な施設があることは、それまで知らなかった。小規模多機能居宅介護に、看護機能も加わった「看護小規模多機能型居宅介護」という施設もあると知り、これを記事で紹介した。

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介護も医療も、自宅で受ける、「看多機」、都市部で注目――療養生活に新たな選択肢(ライフサポート)
2017/10/05 日本経済新聞 夕刊 9ページ 2035文字 

 介護サービス拠点に看護師が常勤し、看護と介護のサービスを一元的に提供する「看護小規模多機能型居宅介護(看多機=カンタキ)」が注目を集めている。医療的なケアが必要になった要介護者が、施設に入らなくても介護サービスと医療処置を介護拠点や自宅でワンストップで受けられるのが特徴。都市部の高齢化が急速に進むなか、在宅生活を支えるサービスの現状を探った。
 ハード面で新しい試みを取り入れた看多機も登場した。医療法人社団プラタナスが5月に開設した「ナースケア・リビング世田谷中町」(東京・世田谷)は、認知症ケアの研究で実績を持つ英スターリング大学による内装デザインを採用している。

 片山智栄さんは、初めて母の在宅ケアを始める時に、在宅医の先駆者である小笠原文雄氏に紹介していただいた方だ。いろいろな縁が取材の幅を広げてくれる。

 小笠原文雄氏には日経グローカル2015年5月4日号でインタビューをしており、その時からメールのやりとりが始まっていた。この時のインタビュー記事は、この項の最後に紹介しよう。

 小規模多機能居宅介護の「たがらの家」には長らくお世話になったのだが、母の認知症は日に日に悪化。外を徘徊しようとするのを一晩中、止めなければならない日もあった。朝になって心身ともに疲弊。地元・練馬区のグループホームを調べてみた。すると歩いて数分のところに「東京練馬の家」というグループホームがあり、1部屋空いていることがわかった。早速電話し、すぐに母の入居を決めた。

 「東京練馬の家」に母が入居してからも、たまに食事に連れ出すなどして、コミュニケーションはとってきた。しかし、うつ病の症状がどんどんひどくなり、顔を合わせている時はずっと「私はどうすればいいの?」「私は一人ぼっち」などと、延々と悩みを打ち明けられる。「わかったから少しはだまっていてくれ」。つい腹を立てて言葉がきつくなったりする。

 そんな時に見つけたのが認知症高齢者と向き合う技術だ。

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介護現場でコミュニケーション技法、認知症の行動、思い探る――「帰りたい」→「誰に会いに?」介助拒否→「あなたが大切」(ライフサポート)
2018/02/07 日本経済新聞 夕刊 5ページ 1894文字 

 夜中に歩き回る、食事や入浴を拒む、幻覚や妄想を訴える――認知症高齢者が繰り返す様々な行動が、介護施設などで問題視される例は枚挙にいとまがない。受け入れの継続が困難とほのめかされて、困惑する家族も。最近はコミュニケーション技法を導入して、改善を促す施設や病院が登場している。

 この記事でまず紹介しているのは、「バリデーション」と呼ばれるコミュニケーション技法。バリデーションに詳しい関西福祉科学大学社会福祉学部の都村尚子教授に取材した。

 彼女は社会福祉士、精神保健福祉士の要請に携わる一方で、バリデーション・トレーニング協会認定バリデーション。ティーチャーとして2009年からバリデーション・ワーカーコースの運営にも携わっている。

 彼女が著した「バリデーション・ワークブック」(全国コミュニティライフサポートセンター)によると、「バリデーションとは認知症を呈する高齢者とのコミュニケーション法」だ。さらに「人生の最後のステージにいて奮闘し続けている高齢者への敬意を示す態度」でもあるという。

 都村教授は「認知症高齢者が繰り返す行動の根底には、思いがうまく伝えられないもどかしさがある」と解説する。 

 施設での認知症高齢者の“問題行動”はこれまで、抑え込む対象と見なされてきた。高齢者が「家に帰りたい」と訴えても、はぐらかすのが一般的。バリデーションの技法では「家に帰って何をするのですか」「誰が待っているのですか」などと話を進める。
 肩や手に触れながら話したり、正面に座り向き合って高齢者の表情を再現したりして、訴えの背後にある思いを語るよう働きかける。

 そして、もう一つの有力な技術、ユマニチュードも取材した。


 「介助を拒むのは、高齢者の防御姿勢の表れ」と語るのは、フランス発の介護技術「ユマニチュード」の普及に取り組む、国立病院機構東京医療センター(東京・目黒)総合内科医長の本田美和子氏。視線や言葉、触れる技術などを総動員して「あなたを大切に思っている」と相手に理解できる形で伝える。介護職員や看護師に広がり始めた。

