【短編小説】カンマ~青春を食べたら苦かった~
私のバレーボール人生はいつも締まらない。
「ありがとうなんて言いません。」
高校3年生の春。
ピーと高々に響くホイッスルの音1つで15年のバレーボール人生は幕を閉じた。
3歳から始めたバレーボール。
それはママさんバレーをしている母の影響だ。
気がつけば母と対人をしていて、どうやって技術を覚えたのか記憶していない。
そんな私も小学校3年生になると、ミニバレーのチームに入った。
バレーボール人生6年目にして初めてのチームプレー。
チームに入って1年目に全国大会。
その全国大会は熱を出して客席から見ているだけで終わった。
それからバレーボールは当たり前のように私の中にあった。
中学生になっても、高校生になっても部活動の選択肢などなかった。
私はバレーボールをする。
私を形成するのはバレーボールだ。
それを決定的にしたのは高校時代のバレーボールだった。
"挫折"
初めて味わう感覚だった。
どれだけ長くやっていても、どれだけたくさん練習しても、届かないものがある。
それがスポーツ。
だけど戦わなくてはいけない。
私だけの戦いではないから。
それがチームプレー。
私1人だと敵わないけれど、6人で戦えば勝てる可能性がある。
それがバレーボール。
"勝負の中に遊戯せよ"
私たちの戦いを見守る横断幕の文字が誇らしかった。
辛くてきつい練習も試合の緊張感やプレッシャー、楽しさが忘れさせる。
その味わいには中毒性があった。
また辛くてきつい練習をする。
強さと自由と楽しさを手に入れるために。
これは格別の味わいだ。
そして最後の年を迎える。
私はこの年がバレーボール人生のピリオドだと確信していた。
でもピリオドで綺麗に締められないのが私のバレーボール人生だ。
私にチームプレーを教えてくれ、本当のバレーボールの楽しさを教えてくれた顧問の先生がいなくなった。
物足りない。
辛くてきつい練習もなくなって、楽しそうに笑うチームメイト。
これまで過ごしてきた日々は夢だったのだろうか。
上部だけの楽しさでは楽しめなかった。
チームプレーとは。
私1人だけではバレーボールはできない。
私だけが違う方向を向いていた。
大会前日。
「余裕で勝てますよ」
そんな後輩の一言が聞こえる。
私たちが言える言葉ではないと思った。
いや、私たちが言ってはいけない。
だって私たちよりもバレーボールに向き合ってたくさん練習しているから。
そんな人たちにリスペクトもなく、なぜ上から発言ができるのか。
私には理解できなかった。
挫折よりもはるかに苦しい時間を過ごした。
何よりも何もできない自分が不甲斐ない。
誰もいない体育館に1人。
ボールの音がよく響いた。
そんな高校最後のバレーボールはチームプレーとは程遠く、1人だった。
最後の大会。
1回戦。
終わりを告げるホイッスルの音がむなしく響く。
泣くチームメイト。
なんの涙なんだ、それは。
形だけの反省会。
「辛くても頑張って来られたのは、今日を楽しくするためなのに、何もバレーボールしていない。最低でした。頼りない先輩だったかもしれないけど、付いてきてほしかった。本当の楽しさを感じてほしかった。みんながいたから試合ができてよかったなんて思わない。だからありがとうなんて言いません。」
それだけ言って、丸くなって座っている輪から外れた。
私が1番最低だ。
ロッカールームには音もなく、複雑に混ざりあった感情の涙が溢れた。
-end-
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