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100本のスプーンで築いてきた、はたらくことのすべて

多くを語らない石井さん。でも、仲間から向けられる信頼の眼差しは、彼の仕事に対するストイックな姿勢の賜物だと思う。自らを料理人ではないと言う石井さんだが、100本のスプーンでの経験は彼自身の確実な成長の証。
天気の良い午後、心地良い現代美術館内の空間でお話を聞いてみました。

石井 遼太郎 (Ryotaro Ishii)
幼いころから、家庭の習慣で料理に親しむ生活を送る。高校卒業後は飲食店のアルバイトスタッフとして調理経験を積み、当時の勤務先の元店長に誘われ100本のスプーンあざみ野店のアルバイトスタッフとして入社。東京都現代美術館内のオープニングスタッフとして異動し、その後正社員登用となる。一児の父。趣味はゲーム。

導かれるように始まった100本のスプーンでの社会人生活


ー100本のスプーンに来る前はずっと飲食店でアルバイトを?

そうですね、居酒屋で高校3年生から24歳ぐらいまで。結構長くやってました。  ずっとキッチンだったんですけど、朝の仕込みから夜中の3時ぐらいまでとか。社員より働いてました。

ー なんでそんなに頑張ってたんですか?

当時なにかやりたいことがあるわけでもなく、お金が稼げるならという楽観的な考えなんですけど。そしたらその居酒屋の店長が100本のスプーンに転職して、しばらくしてから電話がかかってきて。それでお店のことを知って、ちょうど洋食に興味もあったころだったので、変わったレストランだなあと思いながらアルバイト入社しました。

その後はあざみ野店に配属、現代美術館内の立ち上げ、それから今度は総料理長のテツさんに「社員になってみたら?」と言われてアルバイトから社員登用となりました。

ー100本のスプーン、変わってるなって思いましたか?

いや、変わってますよ。離乳食の無料提供があるし、料理経験が豊富なシェフたちがいるファミリーレストランなんて、驚きました。

だから最初は難しいことやるのかな、と身構えてたんですけど。実際に入ってみるとオペレーションは設計されているので、調理技術でものすごく苦労するっていうことはなかったです。でも当時の料理長の大西さんにはよく怒られていました。

ー意外です。仕事内容で怒られていたんですか?

いや、仕事内容どうこうというより仕事に対する姿勢とか、礼儀とかです。アルバイト経験しかないまま100本のスプーンへ入ったので、当時を振り返ると本当に子どもだった僕に、社会人として、人として教えを叩き込んでもらいました。

「大西さんこそが、社会人としてのぼくのすべて」

オープン、そして人気展示開催と、入社してからは目がまわるほどの忙しさだったんですけど、アルバイトスタッフ含めて誰も文句を言わないんですよね。それを目の当たりにして、それは料理長の大西さんや店長の相羽さんがみんなと向き合ってその雰囲気を作り出しているからなんだと感じました。

与えられる立場から与える立場へ

ー大西さん・相羽さんのつくりだす雰囲気は本当に温かいものを感じます。
石井さん自身も、いまチームを引っ張っていく立場にあると思いますが、どういう風に仲間と向き合っていますか。

オペレーションや工程について教える、っていうのは覚えてもらえばできることだから簡単なんですけど、自分が感覚で身につけてきたものを、言語化して伝えるっていうことに難しさを感じています。人件費や工数の組み立てなど、自分では理解しているんだけど、いざ教えるとなると難しい。

でもほとんど未経験でやってきた僕だからこそ、これまでどういうステップで理解していったかという経験がある。だから後輩たちそれぞれの理解の浸透度にあわせて、目標設定をおくようにしています。発注や食材管理からはじめて、理解度があがったら時間の管理や別の仕事を任せてみたりとか。

僕は積極的に声をかけたりコミュニケーションを自分から取っていくのは苦手なタイプではあるんですけど、しっかり見るところは見て、要所で声をかけるということは大事にしています。

