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「母親になって後悔している」で思い出した、誰かに遠慮している人生から自分を解放すること

「今の知識と経験を踏まえて、過去に戻ることができるとしたら、それでも母になりますか?」
「あなたの観点から、母であることに何らかの利点はありますか?」

母親になって後悔している/オルナ・ドーナト

インタビュー対象者の基準は、
母親になって後悔していると当事者として自己認識があること

上の2つの質問に「ノー」と答えていること

この基準で行われた23人のインタビューを軸に、6章で構成されています。
著者はイスラエルの社会学者、オルナ・ドーナト氏です。

社会的な圧力や批判によって、
女性たちが「誰の母でもいたくなかった自分」を表現することのむずかしさ。

母のあるべき姿というものが、国が違っていても、それぞれ社会的に根付いているため、「母親になった後悔」を話そうものなら、
まず精神的に何か問題があるのではないか、と疑われてしまうこと、
道徳的にありえない、と強烈な批判の対象になることに、息苦しさを感じます。

母親になったことを後悔しているけれど、
子どもを産んだことに対する後悔ではない

母親になって後悔している/オルナ・ドーナト

女性たちの環境や状況は様々だけれど、多くはこの気持ちを抱えています。

母親になり自分の気持ちに気がつき、暗澹たる思いを抱える女性たち。

流れにまかせ「自動的」に「母」に移行したことで、
子どもを持つか、持たないかの意味を考えずに母親になり、
妊娠中、あるいは子どもが生まれてから、自分の気持に気がついた人、

子どもを持った時に、実際にどうなるのかを知らなかったと振り返る人、

子どもに恵まれることで、
自分が完全になり、穏やかになり、足りないものが埋まる、
と思っていた人、

パートナーの意向で、キャリアや夢を諦めて母親になった人

この本のタイトルを知ったときに、
実母は「母親になって後悔している」のではないか、と思うことがあり、本書を手に取りました。

私自身のために、子どもたちには結婚して子どもを持たないで欲しいと思うんです。恐ろしいです。自分の人生にそのことを望みません。
孫ができたら、また仕方なく強制的にやりたくないことをせざるを得ません。私にとっては、負担でしかないのです。

母親になって後悔している/オルナ・ドーナト

このインタビューの文章を読み、
実母に言われたことを思い出しました。

夫と付き合い始めたくらいの頃、
「あなたは体が丈夫じゃないし、子どもを生み育てるのはむずかしいと思う」
と伝えられたのです。

わたしの体を心配しての発言だとしても、その時はショックを受けました。

実母が再び子育てに関わりたくないから出てきた言葉なのか、
聞いたほうがいいのかと思う反面、
その質問が実母に「自分が責められている」と受け止められそうで、
面倒な気持ちもあります。

母親になって後悔していることを、
子どもに伝えるか、伝えないか、
伝えられた子どもがどのように感じているか、
その項目についても本の中にあります。

わたしは、後悔していると直接言われてはいないけれど、
遠回しに似たようなことは言われたのかなあ、と以前のことを思い出しながら感じています。

母親が後悔していることについて、子どもに黙っている方が幸せなのか?

伝える側も、伝えられた側も、おそらく複雑な気持ちになるでしょう。

わたしの場合は、ある程度年齢を重ねたときなら、
教えてもらえるほうがいいなあ、と今なら思います。

わたしも「面倒みたくない」と素直に伝えたいですから。

「誰かに遠慮している人生」から自分を解放する

子どもを持たないわたしですが、
「母親になって後悔している」女性たちの感情に共感することが多くありました。
母の介護を通して、いつも感じていることと重なります。

  • この役割に耐えられない、我慢できない

  • これから先も続く不安、緊張した感情を手放したい

  • わたしだけの時間が必要

  • 重荷、いらいらする、すべてを子どもの予定に合わせるので、常に頭の片隅にある

  • エネルギーが必要で、他のことができなくなる

介護に関していえば、同じように感じています。
もしわたしが子どもに恵まれていたら、
彼女たちと同じような感情になるかは、わかりません。

介護については、
モヤモヤしたり、イライラしたり、
いまだにコントロールできないときがあります。
それでも自分を責めることはやめています。

無理やり楽しくしようと思うつもりもなく、
この状況を手放したいんだなあ、と受け止めるだけ。

わたしは、子どもの頃から丈夫ではなく、病気がちでした。
社会人になってから、
心身を整えるためにボディートークをはじめ、
様々なボディーワークやワークショップを受講したり、
セッションを受けたりしていました。

あるセッションを受けたときに、
「誰かに遠慮している人生」と言われたことがあります。

その言葉は、そのときのわたしにとって、
がつん、と衝撃が走りました。

自分の中で感じていたものが、言語化されたときなんだと思います。
この本を読んでいる途中、言われたことを思い出しました。

本書に出てくる女性たちも
「誰かに遠慮している人生」なのだろうか。
そう思うと、彼女たちの逃げ場のない気持ちが、
少しでも解放される方法はないだろうか、と考えてしまいます。

母親という現実が変えられない、本心を表現ができない、
生きづらさを抱え続けていたとしても、
気持ちの上では、自由であってほしいと思います。

たとえ子どもに対して、どのように思い、感じたとしても。

ぱんぱんに詰まった心に、少しずつ空間を作れるように、
3分でも5分でも、自分だけの時間を作れたらと感じます。

誰かに遠慮している人生から、自分を解放するために。


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