見出し画像

わたしの中の邪悪な感情をどう捉えるか

これは邪悪な感情なのではないか?と自分で認識しているのは、薄情だということ。

作品として観る家族や母娘の物語には、温かいものを感じるし、心を揺さぶられ、涙する自分がいます。

例えば、朝ドラ「カムカムエヴリバディ」や、アニメのヴァイオレット・エヴァーガーデン10話「愛する人は ずっと見守っている」など。

ところが実母のことになると、育ててもらったけど、育まれたという実感が持てないのです。

母から褒められたことや、抱きしめられた記憶がほとんどありません。

人は体験していないことを、うまくできるようにはならないことは、大人になるにつれ理解できるようになりました。おそらく母も、祖父母からあまり褒められてこなかったのでしょう。

育ててもらった期間よりも、わたしが母に費やしている時間が多くなってきていると思うと時々、虚しさと怒りがこみ上げます。

日々のどこかで、このウツウツとした気持ちが浮かぶ自分を解放したい、と常に考えています。
わたしはひとつの手段として、頭に浮かぶ様々な感情を、ほぼ毎日書き出すことを続けています。

そんな時に、わたしの気持ちがそのまま題名になったような書籍「私の中のこの邪悪な感情をどうしよう?」を手に取りました。

パーソナルモチベーター・セラピストの石井裕之さんと石井さんが主宰するコミュニティ沢稚会の共著となる本書。

危機的な状況の中で、自分のこころを壊さずに生きていけるかを考え、実践されていることをベースに書かれた内容です。

石井さんがモットーとする

「真剣であっても、深刻になってはいけない」たとえ苦しい状況においてこそ、軽やかさを忘れてはいけないと思います。

私の中のこの邪悪な感情をどうしよう?

深刻になりがちで、軽やかさから程遠いわたしは、このことばに、はっとしました。

いつまでも感情の相手をしているから考え続けてしまう

本書に当てはめると、わたしが薄情だと感じることや、虚しさや怒りは、自分の感情だけに焦点があたり、いつまでもその感情を相手にしているから、考え続けてしまう。

感情を相手にしない解決手段は、
そうですよ、薄情です、と
わたしが薄情だと認めること。

毎日気持ちを書き出して、自分が薄情だと感じていることも書いているのに、

まだその感情を受け入れていない自分がいる
薄情だと感じる自分のことを、責めている自分がいる

認識しているつもりだったけれど、わたしは、もう少しダメな自分を受け入れるのに時間がかかることなのか、と思いました。

自分の感情に集中してしまったと、気づいたときは、一旦目線をはずし、相手や周りに気持ちを向けることを心がける。

とはいえ、本書の中で書かれている内容

相手が善意に値するかどうかということとはまったく関係がないのです。相手がどういう人間かとうことではない。キミ自身がどういう人間かという問題です。

憎しみによって自分自身のたましいを焼きつくすよりも、あえて、その相手のしあわせを願うこと。

その通りだと思うけれど、自分の中に落とし込むのは、ハードルが高いなあ、とも感じます。

本書における、もっとも邪悪な感情は、

「自分を守ってくれる存在などどこにもいないのだ」と思ってしまうことです。

このことばもよく頭に思い浮かべてしまいます。

それでも、母親のことに関しては、最近ケアマネージャーの方と話した時に、「時々逃げ出してしまいたくなる自分がいます。」と伝えました。

「そうですよね」
と応えてもらえて、たとえそれが本意じゃないとしても、受け止めてもらえたという安堵感はありました。

身近なひと以外に伝えられるようになったのは、多少なりとも進歩だと感じています。

頭の中では、「自分の親なんだから」「もっと頑張れるでしょう」と忠告してくるのです。

自分のダメな部分や弱さを伝えたとしても、
責められる、呆れられる、と思い込み、口に出せないままのことが多くありました。

現実的な助けがなく、守ってもらえないと感じたとしても、まずは自分で自分をひとりにしない、そのために自分を知る。

きっとこれからも、自分の感情に焦点を当ててしまう日はあるけれど、
わたしはどうしたいのか、どうありたいのか、日々書いて問いかけます。

突発的に起こるであろう、ままならないことに折り合いをつけながら、
それでも感情を麻痺させずに、気持ちの重さを手放し、軽やかさを身につけられるように。

この記事が参加している募集

読書感想文

これからの家族のかたち

届けた言葉が、あなたにとって新しい出会いに繋がれば幸いです。いただいたサポートは、新たな書籍や作品との出会いや、介護のための活力にします。