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「何度でもやり直せる社会をつくる」

わたしの所属するコミュニティのひとつに、
キズキ共育塾」の存在がある。

キズキでは、「何度でもやり直せる社会をつくる」というミッションを掲げている。

この場所には、不登校やひきこもり、学校を中退した等、さまざまな事情をかかえる方が多く在籍しており、毎日たくさんの生徒さんが訪れる。

勉強を通じて、もう一度やり直したい。
そんな思いをもった生徒さんや保護者の方が、キズキを知り、まじわり、共に歩んでいく。

必ずしも、勉強で成果を出せなくてもいい。
勉強して、受験して、高校や大学に入学する。たしかにそれは、やり直しのひとつの手段だ。

だけど、受験した結果がもしだめだったとして、それはやり直しの失敗では決してないと、わたしは思う。

だいじなのは、本人が安心していられる場所で、信頼できるひとと一緒に、じぶんを更新してゆくことだ。

キズキには、挫折を経験したり、困難を乗り越えたりした講師が多く存在する。彼らは、ロールモデルや、人生のメンターになり得るだろう。

回りくどくなってしまったが、わたしがこの記事で伝えたいことは、ひとつ。

「じぶんの居場所はどこにもない」と、あきらめないでほしい。

そのために、じぶんが安心できる場所を見つけてほしい。ひとりぼっちだと、うちひしがれないでほしい。

あなたの味方は、必ずいる。
よりそってくれる存在は、ゼロじゃない。

それを知っているだけで、すこし気持ちが楽になりませんか。



わたしがこのnoteを本格的にはじめてから、まだ1ヶ月弱だ。
なんとなく気持ちがもやもやして、淀んでいたのは、このことを伝えられなかったからなのかもしれない。

もともとわたしはSNSが苦手だ。       これまで発信する機会のなかったわたしがnoteを選んだのは、なぜか。         誰もじぶんを知っているひとがいない場所で、好きなようにアウトプットしたかったからだ。

それを考えた時、現実世界の自分の所属場所を、この場で曝けだすのはためらわれていた。

だけど、一ヶ月弱noteをつづけてみて、ここにはいろいろな人がいることがわかってきた。
中には、社会を変えようとがんばる若い方もたくさんいるし、不登校のお子さんをもつ親御さんもいる。

それならば、もしかしたら。
キズキのことを書くことで、だれかがキズキとつながり、よい化学変化が起こりうるかもしれない。

そう思ったら、この手がこうして自然と、キズキについて書きはじめていた。

わたしという個人の影響力など微々たるもので、現実に及ぼせる影響などさしてないだろう。だけど、SNSのちからは大きい。

助けを必要としているひと、また、誰かの助けになりたいと思っているひと。 だれか一人にでも、この記事が役に立てば本望である。

最後に、気づいたことが一つ。
noteの「つくる、つながる、とどける」の三つのうち、つくるということ。

毎日なにかしら書いているわりに、どれもクリエイティブな内容ではないな、と懸念していたのだけど。

じぶんの内面を見つめ、大切なものを掘りおこして磨き、発信する。これって、ちゃんと創作だ。価値を苦心してかたちにすることは、創作活動だ

ありがとう、note

2019.10.08



あなた→わたし→誰か→ほかの誰か