「何度でもやり直せる社会をつくる」
わたしの所属するコミュニティのひとつに、
「キズキ共育塾」の存在がある。
キズキでは、「何度でもやり直せる社会をつくる」というミッションを掲げている。
この場所には、不登校やひきこもり、学校を中退した等、さまざまな事情をかかえる方が多く在籍しており、毎日たくさんの生徒さんが訪れる。
勉強を通じて、もう一度やり直したい。
そんな思いをもった生徒さんや保護者の方が、キズキを知り、まじわり、共に歩んでいく。
必ずしも、勉強で成果を出せなくてもいい。
勉強して、受験して、高校や大学に入学する。たしかにそれは、やり直しのひとつの手段だ。
だけど、受験した結果がもしだめだったとして、それはやり直しの失敗では決してないと、わたしは思う。
だいじなのは、本人が安心していられる場所で、信頼できるひとと一緒に、じぶんを更新してゆくことだ。
キズキには、挫折を経験したり、困難を乗り越えたりした講師が多く存在する。彼らは、ロールモデルや、人生のメンターになり得るだろう。
回りくどくなってしまったが、わたしがこの記事で伝えたいことは、ひとつ。
「じぶんの居場所はどこにもない」と、あきらめないでほしい。
そのために、じぶんが安心できる場所を見つけてほしい。ひとりぼっちだと、うちひしがれないでほしい。
あなたの味方は、必ずいる。
よりそってくれる存在は、ゼロじゃない。
それを知っているだけで、すこし気持ちが楽になりませんか。
*
わたしがこのnoteを本格的にはじめてから、まだ1ヶ月弱だ。
なんとなく気持ちがもやもやして、淀んでいたのは、このことを伝えられなかったからなのかもしれない。
もともとわたしはSNSが苦手だ。 これまで発信する機会のなかったわたしがnoteを選んだのは、なぜか。 誰もじぶんを知っているひとがいない場所で、好きなようにアウトプットしたかったからだ。
それを考えた時、現実世界の自分の所属場所を、この場で曝けだすのはためらわれていた。
だけど、一ヶ月弱noteをつづけてみて、ここにはいろいろな人がいることがわかってきた。
中には、社会を変えようとがんばる若い方もたくさんいるし、不登校のお子さんをもつ親御さんもいる。
それならば、もしかしたら。
キズキのことを書くことで、だれかがキズキとつながり、よい化学変化が起こりうるかもしれない。
そう思ったら、この手がこうして自然と、キズキについて書きはじめていた。
わたしという個人の影響力など微々たるもので、現実に及ぼせる影響などさしてないだろう。だけど、SNSのちからは大きい。
助けを必要としているひと、また、誰かの助けになりたいと思っているひと。 だれか一人にでも、この記事が役に立てば本望である。
最後に、気づいたことが一つ。
noteの「つくる、つながる、とどける」の三つのうち、つくるということ。
毎日なにかしら書いているわりに、どれもクリエイティブな内容ではないな、と懸念していたのだけど。
じぶんの内面を見つめ、大切なものを掘りおこして磨き、発信する。これって、ちゃんと創作だ。価値を苦心してかたちにすることは、創作活動だ。
ありがとう、note
2019.10.08
あなた→わたし→誰か→ほかの誰か