回の記事も兄だったように、私は兄を憎んでいる。愛憎入り交じった感情ではあると思うが「愛」の部分を簡単には書けない。
幼少期に兄から負わされた、与えられた傷は今も瘡蓋にはならずじゅくじゅくと疼いている。ふとそれに目をやると、忘れるな、と言っているような気がするのだ。

読者の方に関係ないと思われるかもしれないが私と兄との関係は、引いて見ればジェンダー論や年齢に関する議論と言うとおこがましいが、に繋がると思う。少なくとも私はそう信じている。

父と母の関係性について生理したい。今の価値観とははるか遠く、完全なる家父長制だった。 母は家にいた。父は夜遅く帰り土日はずっと寝ていた。正直父と話したことは覚えていない。なぜならほんとうに話したことがないから。
母は母で自身の家庭環境故に、自己肯定感が低く、父から理不尽な物言いをされても「わかった、ごめんね」としか言えない。娘の私から見れば、父は本当に酷いもので、暴力を振るわない、という点しかいい所がない。認知は歪みまくっている。恐らく脳に障害があり、凸凹の能力値だ。片付けが出来ない。酒を1日中飲む。忘れ物は多い。金遣いが荒い。外の人間に対して下だと思えば途端にすぐ横柄になる。
こんな有様なのに未だに父は1人でたっていると思い込んでいる。片付けなんかはできなくたって構いやしないが、大事なのは「できている」と思い込んでいることだ。それは中学生が1人で生きていける、俺は特別な人間だ。と思うくらい愚かなことでは無いだろうか。

さて、かなり前だが、Twitter(X)で
自分の旦那は家事や育児をしないが、息子には部屋の片付けや料理を教え込み1人で生きていけるようにした。その息子がいざ結婚したら何もしなくなった。何故かと聞くと「だって父さんと母さんはそれで上手くいっていたじゃないか」といった。そしてそうじゃないということ教えたことが最後の育児だと仰っている方がいた。


この例を参照しつつ論を進めてみたいと思う。子どもは父と母を見て、男としての自分、女としての自分としての行動を決めるんじゃないか。それは何も男だからこうしよう、女だからこうしようなどと意識レベルでやることではなく、刷り込まれているものだ。無意識で閾下知覚でやっている。男だからというものが浮き彫りになる思考ではなく、もっともっと根深い思考である。なぜわかるかと言うと私も経験したからだ。
母親も父親もいない時、どうせ兄は作らないからと、そして弟妹に作らせる訳にも行かず、私が作った。「作ることになった」ではなく「作った。」のだ。つまりは無意識に自分がやるものと思い込んでしまった。正直ほっとけばいいのだが、女だし、私より上に女はいないしという思考が、思考する前に生まれ、そのように行動したのだと思う。
兄もこのことが起こっているとしたら、あの行動になるのも頷ける。

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