  本田氏らが著した「ユマニチュード」(医学書院)からその技術の一端を紹介するとーー。

 「水平に目を合わせることで『平等』を、正面から見ることで『正視・信頼』を、顔を近づけることで『優しさ・親密さ』を、見つめる時間を長くとることで『友情・愛情』を示すメッセージとなります。

 「もっとも悪いことは、相手を無視して話しかけないことです。これは『見る』で説明したのと同様に、『あなたは存在していない』というメッセージを発することにほかなりません」

 「ポジティブな触れ方には、『優しさ』『喜び』『慈愛』、そして『信頼』が込められています。動作としては『広く』『柔らかく』『ゆっくり』『なでるように』『包み込むように』という触れ方です」

 母が食べ物をのどに詰まらせてから、食事をしなくなったとグループホームから連絡があった。毎朝、パンや肉まんを持っていった。その時に、バリデーションやユマニチュードの技術が(表面的にしか理解していなかったとしても)役に立った。

 母が言うことを否定せず、「そうだね、辛いね」と受け入れて、手にパンを持たせるだけで嬉しそうに食べてくれた。世の中の介護の記事は、施設や制度の紹介ばかりだが、こうした認知症患者とのコミュニケーション技術の情報は貴重だと、実感した。

 記者は見ていないことも見てきたように書く生き物だが、日々、苦しみ、どうにかできないかと悩みながら書いた記事は、やはり思いが伝わるのではないか、と思う。

 母親の介護で苦しかった時期は、自分の暮らしを起点にして記事を書く生活ジャーナリストの面目躍如の時期でもあった気がする。

 最後に、日経の生活情報部に異動になる前、日経産業地域研究所の主任研究員として、「在宅医療・介護」について取材した記事をほんの一部だけ紹介しておく。

在宅医療・介護の連携推進 市町村と地元医師会の協力カギ 地域ごとの在宅医療体制構築目指す(FOCUS)
2015/05/04 日経グローカル 24~29ページ 7153文字

 在宅医療のサービスを全国の市町村であまねく提供するための「在宅医療・介護連携推進事業」が2015年度からスタートした。介護保険法を改正、在宅医療と介護の連携推進を同法の地域支援事業として展開する。市町村は遅くとも18年4月までに連携推進に取り組み、在宅医療のサービス態勢を整える。市町村が連携を進めるには地元医師会の協力が不可欠だが、人材の確保、利用者の意識改革、連携システムなど課題は多い。キーマンにインタビューし、連携推進事業の今後を探った。

在宅医療は医療のパラダイム転換 東京大学教授 辻 哲夫氏
 
 柏プロジェクトの司令塔である辻哲夫東京大学高齢社会総合研究機構教授に、今回、国が進めることになった在宅医療・介護連携の意味と、柏プロジェクトのポイントを聞いた。
――なぜ、在宅医療を推進しなければいけないのですか。
 地域包括ケアあるいは在宅医療は、医療のパラダイム転換です。背景にあるのは、日本人の生存率の変化です。若死にが減り、人は老いて虚弱な期間を経て死に至る。こうした状況を作り出したのは、医療の進歩だったわけですが、医療はそこから営みを止めている。最後の生活を支える医療まで行って、初めて医療は完成するわけです。
 いまの病院医療に新しい在宅医療のシステムを加えていくのを、制度改正として国はやりました。これから、それが普及するかどうかの正念場です。ゴールは2025年。2025年に団塊の世代が75歳以上になりますが、75歳くらいを超えると集団としては明らかに虚弱になります。団塊の世代が90歳以上になるのが2040年。この15年間にものすごい医療・介護需要が生じるわけです。
 おそらく、大都市圏の病院は、急増する高齢者の患者を受け止めきれなくなり、在宅医療という受け皿がなければ大混乱になるでしょう。

