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百卑呂シ随筆

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2023年12月の記事一覧

怪鳥ばあさん

 ベランダを掃除していたら、隣家から怪鳥の鳴き声みたいな音が聞こえてきた。  庭に設置されたブランコだろうと、じきに見当がついたけれど、隣家の子もぼちぼち大きくなったろうに、まだあんな小さなブランコに乗るんだろうかと何だか心のうちで引っかかる。  それで壁の陰から覗いてみたら、みすぼらしい身なりの婆さんが座ってゆらゆらしていた。  婆さんは何だかボロボロの服を着て、ボサボサの白髪に手拭いを被っている。  隣家のおばさんは昭和の刑事ドラマで聴き込みを受けるスナックのママみたい

自由の値段

 大学時代の下宿で、カラーボックスを二段に重ねて並べ、壁一面を本棚にしていた。中身はどこでも売っている文庫本と、古本屋で500円ぐらいの単行本ばかりだったけれど、眺めていたらそれなりの満足感があった。  卒業前に、その本を全部ダンボールに詰めたら7箱になった。  パスタ屋に就職して、仕事の都合で何度か引っ越しをしたが、どうせすぐにまた異動があるのだからと思って本はずっと梱包したままにしておいた。そうして結局辞めるまでの数年間、ずっとそのまま開梱せずにいた。  この本は読むた

本棚、朽果てる

 母方の家系は広島の山奥で、ずっと庄屋をやってきたのだそうだ。  祖父は市内に移り住んだが、今でも山奥の家はあって、親戚のおじさんが墓守をしながら暮らしている。もっとも、古い家は随分老朽化したので、同じ敷地に別の家を建てて、そちらに住んでいる。  先年墓参りに行った際、古い家へ入らせてもらったら、おじさんが古びた本棚を指して、「裕君、この本棚はねぇ、君のお祖父さんが使っていたものなんよ」と言った。  祖父は自分が小学校を出る直前に亡くなった。殊の外可愛がってもらったから、こ

呪文

 社会に出て一番初めは、チェーンのパスタ屋で働いた。  店舗に配属されて1週間ぐらいで、先輩の西村さんから包丁の使い方を教わった。最初に切ったのはムラサキキャベツだったのを覚えている。  西村さんにお手本を見せてもらった後、「こうですか?」と言ってトントンと包丁を下ろしていたら、三回目のトンで痺れるような痛みが走り、拇指の先の肉が体から離れた。  驚いて、こんな仕事に就いたのがやっぱり誤りだったと職場を大いに恨みながら、店の裏で止血していたら、年輩のパートさんがやって来た。

ビュッフェ、伏線

 昨晩、家族で外食した。  自分はハンバーグにサラダとスープとカレーとデザートのバイキングセットをそう云った。  カレーは金を払って食うつもりにはなれないけれど、ビュッフェのカレーは食わないと何だか損をした気分になる。  だからカレーを三度お代りして、ハンバーグも思ったより大きかったのを食べ、デザートも一通り食べた後で杏仁豆腐をお代りして、腹が随分苦しくなった。  大体いつもビュッフェは食べすぎてこうなる。今朝起きたら、果たして胃がむかむかした。 ※  高校時代、何かの用

空と墓

 高校時代、すし詰め状態のバスで渋滞にはまるのが嫌で自転車通学を始めたけれど、じきに止した話を以前に書いた。  その後は始発バスなら座れるとわかって、卒業まで始発で通った。  具体的な時刻は覚えていないが、冬はバス停まで月を見ながら歩いていたから、4時半ぐらいに家を出ていたんじゃないかと思う。そうでないと計算が合わない。そのぐらいからバス停には人が並んでいて、始発は5時過ぎに出た。  ある時、窓から見えた夜明け空のグラデーションが随分きれいで、ちょうどウォークマンから流れて

ある建物の記憶

 昔、学生寮に住み始めて間もなかった頃、天袋に何かを入れる際に押入へ足をかけ、長押に手をかけたらその長押がボトリと落ちて驚いた。  古い建物だったから、これが元で崩れたりしては一大事と焦って寮母さんに云ったら、あぁこれねといった様子で釘を打ち付けて固定した。  その際に随分ガンガンやったものだから、周りの部屋の先輩らが出て来たのだけれど、みんなやっぱり「あぁこれね」といった風だった。それを見て、そういうものかと思って自分も安心した。  最前、押入に足をかけたと書いたけれど、

