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事実って小説より奇です

「事実は小説より奇なり」ということばがある。読んで字のごとく、現実社会のほうが作りものの小説より不思議な出来事も起きることもあるといううことだ。

小説は読後にすっきりとする現象(いわゆる「カタルシス」)があるために、伏線が回収されたり、うまいこと話がまとまっていったり、ハッピーエンドになったりすることが多い。
最近流行りの「異世界転生もの」も同じようなもので、なんだか冴えない主人公が異世界にいって無双しているので非常にすっきりする。
思うに、ある世界では力がない人間が別の世界でとんでもない力を持てるというのは、鬱屈とした現実社会であまりにも無力な自分をフィクションに投影して、現実ではない世界に救いを求める心性のようなものが重なっているのかもしれない。

現実社会に目を向ければ、様相は極めて混沌としており、正確に理解をするのも一苦労である。一体こんな世界のどこが「小説より奇なり」なんだという気もするのだが、小説のような、もしかしたら小説以上に「奇」なできごとは、長い歴史をみればいくつかみつかるものだ。


そのひとつが社会主義国家の崩壊であると思う。個人的に、社会主義は「小説」としてはこの上なく見事な結末を迎えて死んでいったと思う。

もとはといえば労働者をこき使って金をむしり取る資本家への革命を促すべく、「万国の労働者よ、団結せよ!」と昔の社会主義者が訴えたわけだが、その結果何が起きたのかと言えば、社会主義国家に対して不満を抱いた国民・労働者が団結して社会主義国家を打倒したのである。
要は「万国の労働者よ、団結せよ!」といってできた国々を、50年くらいで万国の労働者が団結して倒してしまったのだ。
これほど見事な小説はそうそうあるまい。

これに気づいたのは高校生の頃だった。高校生のころ、「なぜ社会主義は失敗したのか」という素朴な疑問があり、マルクスなどの本にも手を伸ばしていた。ある日ふとこの事実に気づいたとき、英語の時間に聞いた"history"の語源(his+story)の意味がようやく腑に落ち、「歴史って小説みたいなもんなんだな」と感じたものである。

歴史や社会を学ぶのはあまり面白くないものだが、次第に「全部はわからないが、調べてみると結構小説みたいに見える」ということに気づくと、段々と学ぶことは面白くなる。

ポイントは「全部はわからないが」というところである。陰謀論よろしく社会はある物事によってすべて説明できるといった傲慢な知性を持つようになると、途端にその「小説」は駄文にまみれた醜悪な作品へと成り下がる。自分自身はごくごく一部しか見えていないという謙虚さを根底に持ちつつ学ぶことによって「小説より奇なる事実」は、すっくと立ち上がり、我々の前に姿をあらわしてくれるのである。

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