連携で効果的な生活支援を 祐ホームクリニック理事長 武藤真祐氏
 
 天皇、皇后両陛下の侍医を務めた後、マッキンゼー・アンド・カンパニーでのコンサルタントを経て、在宅医療を中心とした診療所、祐ホームクリニックを創業した武藤真祐氏。2011年9月、震災後の石巻市で祐ホームクリニック石巻を開設したころから、思い描いていた在宅医療のあり方が実証できた実感があるという。
――被災地での在宅医療はインパクトが大きかったようですね。
 被災地に行くと家がない、ベッドがない、食べるものがないなど、様々な理由で困窮されている方々を目の当たりにしました。衣食住という本当の生活があったうえで、医療もあると痛感しました。その経験はいまの在宅医療・介護・生活支援連携のコンセプトに役立っています。
――ITを使った情報連携の仕組みを石巻で作られましたね。 
 (図2にある)左上のネットワークは病院と診療所の間の情報連携です。もう一つの右側のループは、在宅医療の診療所が基点にあるのですが、ここには患者さんやご家族、訪問看護、訪問介護、薬局、介護施設などが入っています。全員ですべての情報を共有するというのは理想ですが、現実には難しい。
 医師が必要とする情報と、介護系の人が必要とする情報は違う。職種ごとに、情報の内容、質、共有するタイミング、量などが全然違うと分かってきました。絵に描いた餅にならないよう、運営を考えています。 
――在宅医療を進めるにあたって、どんな連携を目指していますか。
 医療情報のなかでも生活に関わるものは、NPOや民間企業ともシェアして、利用者の求めるサービスを提供すべきと考えています。イメージはスマートフォンのようなプラットフォームです。患者が自分に必要なサービスを選べるスマートフォンのようなシステムがまず必要です。必須アプリの一つは医療ですが、人によっては食事や社会参加といったアプリも重要です。
 これらを同じプラットフォーム上で提供すれば互いに情報共有でき、高齢者の健康と生活を包括的に支える仕組みができます。

看護師が在宅医療のキーパーソン 小笠原内科理事長 小笠原文雄氏
 
 2012年の厚労省の「在宅医療連携拠点事業」では、在宅医療が得意でない地域の医師や看護師に対して「教育的在宅緩和ケア」と呼ばれるサポートを行う。こうした医療と介護の連携や情報共有システムの開発に力を尽くす在宅医療のパイオニアが小笠原文雄氏だ。在宅医療を妨げるのは、病院信仰が強すぎることだ、と小笠原氏は言う。
――在宅医療の多職種連携で、看護師を司令塔(トータルヘルスプランナー)に任命されていますが、看護師をキーパーソンにするのはなぜですか。
 在宅医療で看護師がなぜ大事かというと、医療・看護ができて、生活が分かっているから。医師は医療しか知らないから、間違った方向に行くことも多いんです。
 在宅医療に必要なのは、多職種連携、協働、協調。医師にこういう薬を出してくださいといえるくらいの看護師をトップにするとうまくいきます。
 緩和ケア病棟の医師は痛みの緩和に、1日2回飲むタイプの医療用麻薬を処方することが多い。緩和ケア病棟は痛くなったらすぐに痛み止めを使えばいいから。でも、在宅では、痛くなったら患者さんは入院するんです。痛くなる前に手を打たなければいけない。1日2回飲むタイプの薬ではなく、1日1回飲み、飲んですぐ効くタイプにしなければならない。緩和ケア病棟の医者が在宅医療を始めても、緩和ケア病棟でやっていたことをそのまま在宅医療に適用するから、在宅で看取る率が7割を超えないようです。小笠原医院のがんの在宅看取り率は95%以上です。
――訪問看護の利点は?
 自宅でずっと寝ていて足腰が弱っていた場合、看護師でしたら「歩かなきゃだめよ」と言ってくれます。看護師は「指導」が仕事だから、なんでも言えるんです。
 在宅のリハビリで一番適応できるのも看護師です。看護師は「よかったね、這いずれて」と患者のやり方を受け入れますが、PT(理学療法士)はきちんと歩けないとだめだと考えます。やりすぎてしまって内出血を起こしたり、いろいろトラブルを起こしたりすることがあるようです。
――在宅で看取る率が高いのは独自のスキルがあるのですか。
 僕は最初、在宅看取り率が5割以下でした。それが7割になって8割になって9割になって、95%を超えた。看取れなかったら、理由をずっと考える。それを一つずつ解決していったら、100%独居の方の看取りができるようになりました。
 独居の方は、食事を3回用意するとなると世話をするのが大変ですが、それは薬を1日3回飲むから。でも、たいていの薬は1日1回でコントロールできます。薬の心配がなければ、ご飯を1~2回作り、お年寄りなら後はパンと牛乳で済ませば笑顔で暮らせます。病院のやっていることがなんでも正しい、と思わないようにしなければなりません。
 お酒は飲まなきゃいけない。飲めば笑顔で元気になるから。塩分制限があっても、どうしても味噌汁が飲みたければ、ほどほどに、飲んだほうがいい。好きなことをやり笑顔で死ねば本望。
笑顔になるから長生きするのです。


■すっ飛ばし要約(時間のない人はこちらだけ読んでください)

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