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千都は残った

 大学の近くに昔からあって、ずっと学生を見守ってきたような飲食店が好きだ。自分の行った大学前にはそんな店が何軒もあった。
 今住んでいる近くにも大学はあるけれど、そういう店が全然見当たらない。これでは大学生活もつまらないだろう。
 先日イゴールさんと外出した時、車の中でそんな話をしたら、「近頃は学内にいろんな店があるのだよ。うちの娘のところもそうだったよ」と教えてくれた。そう云われてみれば、大学内のおしゃれなカフェをテレビで見た覚えがあるけれど、自分の求める店とは立ち位置が随分違う。

『千都』へは、お好み焼きよりも雰囲気が好きで通っていた。
 ばあさんが一人で切り盛りしており、随分古くからそこで商売をしていたらしい。
 初めて入った時は、注文を聞くより先に「寒くなったねぇ」と話しかけてきた。急に寒くなった時期だったから、恐らく11月だったろう。
 そうしてどこから来たかと問われたから、広島だと答えたら、広島と大阪ではどっちが寒いかと訊いてくる。そんなことには別段興味もないから、考えたこともなかった。まぁ同じようなものだろうと答えておいた。
 ばあさんは五島の出身なのだと云った。そうして、あの辺りは暖かいところだよ、と懐かしそうな顔をする。
 その時分には五島がどこなのか知らなかったけれど、恐らく長崎の向こう側だろうと見当をつけて聞いていた。
 それから自分のオーダーしたモダン焼きを焼きながら、昔は店の前の通りを学生がリヤカーを引いて引っ越ししていたとか、自分も知っている伴先生が学生時代にどんなだったとか、そういう話を色々聞かせてくれた。
 そんなふうに喋りながら焼くから、どうにも料理が遅い。いつもそんな感じだから、昼時に行っても他の客に出くわすことはあんまりなかったように思う。

 ある時、同じ国文学科の友人ら——中野と木寺を連れて行ったら、中野にくっついて小島も来た。
 小島は違う学科だけれど、国文の溜まり場にちょいちょいやって来る。中野とは高校時代からの友達なんだそうだ。自分は話したこともなかったが、来るなという理由もないから放っておいた。
 例によってばあさんは伴先生の話などをしながら、一枚ずつのんびり焼いてくれた。あんまり遅くて非日常なものだから、木寺がついにニヤニヤし始めた。
 店を出た後で木寺は、「あのばあさん、面白いな」と大いに面白がった。
 すると小島が「何だか気持ちが悪いから、もうあの店は行きたくない」と言った。
「全体、君は呼んでないぜ」と言っておいた。

 ばあさんはあんまり体調がよくないようなことを云っており、それからしばらく行かずにいたら、果たして閉店してしまった。
 今は跡地に “GATHER PLACE SENTO” というマンションが建っているらしい。

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