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でも、キツいのはツラいよね。

仕事をしていく中で、フィードバックをする側にもなるし、される側にもなりますよね。
これはフィードバックする側の話。

フィードバックで悪者になろうとしない上司は、20代から信用を失う

結局、甘いことしか言わない人は、メンバーから信頼を獲得できず、リーダーシップを発揮できていませんでした。むしろ、最初は嫌われるとしても「いつかわかってくれる」と信じて、ひるまずに率先して「悪者」役を引き受ける人こそが、多くの人の信頼や敬愛を受けていたように思うのです。

この記事、確かにそのとおりだよなあと思います。

自分のキャリアを振り返ってみた時に、大きく力を伸ばせた時って、必ず裏側では誰かの厳しいネガティブフィードバックを受けていたなと。

それは職場の先輩や上司だったり、お客さんだったり、時には家族だったり。

ただ、経験と感情の記憶はセットになっていて、その当時の事を思い出すと、やっぱり厳しいフィードバックを食らった瞬間はツラかったよなあ、とは思うんですよね。

なおかつ、そのフィードバックをしてくれた人に対しては、もちろん頭の中では『恩人フォルダ』に保存されているんですが笑、

心の中ではやっぱり『自分に対してツラい事を言ってきた人達フォルダ』に分類されちゃってるんですよね。申し訳ないけど。

人って、自分を傷付けたり恥をかかせた相手に対して、そう簡単に割り切れる生き物じゃないと思うんですよね。

だから、この記事にある、いわゆる悪者が要るかどうかは、フィードバックを受ける側の器の性質にもよるんじゃないかなと思ったり。

でも、ぶっちゃけ思うのは、

というか、そもそもフィードバックにおいて、悪者って本当に要りますかね?

ということ。

ほとんどの厳しいフィードバックって、ロジカルな厳しさに、感情的な叱責も混じってたりするじゃないですか。

人によってはロジック1:感情9、みたいな人もいたりして。(いわゆるパワハラ)

本当は、ロジカルな厳しさを備えつつも、ニコニコ楽しそうに、相手を所々で持ち上げながら「うん、すげえ惜しかった。次からこうすればもっと良くなるよ」というやり方でフィードバックしていけばいいんじゃないかな。

なんて、甘っちょろいことを考えちゃったりするんですよね。

こういう考え方、ダメなのかなあ。。。

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