ハッピーエンド・幸せな最期の迎え方
こんにちは!
みなさんはどんなハッピーエンドを想い描きますか?
わたしのお話は"ハッピーエンドではない"
と思われがちですが、わたしにとっては全部ハッピーエンドなんです.
ただ、ハッピーエンドではないと思うのもいいと思っています.
ハッピーの形は人それぞれ違うので、そうやって自分の考えを持っていることはとてもいいことだと思います.
なので、たくさんの人間の中の1人の考えだと思って読んでください.
わたしにとって死や別れはマイナスなことではありません、と言ってしまったら聞こえが悪いですね.
でもわたしは死や別れというのを大切に描いています.
人生の終わりに必ず愛を含ませています.
(家族愛、友達愛、恋愛などいろいろな愛の形があります)
死を実感したとき、生の尊さを実感してもらいたいというのもあります.
本当にたった1度しかないナマモノだから.
だから後悔がないように一生懸命に生きています.
だからそこ、苦しいときもありますよね.
もちろん楽しい瞬間も、生きているから実感できます.
もう1度はないからこそ、最期が決して軽くならないように大切に描いています.
わたしたちが大切に人生を生きるように.
わたしがはじめに死や別れはマイナスではないと言ったのは、
人生という冒険の行き先は皆、死なので、その死をどれだけハッピーエンドにできるか
それがわたしのモットーだからです.
決して死や別れを軽く見ているわけではありません.
わたしの記憶の曾祖母は笑顔でわたしの手を握っています.
「ばあちゃんの手、あったかいやろ」
そう言いながらわたしの手を擦っています.
わたしの記憶はずっとそこで止まっています.
でも曾祖母はもういません.
わたしの中では元気なのに、記憶のページをめくると次のページにはもういないという事実だけが違和感をまといながら書かれているんです.
いなくなるまでのストーリーがないのです.
"もういない"という言葉だけでは理解していても、事実を実感したのは最近です.
わたしは曾祖母が最期を迎える時間の記憶を忘れてしまっています.
きっと一緒に過ごしたはずなのですが、そこだけの記憶がすっぽりと抜けているんです.
だから悲しかったのか、寂しかったのか、怖かったのか、その時の感情も分からないのです.
わたしはいつからか、星を見て話しかけていました.
でもその時、寂しさを感じます.
わたしは最期まで大好きだと伝えられたのか.
わたしのハッピーエンドは誰かに愛されたり、誰かを愛したり、
"愛が生き続ける"
ことです.
死も様々で、ハッピーエンドを迎えられる人ばかりではありません.
せめて、わたしの描く物語では一生懸命に生きた人たちがハッピーエンドを迎えほしいと思っています.
わたしの曾祖母への愛がわたしの中で生き続けるように、曾祖母のわたしへの愛がわたしの中で生き続けるように.
わたしは幸せな時間を思い出す度に、何度でも幸せになれます.
曾祖母と過ごした時間、思い出、温かさ、優しさ...それはわたしが生きている間は失われることはありません.
だからわたしは醜くても必死に生きていくのでしょう.
生きている人だけが偉いわけではありません.
生きた人もまた等しく偉いです.
ただ、自分以外の人生の終わりを選択しないでほしい.
戦争は愛がある限りなくならないと思っていました.
守りたいものがあるから、守りたいものがある人は強いです.
でも、それはお互いに気持ちを理解することはできるということ.
愛の形がそんな悲しい在り方であってほしくないです.
争いではなく、手を繋ぎあえたら...
そんな理屈だけではどうにもできないから難しいんですよね.
こうやって文章を書いている時も、わたしが知らないところで命がなくなり、涙を流していると思うと...きっとこんなことを書くことがきれいごとのようで...
わたしの力では世界をひっくり返すことはできないけれど、
わたしのまわりが笑顔で溢れるように、優しい強さを持てるように、幸せな時間を過ごせるように
ちっぽけだけど、力になれたらいいなと思います.
最後まで読んでくれてありがとうございました!
ちうらおおぞら
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