旅と先端

 出不精で、自分から旅行へ行ったことがない。子供の時分から旅行に行った覚えがあんまりないから、そのせいだろうと思う。  ただ一度だけ、小6の夏に家族で山口県へ行ったのは覚えている。あの時は錦帯橋と秋芳洞へ行った。秋吉台サファリパークへも行った気がするが、行ったかどうか判然しない。  宿の風呂で、水栓から湯を出すつもりでくるくる回していたら、関西弁の知らないおじさんが「回すんやなくて押すんや」と教えてくれた。それで押してみたら随分強く水が出て、今度は「そら水や!」と云われた。生

虹、世界のシステム

 娘と車で帰省するようになってからは、いつも夜明け前に家を出てちょうど昼頃実家に着くよう段取りしている。  道中はずっと、車内で娘が好きなサザンオールスターズの曲をシャッフル再生する。サザンは自分も中学生の頃によく聴いていたから、帰省の道中で聴くと何となく不思議な気分になれる。  独身の頃は渋滞に捕まるのがとにかく嫌だったから、夜中に出発して朝方実家に着くようにしていた。  途中、真夜中のサービスエリアでうどんなどを食うのが非日常な感じで良かったのだけれど、同時に、果たして

蕎麦屋のカウンター、青

 パスタ屋で働いていた頃のこと。  初めて店長として赴任した店の斜向かいに蕎麦屋があった。店主と奥さんが二人でやっている小さな店で、自分は近所付き合いの意味も込めて、時折帰りに寄って晩飯を食っていた。  鴨南蛮が美味かったのを覚えているけれど、鴨南蛮はどこで食っても大概美味いようにも思うからあんまり当てにはならない。  店主は随分愛想のない男だった。最初に挨拶に行ってこっちが斜向かいのパスタ屋だということは知られていたから、ことによると同じ麺類屋として敵視されていたのかも知れ

未来の写真

 幼稚園に通っていた頃、よく吉川君と遊んだ。  吉川君の家は向かいに空き地があって、そこへ行くことが多かったように思う。  空地は結構広かった。奥には二メートルばかり高くなった所があって、そこにはお墓がいくつかあった。随分立派なお墓もあったのを覚えている。  この空地で何をして遊んでいたのかはあんまり覚えてない。自分はボール遊びが好きでなかったから、きっと自転車で走り回ったり、周辺の草むらで探検ごっこでもしていたのだろう。  ある時、吉川君が空き地の真ん中で不思議な建物の写

恐怖

 独身時代に住んでいたアパートは、集合ポストの隣に駐車場とゴミ捨て場があった。  ゴミはいつでも出していいと大家の老人が云うものだから、大抵いつも何某かのゴミが置いてあり、カラスや猫が散らかさないように大家さんがまとめて、金網でガードしていた。  いつでも出していいというのは、ゴミを部屋に溜めさせない狙いだったろう。便利ではあったけれど、まとめる際に勝手に袋を開けられるので、下手なものを捨てられない。  一度「あんたはわしがあげた食パンを、食わずに捨てたろう?」と言われて、随

ぐるぐる回し、ヒゲ

 現在の実家に住み始めたのは幼稚園に入る前の年だったから、4歳の時に違いない。  引っ越してきて間もない頃、母と外を歩いていたら近くの公園で同じぐらいの子供らが “ぐるぐる回し” で遊んでいた。  ぐるぐる回しは最近あんまり見かけないから、若い人は知らないかもしれない。一応説明すると、鉄の棒を丸めて作った大きな地球儀みたいなものがぐるぐる回せるようになっている。骨組みだけだから、中に入ったりぶら下がったりできる。  正式名称は “グローブジャングル” というらしい。今調べて

水栓、置土産

 洗面所の水栓からポタポタ水が落ちるようになった。恐らくパッキンの劣化だろう。  パッキン交換ぐらいは自分でもできそうだけれど、ちょうど工務店の人が十年目の点検に来たから、ついでに依頼しておいた。  ところが、担当の篠田さんは「それでは、まずメーカーに云って部品を取り寄せますね」と請け負ったきり一向に連絡してこない。  待ってる間ずっとポタポタやっているのはもったいないし、ポタポタのペースもだんだん早まってくるようだったから、水栓の元を締めて使わないようにしたのだけれど、ど