「没頭する仕事がしたくて始めたキッチンだったけど、始めてみたら逆だった。ここで仲間とのコミュニケーションを学んだ」

自分だからこそできることを

ー視野が広がったんですね。数値管理などすごく勉強されている印象を受けますし、石井さんが評価されているところのひとつだと感じます。

僕は本格的な料理経験がなく、開発はシェフたちにかなわない。でもそれだけじゃダメだなって思っていて、利益をしっかり生み出せるようにコントロールすることは、最低限できるようにしようと。でもそれも、できるようにしてくれた環境があったからこそです。
まあ、追い込まれた部分もあるんですけど(笑)

ーストイックさを感じます。

そうですね。僕はあんまり能動的なタイプではないんですが、任されたことは絶対にやります。やりきらないと目覚めが悪くて。

なんか僕、勝ち負けにすごいこだわっちゃうんですよね。昔からゲームが好きで、友達に負けるのが嫌で。悔しいって思うと、人知れず闘志みたいなものが湧いてきます。このやろうって。それでいうと数字って赤か黒しかないから、なぜそうなのか、って突き詰めちゃうんですよね。

ーえっ、今まさに、このやろうって思ってませんよね…?(まん延防止等重点措置発令期間中、平日のカフェタイムの店内は人がまばら)

全然思ってないです(笑)美術館のなかのレストランという特性上、展示の集客や、世の中の流れにも影響を受けやすいんですけど。でもそれはそれで、従来の100本の客層と違うところにもアプローチできているとは思う。展示とコラボしたコースやパフェなど、展示の世界観を再現して楽しめるメニューもある。瀧口料理長の料理開発は再現力がすごくて、とても勉強になります。

逆に自分は、新規客を掴めるようにわかりやすくて美味しいメニューの開発に力を入れています。今季作った牡蠣のクリームパスタが人気で、数が結構出るんですよね。数量を予測しやすくて原価がコントロールしやすい分、次の開発に悩んでいます。

手際よくパスタを作る石井さん。キッチン内はいい香りに包まれる。
石井さんを見守る瀧口料理長

ーどういうときに開発については考えていますか?

営業中に色々やりながら、常に考えています。あとはまかないを日々作っているので、あ、これ美味しかったな、こういうのあったらいいなとか。

ー料理をすることが好きな気持ちが伝わってきます。

うーん。好きなのかな。仕事だからやっているっていうのはあるけど、でもこれだけ続けてきたってことは好きなのかもしれない。

子どものころから母親の手伝いで餃子を包んだりと、何かと料理するのは好きでした。お小遣いをもらう、っていう目的はあったんですけど。

ー石井家、お小遣い制だったんですね。

家族のようなレストラン

ー100本のスプーンで働いて、よかったですか?

よかったです。成長できたと思うし、コミュニケーションが苦手だった自分が一緒に働く仲間のことを考えることができるようになったし。あとは、結婚もできたし。(社内結婚のパートナーはただいま育休中)

レストラン愛溢れるパーカーはパートナーが選んだもの。息子さんともお揃いだそう。

ーまさにファミリーレストランですね。(笑)
これから、どう働いていきたいですか。

相羽さんみたいに働きたい。すごくちょうどいい距離感で、仲間のことを仕事もプライベートも含めて、面倒を見てくれている。接しやすくて懐が深くて、場の雰囲気を作り出している人だと思います。

僕とは真逆のタイプの人だけど、そういう人でありたいなと思っています。

右から相羽、石井、本間。夕陽が指す現代美術館の中庭にて。

撮影:宮川大
取材・執筆:本間菜津樹

インタビュアー:本間菜津樹(Honma Natsuki)
沖縄県出身。大学卒業後、アパレルEC運営会社にて出店ブランドのサポート業務等に従事。その後地元の出版・印刷を行う会社に転職し、ものづくりに関わるうちにその楽しさを実感。自身でも文章を書くように。出産・子育てをするなかで親子の場づくりがしたいという思いが芽生え、100本のスプーンへ。サービススタッフとして勤務。


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